「君、本当にノイトラと付き合っちゃったのかい?」
「えへ…」

ザエルアポロは彼女の嬉しそうな顔を見て、大きくため息をついた。
なまえとノイトラが付き合い始めたという(胸糞悪い)噂が耳に入った。そんな訳だから、態々真相を確かめにザエルアポロはこのクラスへやって来たのだ。
彼女の反応を見る限り、どうやら真実らしい。
仕方ないので、目の前で可愛らしく頬を染めたなまえを見下ろして、柔らかい髪の毛をするりと撫でた。

「全く…見かけによらず、男の趣味が悪くて困るなぁ」
「オイ、負け犬はすっこんでろ」

ザエルアポロがなまえに触れた途端、様子を見守っていたノイトラがすかさず2人の間に割って入った。ザエルアポロの腕を掴み、恐ろしい程に鋭い視線を浴びせた。
ザエルアポロは片眉を吊り上げ、不敵に笑い、掴まれた腕を振り払う。
この動向を見守っていた教室中もつい息を呑む程の迫力であった。

「…怖い怖い。余裕のない男って嫌になるね。なまえちゃん、コイツに飽きたら、いつでも僕に連絡を頂戴ね」
「させるか!バーカ!」

ノイトラはザエルアポロへ精一杯の威嚇をしながら、なまえの小さな体を奴から遠ざけた。ザエルアポロはひらひらと手を振って特進クラスへと戻ってゆくが…油断のならない男である。

「…平気かよ。アイツしつけえからよ」
「大丈夫、ノイトラくん来てくれたから…」
「おぉ…」

嬉しそうにモジモジされると、ノイトラも一緒になって照れそうになる。そォかよ、と小さく返事するしかできない。
可愛すぎる彼女を持つと、色々と大変なのである。



あの日からなまえとノイトラは正式にお付き合いを始めた。
が、特別変わった事は無い。今まで通り仲良しで、強いて言えば少しスキンシップが増えたくらいだろうか。

ノイトラとしては、もう少し距離を縮めたいのだが…。

あれから、手が触れるだけでなまえは顔を真っ赤にしている。
彼氏という肩書きになったノイトラに、まだ慣れていないらしい。そんな無垢な可愛らしさを見てしまうと、ノイトラだって照れてしまって、色々と遠慮してしまうんだな。
本音を言えば、問答無用で服を剥ぎ取りたいと思ってはいるが。
そんなことをしたら嫌われちまうからなァと我慢しているのだ。ノイトラには理性があるので。
そういえばと思って、ノイトラはなまえの肩を抱いた。

「…今日の帰り、空いてんだろ」
「!空いてますっ」
「どっか行こうぜ」
「うん!」

万が一にも無いとは思うが。
他の野郎に絶対取られないよう、しっかり可愛い彼女を楽しませなきゃなと、そう思ったのであった。



そう思ったのだが…。
さあデートだ!と、ウキウキしていた帰りのホームルーム。
ノイトラは担任のてっちゃんから呼び出しを食らった。

「えー、ホームルームは以上になります。気を付けて帰るように。
で、ノイトラはちょっと先生についてこい」
「は?」
「良いから」

ノイトラは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして立ち上がる。
なまえが心配そうに振り返るので、更にバツが悪くなるが、先生の呼び出しを無視するのは良くない…。
隣のグリムジョーは悠々と「ご苦労なこった。じゃアな」とさっさと教室を出て行った。
クソッ!
お前も呼び出し喰らいそうな顔してる癖に!

