荒んだ田舎町に佇むこの廃墟はほとんどが闇に覆われていたが、崩れた屋根の隙間から射す太陽の光に照らされた数ヶ所は、キラキラと砂埃が輝いていた。

淀んだ空気はけして体にいいものではなさそうであるし、好き好んでこの廃墟へ足を踏み入れる者はいないであろう、独特の重苦しい雰囲気に包まれている。


「僕が怖い?」


歪みきった建物内に響いたのは、洗練された甘い声だった。

高くも低くもないその声の主は、甘い声にぴったりな蠱惑的な笑みを唇へと貼り付けている。

その笑みを絶やさぬ青年は、残酷な程に美しかった。

鳶色の少し長めの髪に、同色の知的そうな双眸。

これらに加え、すっと通った鼻筋や引き締められた唇、きめ細やかそうな白い肌、細いが逞しいシルエットの体躯。

この世に存在するどんな造形物よりも、神に一物も二物も与えられたこの男の方がよっぽど美しく、そして───恐ろしかった。

見目麗しく麗人と間違われることもある彼は、見た目は天使の如くであるが、中身は悪魔の如く酷薄なのだ。


「答えられないかい?名前」


沈黙に痺れをきらしたのか紡がれた自分の名に、暗闇の先が揺れる。

自身を守るように、両手を胸の前で組み、身を縮こませていた名前が息を飲んだからだ。

悪魔と同じ空間にいる彼女にとって唯一の救いは、この廃墟の暗さのおかげで、天使のような彼の美貌が見えないというところかもしれない。

声が反響して分かり辛いが、少し距離も離れているようである。

───まあ、結果は何も変わらないかもしれないが。


「ああ、名前にとっては沈黙は肯定だったね。分かりやすい子は嫌いじゃないよ」


愉快そうな微苦笑を漏らしながら、青年は流れるように言う。

だが次の瞬間、彼の周りの空気が凍りついた。


「こっちへおいで」


肌で感じる外気の変化に、名前は更に身を固くした。

優しい言葉で包まれているが、これは命令なのである。

それに、例え彼女が自分の意思で動こうとしなくても、彼の手にかかれば文字通り操り人形となってしまう。

つまり名前に残された道は、素直に頷き、重く地に貼り付いてしまっている足を無理矢理にでも動かすしかないのだ。


「そう、いい子」


だだっ広い廃墟に、ゆっくりとした靴音が響く。

暗闇の中、時折射し込んでいる光と声だけを頼りに少しずつ距離を縮めてくる彼女を鳶色の瞳に映して、青年は舌舐めずりせんばかりに心を躍らせていた。

後3メートル、後2メートル。


「……ねえ、ディートリッヒ。どうして…」


彼───ディートリッヒの前まで来ると、小動物の如く震えている名前が漸く口を開いた。

恐怖からか、乾いてしまったその声は、小さく掠れてしまっている。


「どうして───なんだい?」


先を促しながら、ディートリッヒは彼女の頼りない腰に手を回して引き寄せた。

びくりと体を跳ねさせ身じろぐ名前に構うことなく、彼は笑みを浮かべたままの唇をそっと彼女の耳朶へと寄せる。


「ねえ、名前」


これが普通の、一般女性であったら、うっとりとした満足げな吐息を漏らし、その喜びに浸りながら意識を飛ばしていただろう。

しかし名前は普通の女性でもなければ、一般女性でもないため、か細い声で恐怖と嫌悪を訴えながら、この男の腕の中でひたすら耐えることしか出来ない。

いっそ気を失ってしまった方が楽かもしれないが、彼女の精神はそこまで希薄なものではなかった。


「…どうして…何故……」


頬を伝う涙を拭いもせず、名前は小さく吐き出した。

その間も手中へ招き入れた彼女の背を慈しむように撫で、小刻みな震えが治まらないその美味そうな首筋へ悪戯に唇を押し当てながら、天使のような悪魔は当然と言わんばかりに平然と言いのける。


「何故って……君のことを愛しているからだよ」


違う、と言いたげに、名前は否定を示して頭を振った。

体を離したディートリッヒは、細長く一見華奢にも見える手指を名前の頬から顎へと滑らせ、軽く力を込める。

ほんの少しの力で持ち上がった顔は恐怖と嫌悪、そして困惑で引き攣り濡れてしまっているが、彼は気にすることなく、今度は愚図る幼子をあやすかの如くその涙を拭っていった。


「例の神父がこちらへ到着するのは今から1時間後だ。それから君は言われた通りに動いて───最後に僕のところへ戻ってくればいい。簡単だろう?」


返事を紡ぐ間もなく、名前の血の気の引いている唇は男の整ったそれに塞がれた。

見た目からは想像も出来ない程の獰猛さを垣間見せる悪魔は、二度、三度と啄むようにそこに触れた後、潤いを取り戻させるように丁寧に舌を這わせていく。


「ディー…ん、っふ…ぅ…」


息苦しさに身を捩る名前を逃がすはずもなく、隙間なく体を寄せたディートリッヒは隅々まで食らいついた。

勿論、自身の名を呼ぶその声も全て。


「や、ぁ…んん…ッ」


後何度捕食すれば、彼女は堕ちるだろうか───そんな計算も片隅で行いながら、頭の出来が数段上な彼は、愛しい愛しい獲物を少しずつ着実に味わっていった。



  return  

[1/1]
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -