「………ん、俊……………起きてないと……」
暗い闇は生暖かくて、それでいて何処か切なさを感じさせるようなものだった。
揺さぶられたことによって急激に浮上した意識は、すぐに現実を見つめることが出来なかったが、ただ明確なのは夢でも現実でも求めたものは同じであったということである。
頭の下敷きになっていたせいで痺れてしまった腕を、伊月はそれへ向かって伸ばした。
「どうしたの?」
きょとんとした名前が、柔らかくその手を取った。
指先から浄化されていくような奇妙な安堵感を覚えながら、伊月は緩く頭を振ってみせる。
「寝ぼけてたみたいだ」
「爆睡だったもんね」
指を絡めて握り返すと、名前は何の疑いもなく握り返してみせた。
じわりと伝わる熱は、みるみるうちに体全体に巡っていく。
「何の夢か覚えてないけど、名前が出てきた気がする。部活の夢だったのかな…」
「そう言われると凄く気になるかも」
このまま芯に触れることが出来たなら、崩れ去る壁に歓喜したかもしれないと、伊月は自嘲気味に笑ってみせた。
肩を竦めるその姿を、名前はいつも通り瞳に映して、いつも通り受け入れる。
「そうだ、名前。悪いけどノート借りていい?」
「いいよ。私もうとうとしてたから、大事なところが抜けてるかもしれないけど」
「ずっと寝てたオレのノートよりはしっかり書いてるだろ」
ほら、と広げられた伊月のノートは、普段の彼からは想像が出来ないぐらい真っ白だった。
授業開始早々睡眠学習───もとい睡眠練習へと旅立った証拠である。
「最近お疲れだしね、皆」
「それは名前も同じ」
名残惜しげに解いた指で、丸い頭を呼ぶ。
疑問符と共に距離を縮めた名前の頭に、試合を操る手が乗せられた。
「疲れた顔してるけど。何かあった?」
「………女の子には色々あるんだよ」
そうはぐらかした名前の表情に、憂いは見えない。
何の変哲もない人当たりのいい笑みだ。
この裏表ない雰囲気が彼女の魅力であり、好かれる理由なのだろうと納得する一方で、伊月は透明な境界線に歯痒さを感じていた。
その要塞は、教科書や参考書を見ても書いていない公式を、自ら組み立て適したときに応用しなければ解けないパスワードが何重にもかかっているようなのである。
「いつか、名前が全部教えてくれる日が来るって信じてるよ」
「皆に迷惑かけたくない」
「それを迷惑だって思わないようになる日が来るって信じてる」
「……?」
「オレ、本気だから。後ちょっと頑張ろうな」
疑問符たっぷりで流されるまま名前が頷くと、ちょうど6限開始のベルが鳴り響いた。
無機質なそれはすっかり聞き慣れてしまった音だったが、1時間睡眠をとった伊月の頭と目はこれ以上ない程冴え渡っているようだ。
対する名前はとりあえず席に戻ったものの、分かるような分からないようなやり取りでより一層悶々としてしまっていた。
そんな燻る2人を横目に、2人をよく知る友人はそっと溜め息を零す。
「起こさなかった方が良かったかもね、名前」
教師が教室へ入ってきた。
こうして何事もなかったかのように、6限の授業が始まったのだった。
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