「…悪い、少し待っててくれねえか?」
「全然大丈夫だよ。その間、教室で課題やっちゃうし!」
「悪いな、マジで」
「ううん。大丈夫」

健気な笑顔に励まされたノイトラは、超特急で担任の後を追いかけた。
そのまま「失礼シャス…」と職員室に入ると、猛攻撃を喰らった。
教科担当の先生たちが、未提出の宿題やらプリントの山を渡して寄越しながら、重い重いお説教をかましてくれたのだ。
本当なら、知るかよの一言で済ませたいけれど、なまえを待たせている手前そうはいかない。早く職員室から脱出しなければならないのだ!
ノイトラは神妙そうな顔をして「スンマセン」と言ってはプリントを受け取り続けた。
職員室を出る頃には、まあまあ厚い紙の束が出来上がった。
これを全て解いて提出ししろと言われた。
しかも、2週間以内に。

無理だろ…。

軽い絶望を覚えながら、フラフラと教室に戻った。教室には可愛いあの子がポツンと1人で待っている。

「待たせたな…」
「大丈夫だよ。…あれ?なんか窶れてない?」
「…職員室行ったからな。あそこ健康に悪そうなニオイするんだよなァ…」
「ふふ、確かにノイトラくんには向いてないかもね」
「俺、固っ苦しいの嫌いなんだよ」
「でもさ、ノイトラくんがカチッとしたスーツ着てるのは見てみたいかも」
「マジ?じゃ買うわ」
「はやっ!」

これこれ。可愛い女の子とこうやってじゃれてるのが一番楽しい。
ノイトラは窶れていたのも忘れて、いつもの調子に戻った。

「待たせて悪かったな。行きてェとこあっかよ」
「んー…あのね、アイス食べたい!」
「おし、好きなの頼めよ。端から端まで頼んで良いぜ」
「豪華だねえ」

長袖だと少し汗ばむような放課後であった。2人は仲良く繁華街の方面へと歩いてゆく。話はアイスで持ちきりだ。

「いつもの仲良しともアイスとか食いに行くのか?」
「うん、行くよ。でも、いつ行っても同じの頼んじゃうんだよね」
「あー、分かるわ。俺もそォだな。浮気しねえタイプだからよ」

浮気しないタイプ。
これは彼女と付き合う時にも宣言したのだ。多分チャラいと思われてるだろうなと自覚があったので、ノイトラは先に言っておいたのだ。
チラリとなまえの表情を窺うと、案の定頬を赤く染めて、嬉しさを隠せないふやふやの笑顔を浮かべていた。

「うれしー」
「なまえも浮気すんなよ。しねえと思うし、ぜってェさせねえけど」
「私も、浮気しないタイプだもん」
「なら良し」

今すぐ抱きしめたい気持ちをどうにか堪え、なまえの頬を指でつつくので我慢した。ついでに小さい頭をグリグリ撫でて遊んでいると、学校なんて遥か後ろの方に霞んでいる。
楽しい楽しい放課後の始まりだ!

暫く歩くと、ふと冷たい風が吹いた。見上げれば厚い雲が空を覆っている。これは降るかもしれねえなと思うと、案の定、雨粒が頬にポツリと落ちた。

「雨だ」
「あ、わたし今日傘忘れちゃった…」
「俺も持ってねえわ」

2人は歩みを速めたものの、雨粒は次第に大きくなり、バラバラと音を立ててアスファルトを濡らした。

「ヤベェな…」

制服の上着をなまえに被せる事も考えたが、少し先に古い喫茶店があるのをノイトラは見つけた。
あそこで雨宿りするしかあるまい!

「なまえ、あそこ入ンぞ!」
「わかった!」

2人は駆け足で古い喫茶店の重い扉を開き、どうにか中に滑り込んだ。
中は薄暗く、オレンジのランプが暗い木目調のテーブルを照らしていた。
カウンターの向こう側でグラスを拭いていた店主は、息を切らして入ってきた2人を見て驚く事もなく、静かに「好きなお席にどうぞ」と声を掛けた。
ノイトラはなんとなく、1番端にある窓際のボックス席を選んだ。

「少し濡れちまったな」
「ね。ノイトラくん大丈夫?」
「俺ァ平気だ」

しかし…。
なまえの少し濡れた前髪が、少しだけ重く額にかかっている。それがなんとも言えず可愛い。
というか、どことなく色っぽい。
男の子は濡れた髪の毛ってのを見ると、ついつい風呂上がりを連想してしまうんだな。
当然そんな事は言えず、ノイトラは冷静を装ってメニュー表を開いた。もうメニュー表の1番上の「アイスコーヒー」の文字以外読めないくらい興奮していた。なまえはノイトラの熱を帯びた視線にも気付かず、メニュー表を見て「どうしようかな」と呟いた。
その唇を今すぐ奪いたい衝動に駆られる。
本音を言えば、対面ではなく、隣に座らせて抱き寄せたい。そのまま唇を奪って服の下に手を差し込みたい。なんなら膝の上に乗せて好き放題してやりたい。

が、今じゃねえ。今じゃねえんだ…!

