「主、苦しくはありませんか?」

「ん…大丈夫です。ありがとう、長谷部さん」

「いつも申しておりますが、礼など不要です」


ぐったりと沈んでいた褥から体を起こした名前は、気怠げではあるが嬉しそうに微笑んでみせた。

名前の背を支えるカソック姿の長谷部は愛おしげに目元を和らげると、彼女を自身の胸に凭れさせるようにして褥の上へ腰を下ろす。


「長谷部さ…」

「俺を背凭れにすれば食事もしやすいでしょう」


名前は節々が痛むせいで動かしにくい首を捻って彼に訴えるも、常日頃から過保護な長谷部は意見を曲げようとはしなかった。

広々とした室内はただ広いだけで閑散としていて、生活感はない。

しかし、ぽつんと中央に敷かれた布団の周りには、薬や水、清潔な布など、この部屋の主の体調を窺わせる物が備えてある。


「名前、僕だ。入るよ」


声と共に静かに襖を押し開いたのは、隻眼の男───光忠だった。

その端正な男らしい顔立ちには一見不釣り合いなぐらいなはずなのに、白地に青のラインが入ったシンプルな前掛けがやけに似合っている。

それは勝手場を任されている彼からすればもはや普段の装いであり、今も手慣れた様子で部屋へと踏み入れると、長谷部の胸に背を預ける主君の傍らに仄かに湯気の立ち上る土鍋と可愛らしい小花柄の茶碗、そして蓮華が載る盆を置いた。

どっしり構える土鍋の中は、きらきらと純白に輝く米───粥だ。

部屋の主にしてこの本丸の審神者でもある名前は、風邪を拗らせ静養中なのである。


「主、食事が届きました。無理はせずお召し上がり下さい」

「…………はい」


長谷部に促され、名前の視線が土鍋へと注がれる。

しかし、光忠に差し出された茶碗を、彼女はなかなか受け取ろうとはしなかった。


「名前?」

「ごめんなさい、光忠さん。凄く美味しそうなんですが、食欲があまりなくて…」

「そうだろうね。でも、薬を飲むためにも食べて欲しい」


線香花火を思わせる瞳が名前を射抜き、切なげに歪む。

そして手元の茶碗からほんの少しの粥を蓮華へ取ると、ふー、と息を吹きかけた。


「………口を開けてもらえるかな?」


鍛え上げられた腕が名前の口元へ伸びる。

おずおずと躊躇いがちに開いた唇へ迎え入れた粥は、風邪で麻痺した味覚でも美味いと感じさせるものだった。


「…やっぱり光忠さんのご飯は美味しいです」

「ありがとう。そう言ってもらえると作った甲斐があったよ」


ふわりとはにかむ光忠につられて、名前はその後も無理はしない程度に粥を口に運んだ。

───正確には、甲斐甲斐しく世話をする親鳥のような光忠に食べさせてもらっていた、だが。


「じゃあ僕は後片付けしてくるよ。こっちのことは全部しておくから、名前はしっかり休んでね」

「はい。ありがとうございます、光忠さん」

「礼を言うのはこっちだよ。いつも面倒ばかりかけてるんだから」


長谷部くん後は頼むよ、と言い残して、光忠は食器と共に去っていった。

結局かなりの量を残してしまったわけだが、光忠が嫌な顔もせず寧ろ嬉しそうであったのは、やはり自分の手から食事を取ってくれた喜びからなのだろう。


「…失礼します」


出番がないからと食事中ずっと名前を背後から見守っていた長谷部は、光忠を見送った後断りを入れてから彼女の前髪をそっと払い、そこへ大きな掌を押し当てる。

熱が下がっているのを確認すると、素早く身を翻し傍らに跪いて、名前をゆっくり褥へと横たえた。

食事を取り薬も飲んだおかげか、名前の顔色は幾分良くなったようだ。


「先程より熱は引いたようですね」


低く深く甘く響いた声が、風邪と戦う名前の体へ染み渡っていく。


「後のことは俺達にお任せ下さい」


あやすように頭を撫でられ、名前は口元まで掛け布団を被りながら不満そうに目を逸らせた。


「何だか私、子供みたい」

「俺達からすれば子供ですよ」

「それは……そうでしょうけど…」

「ですから甘えて下さい。この長谷部、主命とあらば何でもこなしますよ」

「長谷部さんはいつもそう仰いますね」


この本丸には長谷部や光忠の他に仲間達が何人も暮らしているが、長谷部の主への忠誠心はかなり上位であると思われる。

そのため、近侍として名前の傍にいる機会も多かった長谷部は、主を甘やかすことが得意であったし、また甘やかすことを一番の褒美としているようだった。


「……名前」


突如聞こえた自分の名に、名前はぴくりと目を瞠る。


「眠る前にご命令があれば伺いますが」


声の主は、彼女を見下ろしながら頭を撫で続けている長谷部だ。

意地悪い程に整ったその顔に思わず見惚れていると、これまた意地悪い程に形の良い唇が弧を描いた。


「……では、眠るまで此処にいていただけますか」

「それだけで宜しいのですか?」

「……出来れば、手を握っていて欲しいです」

「それから?」

「……目を覚ましたときも、此処にいて下さい」

「畏まりました」


長谷部の大きく骨張った手が、どこか頼りない名前の白い手に重なる。

それを合図に、名前は瞼を下ろした。


「良い夢を───名前」



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