ふと瞼を開けると、全く見慣れない天井が見えた。
ベッドに横になっていたらしく、上半身を起こして辺りを見渡すも、必要最低限の物しか置かれていない簡易な部屋としか分からない。
琴音さんの別荘の空き部屋かな…一体私は何故こんなところで眠っていたのか。

そう言えば、コナン君に会いに石栗さんの部屋まで行ったら琴音さんに会って、それから───凄く必死そうなコナン君に名前を呼ばれて、かと思ったら今度は吃驚するぐらい真剣な顔をした安室さんがいて…もしかしなくても、私はまたしくじったということ?
とりあえず部屋を出よう…。


「あ、絵里衣さん!」
「良かったぁ、もう大丈夫そうですか?」


リビングに向かうと、蘭ちゃんと園子ちゃんが駆け寄ってきてくれた。
その奥には毛利探偵と安室さん、コナン君、そして何故か毛利探偵に頭を下げているスーツ姿の男性もいる。
この感じ…日本警察?

いまいち事態が把握ないので女の子2人に訊ねると、どうやら私は殺人実行直後の琴音さんに遭遇してしまったため、衝動的に口封じで殴られ気絶していたらしい。
そして容疑者の如く事件現場の部屋に押し込められていたが、脱水症状を起こしていたから医者に診せられ、今の今まで眠っていたというのだ。
蘭ちゃんと園子ちゃんは、犯人である琴音さんから「絵里衣さんは体調が悪いから、昼食は後で食べることにして部屋で休むと言っていた」と聞いていたらしく、そのせいもあって私の姿が見えなかったことに誰も疑問を抱かなかったとか。
でも既に警察に連行されていった彼女は、「体調不良にも関わらず巻き込んでしまった」と私に謝罪の言葉を残していったそうだ。
犯罪を肯定するつもりはないが、根っからの悪人というわけではなかったのだろう。
ちなみに、怪我をしたコナン君への完璧な応急処置に引き続き、安室さんは殺人現場の部屋の鍵をピッキングしてみせたり、脱水症状を起こしていた私に的確な応急処置をしてみせたりと大活躍だったのだ、と園子ちゃんに自慢された。
いや、ピッキングって…。


「すみません、絵里衣さん。あの時は緊急事態とは言え、貴女の唇を奪ってしまって」


漸く事態が把握出来たと思っていた矢先、急に飛んできた謝罪にこの場にいた全員が目を点にして絶句した。
言葉の出所である安室透に、皆の視線が集まる。
彼は申し訳なさそうに肩を竦めてはみせるものの、表情はとても穏やかだ。


「…今の…ホントなんですか……?」


私を含む皆の疑問を代弁してくれたのは、何故か頬を赤く染めた園子ちゃんだった。
そしてこれもまた何故か、それにあたふたしだしたのは傍らにいた小さな探偵さんである。


「あ、あのね、絵里衣さん脱水症状を起こしてたんだけど、自分で水分補給出来る状態じゃなくて…」
「なので、僭越ながら口移しという形を取らせていただきました。最低限の応急処置として」


そう言いながら近付いてくる安室さんに道を明け渡すように、私の前にいた女子高生2人が顔を赤くしたまま後退った。
その辺りは全く記憶にないけど、まさかそんなことになっていたとは…。


「そうなんですか………その、助けていただいたのは事実でしょうし…ありがとうございました」
「いえ、そんな…寧ろ礼を言うのは此方です。必要だったとは言え、差し出がましいことをしました」


私の目の前まできた彼の手が頬に伸び、顔を上げさせられる。
真っ直ぐ此方を見下ろす双眸は、初めて会った時同様意志の強そうな光を宿しているように見えた。
此処から彼の性格が読み取れれば苦労はないが、やはりガードが固いのか何なのか全く見えてこない。
例のデータの件もあると言うのに、何て厄介な…。


「な、何かこの構図、王子と姫って感じで…凄くイイ…!」
「ちょっとわたし達には刺激が強いんじゃないかな…」


女子高生達の言葉に反応した彼はフッと笑うと、私の頬に触れていた手を下ろした。
今更だけど、この人はもしかしてこれで何か探っていたのだろうか。
本職が例のアレなら、相当知識豊富なはずだし。
って、そう言えばピッキングも…。


「王子と姫、ですか。絵里衣さんのような方の視線を独り占め出来るのはとても光栄なのですが…僕みたいな男は、王子ではなく精々騎士止まりですよ。彼女の一番傍で彼女のことだけを考え守り抜く、ね」


語尾にハートマークをつけて黄色い声を上げる園子ちゃん達を横目に、この中で私が『お姫様』だと唯一知っているコナン君を見やる。
案の定、今の言葉に警戒心を一気に跳ね上げた彼は、目を見開いて元凶を見つめていた。
これを見られれば余計怪しまれるし、コナン君にも変な探りが入ってしまうかもしれない。


「コナン君」
「へ?」
「えいっ」


未だ頭に包帯を巻いた痛々しい姿の少年の前にしゃがみ込むと、有無を言わさぬうちに飛びついた。


「うわっ…!」
「コナン君も私を助けてくれたんだよね?ありがとう」


ぎゅーっと抱き締めると、動揺いっぱいにわたわたと動くコナン君。
周りからは賑やかな感想が聞こえてくるし、仲のいいじゃれ合いとしか思われていないだろう。
その隙に、そっと少年の耳元に口を寄せる。


「怖い顔してると怪しまれるよ?小さな探偵さん」
「気を付けて…今のところ限りなく黒に近いと思うから」


照れて腕から逃れようとする演技を続けながら、頭の切れる小さな名探偵も返事を返してくれた。
そうか、あのデータを知らないコナン君からすれば、私の存在を知った上で近付いてきているという可能性が有力だろうしね。
わざとらしく単語を出してくるのは此方を揺さぶるためかもしれないし、逆に彼の策略通り此方を動かすためかもしれない───最有力はやはり真っ黒。
早いうちにデータの彼と安室透との関係を洗い直して答えを出さないと、全て後手に回ってしまうだろう。
私はいつでも囮として動けるが、最低限の被害で持ち込めるようにしなければ絶対後悔する。








帰りも来た時と同じように、安室さんの車で駅前まで送ってもらうこととなった。
気を利かせたコナン君が今日の出来事を沖矢さんに報告したらしく、駅から家までは何故か沖矢さんが送ってくれるらしい。
間違いなく説教が待っていると思うと胃が痛いが、今はそれより、ご機嫌な様子でハンドルを操る安室さん相手に正しい行動を取ることに集中しなければならないだろう。


「今日はこんなことになってしまいましたが…また機会があれば嬉しいです」
「多分、園子ちゃん達に誘われない限りもうテニスはしないと思いますけど…」
「手強いなぁ…テニスじゃなくてデートに誘ったつもりなんですが」
「私なんか誘わなくても、引く手数多じゃないんですか?大人気だって聞きましたよ」
「誤解ですよ。そんなことないですから…」


手強いのはどっちだ。
私に話術があればこのまま情報を喋ってもらうんだけど、どう考えてもこの人には駆け引きを仕掛けるだけ無駄に思える。
赤井さんを相手にしている時と感覚が似ているからね。


「僕みたいなタイプはお嫌いですか?」
「いえ…」


襤褸を出さずにしようとすればする程、会話を誘導されている気がしてならない。
前を見たまま私と会話する彼の端正な横顔を盗み見ても何も読み取れないし、寧ろ余裕しか感じられないから覆すのは難しいだろう。
此方が主導権を握れるならとっくに仕掛けている。

今の私が切れるカードはたった1つ、彼によく似た彼のことだけだ。
これがイコールで繋がったとしても、じゃあリアルはどちらかって話になるのだから、結局向こうが上手になるのか。


「日の本の象徴に誓って、その貴方の意志を正しく貫き通すと言うのなら…寧ろ好意を抱くぐらいですね」


私としては精一杯だったんだけど、安室さんは静かに、それでいて楽しそうに笑った。
世間的にはもはや日本の象徴として名高い桜を掲げる機関の1つである、警察庁のサクラ……いや、今はゼロだったか。
確かこの組織は、非合法工作が訓練メニューとして組み込まれていたはずだ。
今日彼がしてみせたと言うピッキングのような、非合法工作がね。


「成程……やはり貴女は噂通り素敵な女性のようだ」


彼があのデータの彼と同一人物なら、今ので全て気付いたと思うけど…躱されたか。
でも、この動揺もしないまま躱すと言う行動自体が答えだと思っていいだろう。
後は、どちらが本当の彼なのかを正しく見極めないと。


「送って下さってありがとうございました。失礼します」
「此方こそ話し相手になって下さってありがとうございました。また是非近いうちにお会いしましょう」


最後まで優しく穏やかに楽しそうに微笑みかけてくれた安室さんの車が見えなくなってから、今度は赤い可愛らしい車がやってくる。
運転手はとてもにこやかな笑みと共に声をかけてくれたが、先程の安室さんとの温度差が酷すぎて震えてしまった。
コナン君、沖矢さんに何て報告したの?


「すみません、迎えに来ていただいて…」
「いえいえ、コナン君から絵里衣さんが脱水症状を起こしたと聞いた時は肝が冷えました。お元気そうで良かったです」


口調もそれは丁寧で私の体調を気遣ってくれているのに、彼から漏れ出るプレッシャーが半端なく冷たい。
そして痛い。
しかも隠す気がない。
どうしろって言うのよこれ。


「ところで絵里衣さん」
「…はい」
「今夜晩酌に付き合ってくれませんか?」
「…はい?」
「今日のテニスの話も聞きたいですし、何でも殺人事件が起きたと言うじゃないですか」
「いや、あの…」
「ああ勿論、絵里衣さんにはノンアルコール飲料で我慢いただきますけどね。アルコールでも脱水症状は起こり得ますから」
「そうじゃなくて…」
「と言っても、私が絵里衣さんと同じ時を過ごしたいだけ、と言うのが本音なんですけど。こういうのって、素直に言葉にした方が伝わるんでしょうか」
「だから、沖矢さん…」
「そうだ、博士には既に絵里衣さんに泊まっていただくと説明しているので安心して下さい。狼になるつもりもないので、ご心配なく」
「…………………。」
「絵里衣さん?」


駄目だ。
私程度じゃ太刀打ち出来ないレベルの確定事項だ。

その後、半ば強引に連れ込まれた工藤邸にて、素敵な笑顔のまま何故かソファーに押し倒された上で洗いざらい全て吐かされ、挙げ句滅茶苦茶怒られた。
私が一番注意すべきは、安室さんより彼なんじゃないだろうか。

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