事態が嫌な方に動いたのは、翌朝すぐだった。
第二の狙撃があっただけでなく、第三の狙撃も行われたというのだ。
しかも第三の狙撃の被害者は、キーパーソンであるハンターその人だったのである。

夏休みの宿題のために阿笠邸に来ている子供達への挨拶もそこそこに、私はハンドバックをひっ掴むと携帯片手に隣家を訪れた。
電話の相手は勿論ジョディ。
通話しながらの来訪であったにも関わらず、扉を開けてくれた沖矢さんは何も言わずリビングに通してくれる。
私が阿笠邸から逃げてきたのを察したのだろう。
こんな電話を、小学生に聞かれるかもしれない状況で出来るはずがないからね。


「シアトルでの狙撃と日本での狙撃は別人の犯行?」
『ええ、空薬莢とサイコロのメッセージから考えるならね』
「だとしても不思議よね。ベルツリーで約650ydの狙撃を熟してみせた犯人が、ハンター相手では約160yd程度の狙撃をミスしたんでしょ?しかもそのハンターも同じように外してるなんて…」
『そう、そこも気になるところなの。現場に残されたサイコロがカウントダウンなら、犯人は後1人狙撃するつもりだろうけど……ハンターが死んだ今、手がかりは消えてしまったわ』


全く面倒なことになったものだ。
ジョディとの、量が少ないわりに時間のかかった情報交換を終え電話を切ると、それを見計らったように沖矢さんがコーヒーを出してくれた。
有り難くいただけば、彼は向かいの席に腰を下ろす。


「突然押しかけてすみません。ありがとうございます」
「いえ、私としては貴女に恩を売るチャンスですからね」


そう茶化してはいるが、彼の穏やかに細められた目は笑っていない。
あれだけニュースで取り上げられ、無差別殺人と騒ぎ立てれば嫌でも目に入るだろうし、狙撃手でFBIである彼の興味も惹くのだろう。
犯人だと思われていた人物の死によって、調査は全て白紙に戻ってしまったが。


「面倒なことになったようだな」
「そうですね…キーパーソンが狙撃され死亡となると、これがフィーネかどうかも分かりません」


正直捜査不参加の私はもうお手上げだ───が、アメリカの狙撃手が日本を舞台に罪を重ねているのだ。
役に立てないから、手段がないから民間人として完全に知らんふり…というわけにもいかない。人事部だろうが私もFBIである。


「つかぬ事をお聞きしますが…650yd程の狙撃を完璧に熟すことが出来る人が、160yd程の近距離の狙撃でミスをするなんてそうありませんよね?」
「状況にもよるだろうが、条件が変わらないのであれば外さないだろうな…」
「そうですよね」


普通考えればそうだ。
それに軍などに所属する狙撃手からすれば、650ydは近いぐらいだと言うではないか。
じゃあ、普通じゃない状況って何?
怪我とかで物理的に不可だった?
それとも脅されたりして精神的に不可だった?
例えそうでも、そんな状況で互いに一発ずつ外した上で、実力者であるハンターに打ち勝つことが出来る?

どうもすっきりしないまま携帯でネットニュースを開くと、どこもかしこも無差別殺人の話題で持ちきりだった。
SNSも盛んな今のご時世、この手の情報が飛び交うのは火より速いだろう。
何も出来ることはないけど、とりあえず近辺まで行ってみようか…?


「コーヒーご馳走様でした。失礼します」
「待て…何処に行くつもりだ?」
「隣に戻ります。子供達が夏休みの宿題をしているようなので、手伝いに」
「それだけか?」


スッと開かれた双眸は翡翠。
久し振りの彼の色に、心臓が嫌な音を立てる。
たったそれだけで、凄まじい圧力が正面から襲いかかってきた。
私の考えなんてお見通しな彼のことだ、私なら外に出かねないと思っているのだろう。
本当に出るかは置いておいて、その気があるのに間違いはない。


「今のところは」
「…であれば俺からの『依頼』だ」
「依頼…?」
「お前の知っているこの件に関する情報───鳥籠内のデータの記憶も含め、全て資料化し明日の昼までに提出してくれ」


強制的に阿笠邸へ缶詰にする寸法か…。
所属は違えど先輩である赤井さんの依頼を、私が断るはずがない。
ましてや、今回多少なりとも関わった事件の資料、しかも一部は私の記憶だ。


「何なら、この家で作業してもらっても構いませんよ。私としては、四六時中貴女といられることになりますからね…」


クス、とわざわざ沖矢昴として言い放った赤井さんは、私をからかうのがそれほどまでに楽しいのだろうか。
そんな彼にまんまと翻弄される私も私だが。


「沖矢さんと一緒だったって言うと、哀ちゃんがいい顔をしないので………明日の昼にまたお伺いします」
「おや、それは残念」


それから阿笠邸に戻った私は、博士と哀ちゃんにざっと概要を説明し、地下の一室を借りることが出来た。
狙撃事件自体の始まりはシアトルだが、元を辿れば年単位で遡らなければならない今回の事件の資料を、明日の昼までに作成とは結構時間との戦いになってくる。
きっと今頃、私を籠に押し込むことに成功した彼は、また沖矢昴としての任務に戻っているのだろう。
ほんの僅かな怒りを押さえ込みつつ、私はPCのキーを叩き続けた。








