それはただの事故だった。

しかし名前にとって、肉体的ではなく精神的に大きなダメージを与えるものだった。


「名字ごめん!まじごめん!」

「…………いやほら、私もちゃんと前見てなかったし、そんなに気にしないでよ小金井」

「でもそれ……」


昼休みの喧騒の中、冷たい廊下に膝をついたまま動けずにいる名前と、その彼女に真摯に謝り続ける小金井。

クラスは違うものの、中学が同じで仲の良い2人が話をしているのは日常茶飯事ではあるが、雰囲気の違いに周りの友人たちも騒がしくなる。


「今年もその時じゃなかったってことでしょ。まだ当分片思いでいろ、って神様のお告げかもね」

「誤魔化すなって」


思いの外真面目な声で諭されたせいで、名前は視線を落としたまま口を噤んだ。

事の経緯は、ただただ不幸が重なっただけなのである。

2─Dの教室を覗き込もうとした名前と、出ようとした小金井の2人は鉢合わせることとなり、それはごく自然な流れでぶつかってしまった。

その時、名前の手にはラッピングされたバレンタイン用の手作りチョコがあったのだが、ぶつかった拍子に床へ落下し、ものの見事に下敷きになってしまったのである。

中を開けてみなくても、この日のために作った生チョコを収めた箱は凹んでしまっているから、チョコ自体悲惨なことになっているだろうし、この様子だと中に入れたメッセージカードも汚れてしまっているだろう。

彼への思いを込めて作って早何年───今年はどうも渡せそうにない。


「…水戸部」


小金井の小さな声に、名前はハッと顔を上げた。

困ったように眉を下げた水戸部が、名前と小金井を交互に捉える。

小金井は肩を竦めて言った。


「オレは大丈夫。それより名字が…」

「……!?」


途端、水戸部は慌てて膝をつき、名前の顔を覗き込むように手を伸ばした。

優しく背に触れた大きな手に、安堵と共に言いようのない寂寥感のようなものが湧き上がってくるのを感じながら、名前はゆっくり頭を振ってみせる。


「小金井ったら、変に盛るのやめてよね。水戸部心配性なんだから。ちょっとビックリしただけだし、怪我なんかしてないよ」


不安を吐ききるように、水戸部がほっと息を吐いた。

続いてそんな彼の視界に飛び込んできたのは、ひしゃげた袋だ。

愛らしい小さなハート模様のラッピングバックの中に、歪な形の何かが入っているのが分かる。

それが今旬のイベント、バレンタインに関するものだというのは想像に容易い。

目を瞠る水戸部に気付いたのだろう、小金井は落ち込んだ様子で踵を返す。


「ごめん水戸部。後でいくらでも謝るから…今は任すね」


小金井が席を外したのに気付いているのかいないのか、水戸部はそっとその袋を拾い上げた。


「あぁそれ………私たちが怪我しなかった代わりに犠牲になったって言うか、何て言うか」


水戸部は黙って名前を見る。

その双眸から伝わってくるのは、物悲しさと言うよりは葛藤のようなものだった。


「水戸部がそんな顔しないでよ。こうなる運命だったんだって。捨てるから貸して」


名前は手を伸ばした。

水戸部は頭を振る。

名前が催促するように名前を呼んだ。

それを大事そうに抱え、水戸部は再度頭を振った。


「水戸部ってば…」


捨てるつもりなら、もらっていいかな?


「何言ってんの?」


捨てるつもりなら、もらっていい?


「私小金井じゃないから、何言ってるか分かんないよ」


もらって、いい?


「………………そんなことになってていいなら、貰ってやってよ」


ありがとう。


「……………………来年、また頑張るね」


うん、待ってる。


瞳を潤ませながら礼を言った名前の前で、水戸部はそれは優しく微笑んでみせた。


  return  

[1/1]
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -