「哀ちゃん行ってらっしゃい。気を付けてね」
「ええ…行ってきます」


相変わらずの控えめさではあったけど、登校前の哀ちゃんに声をかけるときちんと挨拶が返ってきた。
小学生にしては落ち着きすぎている彼女は、年齢にそぐわない程の常識人だ。
だから当たり前と言えば当たり前なやり取りだったわけだけど、この当たり前が私にとって嬉しい1コマなのである。


「じゃあ博士、部屋お借りします」


阿笠邸の地下にある、まるで研究所のような部屋に入り、念のため鍵をかける。
昨日のうちに博士と哀ちゃんには許可を取っているが、いざ実行となると言いようのない緊張感が襲ってきた。
これに負けている場合ではない。

持ち込んだ楽器ケースを脇に置いたまま、震える手で例の火事後に買い換えたPCを起動する。
ドライブには何のデータも残っていない真っ白なPCだが、私にとっては今一番有効な武器だ。


「…さて」


赤井秀一の亡霊が私の生い立ちを知っていた件について、自分なりに考えてみた。
形として記録が残っているとするなら、真っ先に思い浮かぶのは『鳥籠』である。
このFBI内のデータの統括ベースである『鳥籠』には、入局時の審査に使われたデータも残っているのだ。
つまり、私の親が他国の機関の人間だとしっかり刻まれているだけでなく、私の今までの行動が大まかに記されているというわけ。
これを見れば、どんなに無知な人でも、私が何故FBIに入局出来て、かつ何故『鳥籠』になったのかが分かるだろう。

だがこの『鳥籠』は、その取り扱いデータの観点から、絶対防御の監獄だ。
外部から完全に切り離されているから、アクセスは『鳥籠』の人間にしか出来ない。
だからもし此処から漏れたのなら、『鳥籠』に内密者がいるか、もしくは亡霊の正体が『鳥籠』と言うことになる。
両方信じたくはないけどね。

他に考えられるルートは、私の両親の関係者。
現在は両者共音信不通状態だけど、此方の世界で有名な2人は、敵味方問わず知り合いが多い。
有名な2人の知人なのだから、相手もそれなりの知識と経験を有する人物のはず。
私で手の出しようがなければ、太刀打ちのしようもないだろう。

となると、残る攻めることが出来るルートは1つ。
亡霊が何故赤井さんに化けたのかを読み解き、赤井さんから正体を辿るしかないと言うわけだ。
これも非常に難解でやり辛さしかないけど、ある意味有名な赤井さんの情報は比較的集めやすい。
死亡偽装のときに見た彼の個人データが示す通り、赤井さんも『鳥籠』に入れられてもおかしくない人材だから、何処かで何かが引っ掛かる可能性は高いと思う。
狙撃手として此方の世界で名が通っている分、余計なものも引っ掛かるだろうけど、だからこそ浚うことが出来るものも多いはずだ。
赤井さんを狙う人物が絞り込めれば、自ずと亡霊の影も見えてくるに違いない。
さて、吉と出るか、凶と出るか───。








「…もうこんな時間か」


凝り固まった体を解すように腕を天井に向かって突き上げると、あちらこちらから軋む音が聞こえた。
日頃の運動不足も相俟って、各所が悲鳴を上げているらしい。
特に首回りからは、ゴリゴリとそれはあからさまな音が響いている。
これは昼食のついでに、散歩ぐらいしておく方がいいかもしれない。


「博士…?」


一旦PCを閉じ、軽く体を解してからリビングに向かうが、そこに人の気配はなかった。
世間的に午後と呼ばれる時間に突入しているし、博士は1人で昼食を済ませ外出したのかもしれない。
予め、今日私は部屋に籠もると宣言していたしね。

しかし、それはすぐに平和ボケした考えだったという現実に直面することになった。
キッチンに昼食を取った跡がなく、だが不思議なことに玄関の鍵が開けっ放しになっているのだ。
昼食を何処かに食べに行った可能性だってあるけど、それなら私に一言残してあるだろうし、鍵を閉め忘れて蛻の殻なんてならないだろう。
つまり博士は、昼食を取らずに玄関の鍵を開けたまま姿を消した。
外に出てガレージや敷地内を見渡すも、やはり人の気配は感じられない。
まさか最悪の事態とでも言うのか。

ひとまず玄関の鍵をかけ、阿笠邸に入る。
人気のない室内はがらんとしていて、これと言って荒らされた様子はない。
博士は自ら外に出た…?
もしかして、工藤邸に行ってるとか?
すぐ隣だし、玄関が開きっぱなしでもおかしくはないかも。

確認のためポケットから携帯を取り出したその時、広々とした室内にインターフォンが鳴り響いた。
今日宅配便が届くなんて話は聞いていないけど、どうやら何か送られてきたらしい。


「───!?」


先程閉めたばかりの玄関の扉を開けた私が最後に見たのは、嫌らしく歪んだ口元だった。


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