私の人生が一転したのは、あの老人───いや、あの女の一言からだった。


「Fancy meeting you here,princess」


60代ぐらいの小綺麗な衣服に身を包んだ白髪頭の男性は、私を見ると柔らかい嗄れた声でそう言った。
ワシントンの裏通り、常連客しか訪れないようなカフェやブティックが点々とあるだけのこの静かな住宅街で、思いがけず知り合いと遭遇したのなら的確なセリフかもしれない。
でも私にこの紳士風の男性に会った記憶はなかったし、何より見た目も声も男性なのに、何故か『女性』のように感じたのだ。
優しい青の双眸の奥で、派手なルージュを弓形にしならせ、「こんなところにいたのね、お姫様」と蠱惑的に嘲笑う女に。
それを職場に戻ってから同僚に話したことが、事の発端となった。







私が厄介な人物に会ってから数週間……つまり、ジェイムズさん率いるジョディや赤井さんがいるチームに形だけ加わるようになった日から、数週間。
この間、私は平和すぎる程いつも通りの生活を送っていた。
本部まで徒歩5分という抜群な通勤環境もあるお陰か、何も問題なく毎日を送れている。
そのせいなのか何なのか、ジェイムズさん達からも連絡はないし、私は普段通り幾つもの生体認証を潜り抜けた鳥籠で、膨大な情報に埋もれていた。


「エリー、電話だ」
「鳥籠に電話…?」


上司のカイルに押し付けられたのは、閉鎖空間である鳥籠内で沈黙を保ち続けていた連絡用の携帯だった。
基本的にこの部署自体知名度が低すぎるし、もし万が一何か用事があるとしても人事部からの取り次ぎになるから、この携帯が鳴ることなんて滅多にないのだ。
と言うことは、十中八九向こうの人からの電話なのだろう。


「お待たせしました、斎藤です」
『忙しいのにすまないね、斎藤君』
「ジェイムズさん…!」


予想的中。
彼らが追う奴らに、何か動きがあったのだろうか。


『実はカイルとは同期でね。直接そちらに連絡させてもらったよ』


カイルと同期…成程。
確かに年齢は近そうだし、鳥籠の番号を知っていても不思議じゃない。


「それで、どうしたんですか?奴らに動きが?」
『ああ、そうなんだ。斎藤君は確か、日本の血も流れているんだね?』
「半分は日本ですが…」
『帰省しないか?』
「は?」


帰省?
いやまぁ、半分は日本人だし、小学校の途中から中学校卒業まで日本にいたのだから帰省で間違いではないかもしれないけど、一体どういう風の吹き回しなのか。
例の日から何も起きてはいないのに───違う、大きな事件が起きているじゃないか。


「まさか…」
『今アメリカ全土で起きている、東洋系女性公務員の連続銃殺事件を知っているね?』


そう、確かに私の周りは至って平和、いつも通りであったが、世間的には物騒なことになっているのだ。
やや白い肌、背中まで伸びた黒い髪、薄い茶色の瞳───私によく似た特徴を持つ東洋系の女性、特に警察関係者が立て続けに銃で撃たれ殺されている。
どの女性も額を正面から貫かれ即死、そして目撃者は0という共通点があることから、東洋系の女性公務員を狙った連続銃殺事件として世間で注目を集めていた。


「私を炙り出すために、奴らが…?」
『その可能性は十分考えられるだろう。何せ犯人は、真正面から被害者の顔を確認した上で殺害しているのだから』
「…それで日本に行け、と」
『銃を所持すること自体が犯罪になる国の方が、此処にいるよりは遥かにマシだろうからね。だが、奴らの幹部クラスが日本に滞在しているという情報も掴んでいる』


それ、私が日本に行っても同じじゃないだろうか。
アメリカにいてはいつか本当に見つかるかもしれないが、日本に行っても奴らはいる。
じゃあどうする?
現実問題、関係ない人まで死に至っているこの状況で、どう行動するのが得策?


『赤井君とジョディ君は既に日本に入っている。斎藤君が日本行きを承諾してくれるのであれば、彼らとは関わらず民間人として過ごしてもらうことになるだろう』
「………今移動してもメリットは多くなさそうですが。銃殺事件も止まらないかもしれませんし」
『否定は出来ないし、奴らの裏をかける保証もない。まぁ赤井君は、君が目に見える範囲にいる方が動きやすいらしいがね』
「囮に使えと言ったのは私なんですけど…」


私のことを捜しているらしい某組織は、赤井さんや親友のジョディが長年追いかけている謎の組織だ。
その人殺しなんてお手の物な組織が長年求めていたモノの1つが、どうやら先日見つけられた私らしい。
であれば、私を囮にすれば多少なりとも奴らが動くだろうと申し出たのだが、鋭く細められた翡翠に即却下されたのである。
基本的に言葉が足りないかつ、喋ったかと思ったら敢えて遠回しな表現を使う彼は、恐らく私の身を案じたのだろうが、私自身けして納得も承諾もしていないということに気付いているだろうか。


「カイルの許可が下り次第、暫し帰省します」
『分かった、ありがとう』


電話を切ってカイルに差し出せば、粗方状況を把握しているらしい彼は諦めたように私の肩に手を置いた。
その温かい大きな掌は、もう何年も声すら聞いていない父を思い出させるような、何処か懐かしいものだった。


「ジェイムズが絡んでいるなら俺は何も言えないさ。準備が出来次第帰省しなさい」
「すみません。ありがとうございます、カイル」
「ああ。登録、していくだろう?」
「はい。念には念を」


そこからの動きは早かった。
民間人として帰省するためのキャラ設定や住む場所、持ち物を二晩かけて考え、また二晩かけて用意した。

そして2日かけて鳥籠内で通常より多めに仕事をこなし、後は手筈通り日本へ旅立つだけとなった。
はずなのに。


「お姉さん、ちょいと顔を見せてくれよ」
「………っ!?」


後ろから聞こえた声に咄嗟に身を捻ったが、相手も何か怪しんだらしく右腕に焼けたような痛みが走る。
時刻は21時過ぎ、一本出ればまだ人通りもあるって言うのに、しかも堂々とFBI本部の近くで銃を使うとは一体どういった神経をしているのか。
何にしろ今不利なのは私なので、血が流れ出るのを感じながら直接止血しつつ足を動かし、とりあえず手近な建物の陰に身を潜めた。


「おやおや、俺は顔を見せてくれと言ったんだがなぁ」


下品な笑い声は至極楽しそうである。
コイツが私の顔を確認して、何かしたいのは分かった。
ついでに、十中八九連続銃殺事件の犯人の1人ってことも、近くに狙撃手がいないってことも。
と言うことは、私は今コイツと対峙し、出来るだけ少ない被害で処理しなければならないのか。


「隠れん坊は好きじゃねぇんだ。出てきてくれよ、アジアンビューティーなお姉さん?」


腕の止血を手早く済ませて、空いた左手で内ポケットを探る。
出てきた拳銃は支給品として所持している、何の変哲もないハンドガンだ。
生憎今手持ちはこれしかない。
どっち道これしか使えないのだから、問題はないが。


「アナタ、何者?私に何か用?」
「ちょっと人を捜しててね。俺達が用のある女か確かめるために顔が見たいのさ。だから用があるかどうかは分かんねぇなぁ」


奴が近付いてくる。
足音も声も、どんどん大きくなってくる。
まぁ私だってFBI、銃ぐらい扱えるし、身の危険ぐらい覚悟の上だ。
幸い今回は近距離戦、全てが目に見える範囲で行われる。
……ああ、成程。
狙撃手としても眼中に置いておく方が余程懸念は減るってわけですね、赤井さん?


「じゃあお望み通り、顔を見せてあげるわ」


月明かりにゆっくりと歩み出れば、男は一瞬息を飲んだ後、その下品な顔を更に歪ませて笑った。
推定20代、中肉中背、私と同じく東洋系の顔立ち…容貌も言動もあまり頭が切れるように見えないし、恐らく雑務担当の下っ端なのだろう。
さて、コイツが何処まで喋ってくれるかな。


「で、私が尋ね人かしら?」
「……ああ、照合率93%ってところだ」
「そう。じゃあ私に何の用?」
「それを説明するのは俺の仕事じゃないんでね」
「アナタの仕事は私を生きて連れ帰ること?」
「美人で頭もいいとは堪らねぇな、アンタ」


奴らに見付かってもすぐに殺される可能性は低い───これだけでも十分収穫だ。
後は中で訊けばいい。
じっくりたっぷり苦しみながら、知ってること全部吐いてもらえばね。


「じゃあ一緒に行きましょうか。本部へ」
「ぐは……ッ…!」


銃を弾くので一発、両手首破壊に二発、両膝破壊に二発、計五発を自分の中での最速で撃ち込む。
案の定下っ端らしい男は全部予想通り食らい、荒く息を吐きながら地に伏した。
その隙に男の拳銃を拾って、今度はそれを額へと押し付ける。
一応弾は全部当たっているから、これで抵抗は出来ないはず。


「お疲れ様です、斎藤です。今表で───」


しかし、撃たれた腕での操作で少々もたついたせいか、私自身の甘さからか、本部へ連絡を入れる数秒の間で、


「───現在発生している連続銃殺事件の重要参考人と思われる男と接触しましたが───」


どうやら隠し持っていた起爆装置を作動させたらしい男は、


「───申し訳ありません、たった今あの世に逃げられました」


私を巻き込む形で自爆した。







こうして、私は少し予定とは違った形で懐かしの日本へ向かうこととなったのだ。


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