ノイトラが必死に煩悩と闘っている間に、なまえは「プリンと紅茶にする!」とメニューを決めた。ノイトラはハッと我に返って店主のおじさんにオーダーをした。

「古い喫茶店って、雰囲気があって良いね」
「ああ。暗いと落ち着くしなァ」

暗いと興奮しちまうなと言いそうになった。
危ない危ない…。
ノイトラはもうダメだった。大好きな彼女がちょっと色っぽい。更に、暗い喫茶店。ボックス席。他に客は居ない。
何も起きないワケが無え!

「そうだ、鞄とか濡れてない?」
「多分…ウワ、課題出て来ちまった」

ノイトラが鞄を確認すると、さっき先生たちから渡された課題の束を見つけてしまった。テーブルにそれを広げてみると、皮肉な事に一枚も濡れていなかった。
そうだ、すっかりコレを忘れていた。興奮していたノイトラだが、プリントの束の厚みに萎えてしまいそうだった。

「結構多くない?」
「クッソ多い。2週間以内に提出だとよ」
「……そっかぁ」
「無理だよなァ…」

店主が2人の席に近付いてくる。ノイトラは忌々しいプリントをテーブルの端に追いやったが、なまえはそれを見て、何か考えているようだった。

「プリンと紅茶…と、アイスコーヒーですね」

店主はそれらを手早く置いて、また元のカウンターに戻ってゆく。窓の外は、まだ雨のようだ。
バタバタと雨粒の落ちる音が響いている。

「わあ、プリン美味しそう!」

なまえの前にはフルーツや生クリームの添えられたちょっと豪華なプリンが置かれている。古き良き喫茶店らしいメニューである。ノイトラも素直に良いなと思った。

「色々乗っかってて良いじゃねーか」
「ノイトラくん、一口食べなよ」
「口移しかァ?」
「スプーンで!」
「つまんねーな」
「つまんなくないよ」

なまえは餌付けをするように、ノイトラにプリンをあーんした。つまんねえなと不貞腐れたものの、これはこれでノイトラも嬉しい。なまえもなんだか楽しい。

「うめェ」
「私も食べよーっと」
「そォだ。俺もあーんしてやるよ。スプーン貸せ」
「あっ」

ノイトラはなまえの手からスプーンを奪い、わざと大きめにプリンをすくって口元に運んだ。

「ホラ、食えよ」
「一口が大きくない?」
「あ?普通だろ。フツー」
「おっきいよ!」

おっきいよ。
ノイトラはその一言でまた煩悩モードにスイッチが入った。健全な男子高校生であると言わざるを得ない。
なまえは大きく口を開けてどうにかスプーンを咥えた。それもまたノイトラの煩悩を刺激した。
なんかエロい…。
ここでなまえに襲い掛からない自分を誰かに褒めて欲しいと、強く思った。

