重くて暗い。
全身が重力に押し負けてじわじわと絞め殺されていくような真っ暗な空間で、息をすることも忘れる程強く私の意識を引っ張り上げたのは、暫く会っていなかった母の姿だった。


「………斎藤!大丈夫か!」


視界は白い天井、傍らには私の名を知る見知らぬスーツの男。
清潔そうな白い壁に白いベッド───病院にいるのか。
鉛のような腕に力を入れれば、あちらこちらに痛みが走る。
そう言えば変な奴らに狙われて、追われて、撃たれて、爆発して、落ちて…そうだ、カイルは?
母さんは?


「カイル…カイルは無事ですか?」


喉から零れた声は、思ったよりも音になってくれなかった。
どうやら、かなりの間眠っていたらしい。
体を起こすのも一苦労だ。


「カイルさんなら隣だよ。彼もさっき意識が戻ったって」
「…怪我の具合は?」
「爆発に巻き込まれて頭を強く打った以外は、軽い火傷と打撲だってさ。大事故だったわりには酷くない」


同じFBI捜査官だと言う付き添いの男曰く、カイルもそこまで酷くはないらしい。
良かった…私を助けてくれたあの人に何かあったら、どうお詫びすればいいやら。

カイルの無事は朗報だが、問題はもう1つ残っている。


「あの、私以外に東洋系の被害者はいましたか?」
「いや…そんな話はなかったと思うけど」


あの時、最後に見た橋から落ちた女は十中八九母だ。
狼と称されたSISMIの諜報員…銃の腕も桁違いの戦闘力を誇る母は、任務遂行時のイメージとは裏腹に一見とても大人そうな人である。
ハーフだが見た目も日本人らしく、背格好は勿論、強い癖毛を除けば、髪も顔も私にそっくりで───もしあの女性が母ではないとしたら、相当変装上手な奴がいたものだ。


「エリー!生きていたか…!」
「カイル…!」


自分も怪我をして包帯塗れの痛々しい姿だと言うのに、病室に飛び込んできたカイルは私を抱擁した。
正直あちらこちらが悲鳴を上げているが、彼に心配をかけた自覚はあるからもうどうでもいい。


「君が川に落ちた時、本当に死んだかと…!」
「すみません、カイル。それ私じゃないです」
「は……?」


ぽかん、とカイルが目を丸くして私を見た。
あのシーンを目の前で見ていたのなら、死んだと思われて当然だ。
追い詰められた女が宙を舞い、あの高さから川へ落ちたのだから。


「私は車から出た後、ずっと動けずにいましたから」
「じゃあ、俺が見た君は一体…?マシンガンで奴らと応戦し、最後に銃弾を食らって落ちていった、君は…?」
「誰かは分かりませんが…私ではないことは確かです」
「そうか…今はまだそれで良しとするよ」


疑問は多々あるだろうが、私の意見を尊重し何も言わないカイルはとても優しい人だ。
今回も彼が車を出してくれていなければ、もっと悲惨なことになっていたはず。
尤も、私を狙ったのがジェイムズさんのチームが追っている奴らであれば、ひとまず息の根を止められることはなかっただろうが。


「すぐに退院とはいかないだろうが、これからどうするんだい?」
「奴らは私がFBIだと突き止めたみたいですし、とりあえず民間人に戻ろうと思います。川へ落ちたのは奴らも見ているでしょうから」
「死ぬなよ、エリー」
「まだ死ねません。数年音信不通の父に会ってませんからね」








銃痕1箇所、他全身打撲と火傷。
その治療とすっかり落ちた体力の回復に日数を費やし、日本に戻ることが出来たのはギリギリ9月だった。
予想より時間はかかったが、任務はクリアしているし、良しとしよう。
組織との関係性で言えば完全後手になってしまっているけど、代わりに母らしき人を見ることが出来たのだからマイナスばかりではない。
きっと部屋に仕掛けてあった盗聴器も、母の仕業だろう。
当然処分してきたが、次に帰った時にまた仕掛けられていたらどうしようか。

海外公演から帰宅という設定で、のろのろと自身の部屋の扉に鍵を差し込めば、その瞬間隣の扉が勢い良く開かれた。
まるで私の帰宅を待っていたかのような俊敏な反応に驚きながら首を巡らせると、全く見覚えのない柔和そうな男性が此方を見ているではないか。
少し長めの茶髪、色白、メガネ、開いているのかいないのか分からないぐらい温厚そうな瞳、背はかなり高めで、服の下はけしてひょろりとしているわけではなさそうだ。
向こうに行っている間に引っ越してきたのか…と思った後すぐに、例の作戦を思い出した。
が、その男性に普通の人とは思えないスピードで距離を詰められ、抱き締められたせいで完全に思考回路はストップしてしまう。


「良かった…」


掻き抱くように背中に回された腕が、温かい。
埋めた胸元から聞こえる強い鼓動が、心地好い。
力を入れられるとまだ痛いし、抱き締められたせいで鈍い音を立てた楽器ケースを拾わないといけないけど、でも、この腕をすぐに解いて欲しくはなかった。
約束は守るためにあるんでしょう…?


「あの…初めまして、斎藤絵里衣と言います」


漸く拘束が緩んだところで、此処がまだ外だという羞恥に引き攣る頬を押さえる。
誰が見てるか分からないからこそ…土台を作らなければ。


「お名前を訊いても、いいですか」


一瞬困ったように眉を下げて笑ってみせた彼───赤井さんは、それは丁寧に返してくれた。


「ご挨拶が遅くなってしまい、すみません…沖矢昴と言います。これから宜しくお願いしますね、絵里衣さん」


せっかくちょっと………ああもう、今更パンダカーの時の話持ってくるなんて、やっぱり私の扱い酷いよ、沖矢さん。


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