私にとって、総ちゃんは最高愛獲ではなく王子様だ。

トシさんにはちょっと意地悪なところもあるけれど、年齢も近いせいか私には何だかんだで凄く優しい。

それに兄さんが死んだときも「近藤さんは僕を守って死んだ。だから近藤さんの分も僕が名前を守るよ」って言って、自分を責めながらもずっと私を慰めてくれたのだ。

つい先日も、メリケンのロックスターであるジュニアが私と総ちゃんを世話係に指名したときに、「世話係なんて僕1人で充分だよ。だから名前は絶対黒船には近付かないで」って言って、私を庇ってくれた。

ジュニアのロックには人を惹き付ける力があったし、女の子なら一度は言われてみたい甘い台詞を惜しげもなく言ってくれるところは素直に凄いと思っていたけど、それと同時に私が彼に苦手意識を抱いていたのを総ちゃんは看破していたらしい。

あの舐めるような視線も、痺れるような声も、躊躇いのない自信に溢れた仕草も、何故か恐怖しか感じなかったのだ。








でも私は今、総ちゃんの言いつけを破ってジュニアに会うために黒船に来ている。

私だって来たくはなかったけど、今度の雷舞の予定を伝えるために仕方なく、今彼がいるらしい此処に来たのだ。

この黒船に来ることを許されているのは、新選組では総ちゃんと私とトシさんだけ。

言わずもがな総ちゃんは世話係として彼と一緒にいるし、トシさんは最近何故か用事が済むと屯所から姿を眩ませるから、選択肢が私しかなかったのである。


「名前…!?」

「総ちゃん…」


煌びやかな船に足を踏み入れるや否や、ちょうどいいタイミングで角から顔を出した総ちゃんと鉢合わせた。

彼はその綺麗な顔に驚きを浮かべると、勢い良く私の腕を引いて近くの部屋へ入る。

一瞬見えた内装は金を基調とした異国の家具だったように思うけど、あっと言う間に視界が白い隊服に覆われて答え合わせは出来そうにない。

ムッと不満そうに眉根を寄せた総ちゃんは、私の背を入ってきたばかりの扉に押しつけると、逃げ場を塞ぐようにその左右に両手をついた。


「何で此処にいるの?絶対近付かないように言ったはずだけど」

「今度の雷舞の資料が出来たから持ってきたの。此処に入れるの私しかいなかったから」

「土方さんは?」

「出掛けてるみたい」


総ちゃんの機嫌が益々悪くなったのが分かる。

せっかく庇ってくれたのに、それを無駄にするようなことをしているのは申し訳ないけど…これは必要なことだったし、何もないうちに逃げ帰れば問題はないだろう。


「僕の苦労を無駄にする気なの?有り得ないんだけど」

「ごめんね、総ちゃん。でも…」

「ごめんで済む問題じゃないし、って言うか意味分かってないでしょ」

「総ちゃんの厚意が無駄になってるのは分かってる」

「何でそんなニアミスなの…」


総ちゃんの白くて細くて骨張った指に、グイと顎を鷲掴まれる。

覗き込んでくる紫に目を奪われていると、その下の薄く色付いた唇が動いた。


「名前のせいで疲れちゃった。だからさ…癒してよ」

「……!?」


端正な顔が近付いてくる。

自由な腕で逞しい胸板を押し返しながら、私は思い切り顔を逸らした。


「もう、総ちゃん…!」

「名前が悪いんだよ。せっかく僕が犠牲になって遠ざけたのに、ノコノコ食べられに来ちゃってさ。アイツに手籠めにされるぐらいなら、先に僕が手籠めにして一生外に出られないようにするよ」

「何言って…!?」


総ちゃんの考えが飛び抜けすぎて意味が分からない。

嫌だと抗っていた腕が、総ちゃんの大きな手によって胸の前で一纏めにされる。

濡れて揺らめく綺麗な紫が、私を見下ろしながらゆっくりと形を変えた。


「ねぇ、食べていい?」

「総ちゃ……」

「いいでしょ?名前」

「っ…!」


背を屈めた総ちゃんの唇が、引きつった声しか出せない私の喉に触れる。

その薄い皮を突き破らんとするように、温かくて柔らかい何かが触れたかと思うと、すぐに固い感触がした。

それは可愛らしい接吻や戯れなんかじゃない。

補食するものとされるものの、一瞬。


「助けて兄さん───!」


私が兄さんに助けを求めながら泣き始めたら、総ちゃんはいつもの総ちゃんらしく優しく私を抱き締めてくれた。


「ごめんね。名前が可愛くて、つい意地悪しちゃうんだ。もう怖いことしないから」


しゅんとした柔らかい声が耳元に吹き込まれる。

頬を擽るサラサラの髪も、仄かに香るいい匂いも、隊服越しに感じる筋肉のしっかりついた男らしい体つきも、私の王子様のものに違いない。

それに安堵しながらも泣き続ける私をあやしつつ、妖艶なまでに美しいその容をたっぷり歪ませた総ちゃんが楽しげにほくそ笑んでいたなんて、私は知る由もなかった。

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