期限ぴったりに工藤邸のインターフォンを鳴らすと、人柄の良さそうな声で返答があった。
まさかのエプロン姿で出迎えてくれた沖矢さんは、昨日と同じように私をリビングへ通す。
そして昨日と同じように向かいの席へ腰を下ろし───はせず、何故か昼食を振る舞い始めた。
パスタ、スープ、ミニサラダにフォカッチャ……最初から私に食べさせる気があったとしか思えないメニューが次々テーブルに並べられていく。
よくまぁこれだけしっかり用意したものだ。


「女性はイタリアンが好きと聞くので挑戦してみたのですが…お口に合えば幸いです」
「イタリア料理は大好きですけど……ありがとうございます、美味しいです」


しかも美味しいのだから、天はこの人に才能を与えすぎである。
栄養や彩りも考えられているし、きちんとデザートで甘味補給が出来、最後にエスプレッソ・コーヒーで締めるところまで文句はない。
しいて言うならパスタの茹で加減がちょっとって感じだけど……将来いい夫になると思いますよ、沖矢さん。

突然始まったゆったりとした予期せぬ昼食を終えると、中身だけ沖矢さんから赤井さんに戻った彼に資料を渡した。
私を阿笠邸へ拘束するのが目的だったはずだから、実際必要なかったのかもしれないけれど。


「さすがだな…」
「褒めても何も出ませんよ」
「それは残念だ」


リビングにPCを持ってきた赤井さんが資料に目を通し始めた時、カーディガンのポケットに入れっぱなしだった携帯が震えた。
彼から離れるように窓際に移動しながら応答すれば、いつもより固い声のジョディから、例の件の続報と、血の気が失せるような悲報が告げられる。


「真純ちゃんが撃たれた…!?」


いつの間に傍に来たのか、思わずよろけた私を背後から支えてくれたのは赤井さんだ。
見た目は沖矢さんだが、その強張った表情は、彼女の兄のものに相違ない。
肩に添えられた掌に力が込められるのを感じながら、私は出来るだけジョディの話を復唱しながら応答した。


「…ええ、じゃあまた」


私を覗き込む赤井さんは、通話を終えてもその手を離してくれない。
おずおずと見上げれば、沖矢さんが真っ直ぐに見つめ返してくる。


「聞こえたと思いますが…犯人の狙撃を阻止しようとしたコナン君を庇って、真純ちゃんが撃たれたそうです。既に手術は終わっていて…命に別状はありません」
「…そうか」
「東都浅草病院らしいですが、行きますか?」
「ああ…だがその前にやるべきことをやってからだ」


赤井さんはPCの前に戻ると素早くキーを叩き、かと思うと流れるように携帯を手に取る。
妹が怪我を負い、しかも犯人は狙撃手……狙撃手でFBIで何より兄である彼も動かざるを得ないというわけだろう。
先程ジョディから聞いた新たな情報を話せば、頭の良い彼は「そういう線か…」と呟いた後、またPCに向かい始めた。
勝手に出て行くことも出来なくなった私は、ひとまずコーヒーのおかわりでも淹れようとキッチンへ向かう。








結局、私達が病院へ到着したのは日が落ちてからだった。
ちょうど誰もいないらしく、静かな病室に足音を忍ばせて入る。
真っ白なベッドに沈む真純ちゃんからは小さな寝息が聞こえてきており、その姿を見るだけで胸のつっかえが取れたように思えた。
赤井さんも暫し彼女の寝顔を見つめてから、途中の花屋で拵えた花束をテーブルに置くと、「行きますよ」と早々に病室を出て行ってしまう。
私が一緒にいるだけまだましだろうが、沖矢昴が世良真純の見舞いに来たというのはあまり好ましくない光景なのだ。


「真純ちゃん…またね」


そっと病室を後にして、沖矢さんの車に乗り込む。
このまま家の前でさようならかと思いきや、またもや私は工藤邸に連れ込まれた。
いつもながら、少し間違えれば犯罪である。
日本で十分好き勝手しているFBIが言うのもおかしいが…それとこれとは別問題だ。


「まだ何か…?」
「今晩、ジェイムズがこの件の資料を送ってくる。届き次第確認するぞ」
「それ、私がいる意味あります?」
「こう見えても、俺はお前をかなり評価しているつもりなんだが?」


それって一体どういう意味?
少なからず関わった案件なのだから、最後まで関われってこと?


「お前は非常に優秀だ。だからこそ最新の情報は開示すべきだろう?」


ニヤリと笑うその姿は、沖矢さんなのに沖矢さんではない。
勝手に私の評価を上げて勝手に私のハードルを上げていく、赤井秀一そのものだ。
見た目も声も沖矢さんなのに、もう何が何だか分からなくなる。

私だってFBI、捜査協力は一向に構わないんだけど……深い仲でもないただの隣人宅にこう何度も泊まっていては、沖矢さんの正体を知らない哀ちゃんからの信頼が、どんどん落ちていく気がしてならないのが気がかりだ。
言い訳何にしようかなぁ…。


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