08(1/2)
名前は出来るだけ早く足を動かした。
一刻も早くあの場から離れたかった───離れなければならなかった。
部活開始までまだ時間はある。
準備に取り掛かるのは、もう少し後でも遅くはないはずだ。
「え…?」
息を切らした名前は、胸を上下させながらも思わず疑問を口にした。
勢いだけであの現場から駆け戻ってきたわけだが、先程まで施錠されていたはずの体育館からボールの跳ねる音が聞こえてくるではないか。
慌てて中を覗き込むと、そこにいたのはいつものように個人練をしている主将だった。
「日向先輩…!おはようございます」
「おー、名字。はよ。今日も早いな」
咄嗟に頭を下げて挨拶をすれば、手を止めた日向は片手を上げてそれに答える。
名前が来たときは部室も体育館も静まり返っていたはずだが、いつ入れ違いになったのだろうか。
「そーいや、伊月見なかったか?部室前にカバンだけ置いてあんだけど」
日向からすればふとした疑問だったはずだが、名前は大袈裟なまでに息を飲んだ。
まさかつい先程彼の告白現場を目撃し、逃げるように戻ってきただなんて言えるはずもない。
躊躇いを見せた名前が肯定も否定もする前に、後ろから柔らかい声がかかった。
「日向、名字、おはよ」
「お、伊月か」
面白いまでに肩を跳ねさせた名前が振り返る。
いつもと変わらぬ様子の伊月は、「どうした?」と首を傾げた。
先程見掛けた告白など、最初からなかったかのように。
「あの………おはようございます」
一瞬の間の後に挨拶を返し、名前はまた逃げるように用具倉庫へ駆け込んだ。
一目散にマットへ飛び込むと、深呼吸。
今日は色々とタイミングが悪かった。
そう、タイミングが悪かったのだ。
言い聞かすように再度深呼吸すると、名前は姿勢を正し辺りを見渡した。
スコアボードやコーンの準備はいつも通り男子に任せるとして、マネージャーとしてはスコア表とノートの準備と、ドリンクと練習用の各種ボール類を出さねばならなかったはずである。
後は出来れば、人数が少ないうちに体育館内の空気を綺麗さっぱり入れ替えてしまいたい。
次から次へと仕事は山程あるというのに、名前の脳裏には絶えず彼の姿がチラついていた。
「…もう」
苛立ちの中に混ざる甘さに気付き、名前は肩を落とした。
これは重症である。
諦めたような微笑を漏らして立ち上がった名前の瞳は、真っ直ぐ前へ向けられていた。
マネージャー業開始である。
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