赤井秀一が死に、沖矢昴となってから数日が経った。
漸くこの姿を見慣れてきた頃だが、一時帰国した隣人はまだ帰ってこない。
一体何を手間取っているのだろうか。
いや、彼女は頭の回転も速く鳥籠でも優秀だったはずだ。
つまり、向こうで予期せぬ何かがあったのだろう。
事件に巻き込まれていればそれらしい情報があるだろうと、ニュースと新聞は毎日確認しているが、今のところそれらしきものはない。
予期せぬ何かが明るい話であればいいのだが。

時刻は朝の9時を回ろうとしている。
あちらは夜か。
思考を海の向こうへ飛ばしていると、PCの横に置きっぱなしの携帯が鈍い音を立てて震え始めた。
極力連絡を取るべきではないのは、相手も分かっているはず───即ち緊急事態ということだ。


『忙しいと言うのに、朝からすまないね…』
「いえ。どうしたんです?」


ジェイムズの声音はいつもと変わらないように聞こえる。
が、わざわざ電話してきたんだ。
そんなに簡単な問題でないのは覚悟の上だ。


『つい先程カイル…斎藤君の上司から連絡があった。何でも、斎藤君が狙撃対象になったらしい。組織の人間か確証はないが、恐らくそうだろう』
「ええ。そうでなければ、通り魔としか考えられません」
『カイルと2人で逃げたらしいんだが、途中で事故に巻き込まれたらしくてね…』


組織が斎藤の身元を割り出したのか…。
何処までバレているのか、それによって今後の対応も変わってくるだろう。


『斎藤君は奴らに撃たれて、フランシス・スコット・キー橋から落ちたそうだ』
「……!」


撃たれて川へ…?
じわりと嫌な汗が吹き出てくる。
思ったよりも動揺しているらしい。


「その後斎藤は?」
『それが、カイルとの電話はそれで切れてしまって、何度かけ直しても繋がらないんだよ。既に本部には連絡を入れて、現場確認をしてもらってはいるがね』
「状況が全く見えてきませんね…」
『ああ。カイルも元々は捜査官として現場に出ていた男だ。カーチェイスも銃撃戦も斎藤君とこなしてくれたんだろうが…』


元捜査官がいようがいまいが、相手が組織なら大した差ではないだろう。
撃たれた度合いにもよるが、早く引き上げないと死に至る。
まして奴らの手に渡るなんてことがあれば、鳥籠のことも含め非常に分が悪い。


「何処まで情報を持ってます?」
『今話したぐらいさ。彼も相当興奮していてね…付け加えるなら、どうやら斎藤君は、橋の上で彼らと応戦し押し負けて川へ落ちたらしいというぐらいか』
「普段銃を使わないわりに、近距離での腕前は良いようですからね」
『マシンガンでほとんど蹴散らしたが、最後の最後で横からお気に入りの腕時計ごと持っていかれたと言っていたよ…かなりの重傷と思っていいだろう』


マシンガン…?
すぐ脳裏に浮かんだのは、彼女の部屋に置かれていたモデルガン。
あれはイタリア製の短機関銃ベレッタM1938A、モスキートだったはずだ。
しかし、少々引っかかる。
あいつは確かハンドガンしか使えないと言っていた。

そして、それが嘘だったとしても、だ。
一度ライフルを持たせたことがあるが、慣れない手付きで左で構えてスコープを覗き込んでいた。
事が起きてすぐ衝動的に連絡してきただろうから、そのカイルとやらの証言を鵜呑みにするのは賢くないが…『左』で銃を扱う斎藤の『右』手首にある腕時計を『横』から撃つのは少々不自然じゃなかろうか。


「恐らく斎藤の怪我は酷いでしょう…が、もしかすると川からは見つからないかもしれないですね」
『何だって…!?』
「情報が少ないので断言は出来ませんが、川に落ちたのは斎藤ではない可能性があります」
『そんな…!いや、君が言うんだ、根拠はあるんだろう』
「斎藤本人が、自分が使えるのはハンドガンだけだと言っていたのと、彼女は銃を左で構えるので…少し気になっただけですよ」


電話口のジェイムズは驚いたように声を震わせた。


『彼女が左利き…?食事やサインをする時は右手を使っていたと記憶しているが…そうか、腕時計は右につけていたしね…』
「いや、銃は左利きなのでしょう。私も普段の彼女は右利きであったと記憶しています」


表面上の彼女しか知らない者なら、何故か時計を利き腕につけているとしか思わないだろう。
何かと囮になりたがっていたあいつのことだ、何かあった際利き腕の錯覚で一瞬出来る隙をつく、なんて考えていたのかもしれない。
入局後ずっと鳥籠にいた彼女が銃を扱うところを見たことがある奴なんて、ほとんどいないだろうからな。


『となると、カイルが見たのは、銃を右手で扱う彼女ではない女性である可能性が…………』


そこで息を飲んだジェイムズが黙り込んだ。
身代わりとなった可能性のある女に、心当たりがあるのか。


「ジェイムズ?何か心当たりが?」
『あ、ああ…もしやとは思うが、彼女の母親の…SISMIの狼、斎藤レベッカだったのでは…』
「イタリアの諜報員か…」


本当に彼女の母親だったのであれば、撃たれたフリをして川へ逃げたとも考えられる。
だがSISMIの諜報員が都合良くアメリカにいて、都合良く娘を救えるのだろうか。
それも娘そっくりに擬態して。


「何にしろ、生きて日本へ帰ってくるのを待つしかないですね」
『そうだね…君の死ですっかり落ち込んでいるジョディ君に、これ以上の訃報は避けたいところだ』


片手でPCを操作すれば、フランシス・スコット・キー橋での事故のニュース記事が出てきた。
橋の中程で玉突き事故が発生し、次々に車が爆発……死傷者は50名以上。
銃撃があったとの目撃情報もあり、何らかの事件も関係しているとみて捜査、か。


『また新たな情報が入り次第連絡するよ』
「お願いします」


電話を切り、徐に懐から取り出した煙草に火を点ける。
ゆったりと吐き出した煙は、途端に溶けて消えていった。
辺りはまだ静かなままだ。


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