「あ、そうだ」
「どしたよ」
「あのね、ちょっと考えたんだけどね」
「おお」

なまえはスプーンを取り返し、ちまちまとプリンを食べながら話し始めた。
窓の外は相変わらず酷い雨で、強く吹く風の音も時折聞こえてくるではないか。

「今度、ノイトラくんのお家でそれ一緒にやろうよ」
「…マジで言ってんのかよ」

ノイトラの頭の中で、何かが音を立てて爆発した。
勉強。
俺の部屋。
2人きり。

「1人だと大変じゃない?2人ならすぐ終わるよ」

そうしようよと微笑むなまえを見て、ノイトラはとうとう我慢ならなくなった。頭がクラクラしそうだ。
可愛すぎる彼女からのお誘いって、こんなに男をダメにするのか。

「でも俺の部屋アレだからな… 」

ノイトラはわざと小さい声で言った。
雨の音もあり、聞き取れなかったなまえは「なあに?」と言ってノイトラに顔を近付けた。
同じようにノイトラも彼女に顔を寄せる。長い腕がするりと伸びて、なまえの後頭部に手を添え、逃げられないよう緩やかに固定する。
まだ訳が分かっていない様子のなまえに、ノイトラは優しく唇を重ねた。それから、少しだけ角度を変えて彼女の柔らかい唇を啄む。
暫くその感触を堪能すると、やっとノイトラは唇を離した。

「…俺の部屋来たら大変だろうけど、来いよ」
「…ぁ、あのぅ」

なまえは顔を真っ赤にして固まっている。
驚きと恥じらうような表情が可愛くて、もう1発、今度はドギツイのをかましたくなる。
やっぱり好きな子には意地悪をしたくなってしまうのがノイトラだった。

「これくらいでそんな顔してよォ…俺の家、来れんのかよ」
「だって、宿題するだけだもん…」
「何言ってんだ?もっとスゲェ事すンだよ」
「…」

なまえは絶句してから、細い声で「やっぱりキャンセルで…」と熱い頬を手で覆っている。

「ダメだ。キャンセル無し」
「や、まって、だって…」
「俺に1人でこの量のプリントやらせようってのか?あ?」
「がんばって…」
「オイ、俺の部屋来るまでに腹括っとけよ。そォだ、練習してやろうか?色々となァ」
「や!だいじょぶ!」

2人の声は、ガタガタ鳴る窓枠の音に紛れる。
なまえの細い手首を捕らえたノイトラは、悪い悪い笑顔を浮かべた。

「そもそも、テメェが可愛すぎンのが悪りィんだよ」

諦めろ。
そう言ってノイトラは噛み付くようなキスをした。
伏せる暇もなく、開かれたままのなまえの瞳は、甘く潤んでいる。





「ありがとうございました」

会計を済ますと、店主は静かにそう言った。
喫茶店を後にすると、すっかり青空が広がっていた。通り雨に遭ったようだ。
2人の間には、気まずい沈黙が流れている。
まだ明るい時間からいけない事をしたような、甘い罪悪感。顔を見合わせるのが気恥ずかしい。
先に口を開いたのはなまえだった。

「…ノイトラくん」
「なんだよ」
「手、繋ぎたいな」
「あー、俺も丁度そう思ってたんだよ」
「ふふ」
「笑うな」

ノイトラの大きな手が、なまえの小さな手を優しく握る。

「今日、家まで送るわ」
「良いの?」
「バイト無えし」
「…ありがとう」

駅まで、あと少し。
なまえはやっとノイトラの顔を見上げる事ができた。やっぱりカッコいい。ずるいよ、ノイトラくん。そう思ってまじまじ見つめていると、あっ!と声をあげそうになってしまった。
ノイトラの耳が赤く染まっている。こんなの初めて見た。
でも、それには気付かないフリをしてノイトラの腕にぎゅっと寄り添った。

「ノイトラくん、苦手な科目って何?」
「全部」
「嘘だあ」
「嘘じゃねえ。俺ァ、勉強全般嫌いなんだよ。今週の土曜に分からせてやるよ」
「ほんと?」
「ああ。腕一本賭けても良いぜ」

すっかり空は晴れている。
オレンジがかった陽射しは、2人の横顔を照らしている。
ノイトラはふと思い出して、なまえの質問に答える事にした。

「…そォだな。俺、世界史一番無理だったわ」
「!」
「なまえは苦手なのあるかよ」

なまえは嬉しそうに笑ってノイトラを見上げた。いたずらに細められた瞳がピカピカと輝いている。

「あのね、ノイトラくんといっしょ!」


(おわり)


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