蘭ちゃんと探偵団は自分達の部屋へ、安室さんは毛利探偵の所へ各々解散となり、お手洗いへ逃げ出してから早何十分、私は漸く部屋へ戻ることとなった。
出迎えてくれた沖矢さんが、それはもう称賛に値するレベルの笑顔なあたりが怖い。


「遅かったので、ちょうど迎えに行こうかと思っていた所です」
「ご心配をおかけしました。知り合いと話をしていたので…」
「同年代の男性の知り合いがいたなんて、知りませんでしたよ」
「……盗み聞きですか」
「まぁ…少々先手を打たなければならない状況でもあったので」


同年代の男性───つまり安室さんのことだろうけど、データ上で知る彼は少なくとも此方側の人間だった。
私が知る限り、あの機関の目的や役割は、我が捜査局と大して変わらないはずだ。
だがデータ上の彼は、けして『安室』と言う名前ではない。
それとは全く似つかない、何処か虚無感や冷たさを感じさせる名前だったのだ。
まさかとは思うが、これが他人のそら似なら、事は一番穏便に済むだろう。
今日再会した彼は、毛利探偵の弟子であるただの安室さんで、例の彼とは無関係なのだから。
これが血縁関係となると少々話は捻れてくるわけだけど、一番可能性が高くて一番厄介なのは、安室さんと彼が同一人物だった場合だ。
即ち、どちらかがフェイクだった場合───彼は明らかに警戒対象になる。
そしてわざわざそんなことをすると言うことは、奴らのような裏の組織が絡んでくるに違いない。
大っぴらに行動出来ない我々からすれば、出来れば気が付きたくなかった第三の組織の介入は御免被りたいんだけど。
日本で好き勝手やらざるを得なくなって、見知った顔を異動させることになるなんて展開、それこそ御免被りたいものだ。


「2人ったら息ピッタリ!本当に相性がいいのね」


私と沖矢さんの短いやり取りがお気に召したのか、帽子を被り直した有希子さんが優しく仲裁しながら足を組み替えた。
私と沖矢さんの相性がいいのなら、つまり私と赤井さんの相性もいいってことになる?
仕事面ではそれは頼もしいけれど、それ以外の面では少々取っ付きにくい感が否めない。
彼は常に私の上にいるのに、此方に全く情報を落としてくれないのだから。


「シャロン…ベルモットがいるから、絵里衣ちゃんも気を付けてね」
「分かりました、ありがとうございます。私達は基本的に姿を隠しながらになりますし、暫くは相手の出方を見る…でいいんですよね?」
「ああ、それでいい…が、どうやらそうもいかなくなったようだ」


スマートフォンに視線を落としたままの沖矢さんが、表情を曇らせる。
促されるままその画面を覗き込めば、ベルモットから哀ちゃんに送られたあからさまなメールが表示されていた。
ハッキングではないかと言うツッコミは状況が状況だから置いておくけど…ベルモットは哀ちゃんを殺す気なの?


「有希子さん、此方も動き出す必要が出てきました。先程の話の通りお願いします」
「B室で待ってるわ」


沖矢さんに腕を引かれ、何故か部屋から追い出される。
余裕たっぷりルージュで弧を描いている有希子さんに見送られながら、私は引き摺られるようについていくことになった。
今日も今日とて、やはり説明が足りない。

片手で携帯を触りながら彼が向かった先は、6号車との連結部分。
その扉の向こうに、小さく身を縮こませて怯え震える哀ちゃんがいた。
素早く隠したのは何?
プラスチックの…ピルケースか。


「さすがに姉妹だな…行動が手に取るようにわかる」


姉妹…?


「さぁ、来てもらおうか…こちらのエリアに…」


次の瞬間、じわじわとプレッシャーをかける沖矢さんを振り切るように、脇をすり抜けて此方へ来た哀ちゃんが私の手を掴み走り出した。


「え…っ」
「絵里衣さんも!あの人と一緒にいてはダメよ!」


そうか、哀ちゃんからすれば沖矢さんも敵なのか。
今このベルツリー急行は、かの有名なオリエント急行の如く殺人犯と謎めいた組織のメンバーを乗せた密室だ。
あちらこちらで感じる嫌な気配に怯えている時に、怪しんでいた相手がやってきたなら警戒心が勝って当然だろう。
今思えば、沖矢さんの発言も相変わらずかなり言葉足らずだったし。
…そう言えば、あの姉妹ってどういう意味だったのだろう。
沖矢さん…いや、赤井さんは哀ちゃんのお姉さんもしくは妹さんを知っているってこと…よね?
もしかして、彼は───


「そうだわ、此処なら…」
「ごめんね、哀ちゃん。今は多分私といない方がいいわ」
「絵里衣さん…!?」


沖矢さんがついてきていない。
と言うことは、私諸共7号車のB室に駆け込もうとした哀ちゃんの行動は、彼の手中とみていいだろう。
でも私が哀ちゃんといるところを見られては、『私』が困るのだ。
『私』はあくまで1人でいなくてはならない。
まぁ既に手遅れの可能性も否定出来ないわけだけど…とにかく余計な知り合いは不要である。
何せ此処には、正体不明瞭な『彼』も乗車しているんだから。

抵抗してみせる哀ちゃんを無理矢理B室に押し込んで、私は胸の辺りに妙に溜まった重い空気を吐き出した。
このまま8号車に向かえば、蘭ちゃんが言っていた殺人現場に出向くこととなるはず。
知り合いがいるとすれば、コナン君と真純ちゃんと、後は毛利探偵と言ったところか。
此方の事情を知り協力者でもあるコナン君はまだしも、例の組織を脅かす殉職したFBIエース捜査官の妹と、おそらく奴らを知らない毛利探偵に自分から会いに行くのは賢い行動ではないだろう。
やはり私は1人部屋に籠もるか、1人お手洗いに籠もるかが得策だ。


「…!?」


踵を返そうとしたその時、ガチャリ、と扉が開いた音がしたかと思うと、横から伸びた腕に部屋へと引きずり込まれた。
目の前に出口が見えていると言うのに、後ろから腹に腕を回され、口元も大きな掌で塞がれ、いくら逃げ出そうとしてもびくともしない。
更に口元に当てられたハンカチには、お決まりの薬品が染み込んでいるらしい。
叫ぶどころか呼吸することすら許されないとは…つまり今背後にいる何者かは、私と会話する気がないということだ。
ゆっくりと少しずつ着実に、意識が奪われていく。


「んん…!」


後ろから抱きすくめるように私の身動きを封じ、意識を奪おうとしている犯人は、中々の身長と中々の力を持っているだけでなく、どうやら体術にも精通しているらしい。
さっきから逃げるために色々仕掛けているのだが、悉く押さえ込まれている。
これでもFBIの端くれで、死線も何度か越えてきたつもりだが、それら全てがぴしゃりと否定されたようだ。
いい加減、息を止めて藻掻くにも限界がある。
早くしないと、本当に意識の方が先に落ちてしまう。


「……っ」


目の前の扉が霞んでいく。
頭の中も白くなっていく。
私から力が抜けていくのが分かっているはずなのに、背後にいる誰かの手が緩むことはない。

しっかりと回された腕に、体に、全てを預け、私は意識を手放した。
願わくば、哀ちゃんを守るための赤井さん達の作戦の邪魔にはなりませんように。
───いや、それは無理か。

ああまさか、消息不明の『お姫様』の顔を知り、フェイクに騙されない者が乗り込んでいたなんて、思いも寄らなかった。
これじゃあprincessじゃなくて、ただのidiot。
poserのナルシストな物語に、一体何人が共感すると言うのかしら?


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