09(2/2)
「好きみたいなんだ、名字が」
良い方へ転がった言葉は、淡く重く染み渡っていく。
「うそ……」
「ごめんな、俺ばっか喋って。今言っとかないとずっとモヤモヤしそうだったから」
瞬きすら忘れてしまった名前を横目で捉えると、伊月はすっと腰を上げた。
「帰ろうか。付き合わせちゃったし、送るよ」
そしてそのまま出口へと足を進め始める。
名前はすぐに追いかけることが出来なかった。
少しずつ遠ざかる彼の背は、今までのこともリセットしてしまうかのように小さくなっていく。
「待っ…待って下さい、伊月先輩!」
思ったよりも勢いよく飛び出した言葉は、暗がりの公園によく響いた。
名を呼ばれた伊月も驚いたように目を瞠っている。
「私にも喋らせて下さい」
そっと握った手に力を込めると、朱に染めた頬はそのままに言った。
「先輩だけにスッキリなんかさせません」
このまま言い逃げされては、一生後悔する。
その確信があったからこそ、名前は小走りで彼の元へ駆け寄った。
いつもはコート内を的確に監視している2つの瞳は、自分より小さな獲物を前にしているにも関わらず不穏に揺れている。
波打つ白波を掻き分けた本人は、胸の前で強く両手を握り締めた。
それはけして祈りの形ではなく、その喧しく動く先に溜まった感情を全て纏めて包み込むようだった。
「私、先輩の彼女になりたいなんて言いません。いえ、言えません。でも、それでも………ずっと先輩を見ていたいです」
今にも泣き出しそうな程に頬を真っ赤に染めた名前の言葉は、伊月にどれだけ届いたのだろうか。
「伊月先輩が、好きなんです」
すぐに返事はなかった。
遠くから聞こえる喧騒が暫くの間BGMとして働いていたが、それをかき消したのは伊月の方だ。
普段はボールを操る、綺麗だがしかし逞しい手を伸ばすと、すっかり熟れてしまった名前の頬へと添える。
確かな熱を感じながら、それは優しく彼は言った。
「暗くても分かるぐらい真っ赤だな」
「それは…っ」
「ありがとう。それぐらいちゃんと俺のこと考えてくれてたんだなって思うと……嬉しいよ」
ふわりと微笑んだ伊月の頬も、きっと赤く染まっているのだろう。
それを自分の目で確かめる前に、名前は温かい腕の中へと捕らえられていた。
噛み締める幸せと、相反する恐怖。
2人は今、確かに幸せだった。
← return