△▽上下線 運転見合わせ



ディ・ロイ・リンカーの朝は、遅い。
何故なら。前の日の夜にソシャゲをやりまくったから、寝付けなかったのだ。更に、眠れないし…と、無駄に部屋の片付けをしていたら結構な時間になっていた。そろそろ諦めるかと布団に潜り込んだ所で、何故か元気になってしまったソレを一発抜いてからやっと安眠を得た。
寝不足が祟って、目の下はいつも濃いクマが貼り付いている。朝起きて鏡を見れば、しょぼくれた男がひとり。

「ねむ…」

起床して即、ご出勤の時間である。顔を洗って髪をワシャワシャとセットして、全身真っ黒な格好に着替えてリュックを背負う。
そして最近買ったお気に入りのスニーカーに足を突っ込む。蛍光色の黄緑が目に痛い、カッコよくてお高いヤツだ。

朝日は眩しい。ディ・ロイはウワァと思って下を向いて歩く。職場まで、歩いて15分。しょぼくれた雑居ビルの一室がディ・ロイのテリトリー。ここでグラフィックデザイナーなんていう、カッコいいお仕事をしている。
音楽だとか、映像の編集もお手のものだから、ディ・ロイは今日も忙しい。たくさん依頼が舞い込んで、それこそてんてこ舞い。

「ロイくん、納期間に合いそう?」
「ヨユー」

隣のデスクのベテランは「おっ、頼もしいね」と言いながらディ・ロイへコーヒーの差し入れ。

「アザス」
「朝、コンビニで当たったからあげる」
「ラッキーっすね」

ブラックコーヒー。苦くて嫌いなんだよな。
ディ・ロイはこれをよく飲むカッコいい男を思い出して、アイツどうしてっかなとニヤリと笑った。
グリムジョー・ジャガージャック。通称、我らの王様である。
最近、ディ・ロイの古い友達であるなまえとくっ付いたようだった。最近仕事が忙しくて、なまえの話も、グリムジョーの話もロクに聞けていないけれど、きっと楽しくやってンだろう。だってお似合いだったし。お互い、本音を相手にぶつけないで、ディ・ロイに「どう思う?」とか「アイツ彼氏居ねえよな?」なんて確認してきたんだ。
独身男は、仕事が恋人だよなァなんて笑いながらパソコンを立ち上げた。

ディ・ロイは集中したら周りが見えなくなるタイプ。
お仕事を始めたら、もう脇目も振らない。
だから、リュックに仕舞い込んだスマホが、なまえからの着信を受け取っていたのだけれど。辺りがとっぷりと暗くなるまで、それに気付けなかったのだ。

やっとお仕事を終えたタイミングでスマホを見て、「ゲェッ」と肝を潰してディ・ロイは走った。なまえから着信が一件。それから、深刻そうな「話を聞いてほしいです」というメッセージが一件。

慌てて電話をかけ直すと、ズビズビと涙交じりの鼻声が聞こえて来る。
何があった!?
ディ・ロイは、とにかく走った。大切なお友達の為に、どこまでも。

辿り着いたのは、赤提灯並ぶ某飲み屋街。
角がささくれ立った木製のカウンターで、なまえはこれまたズビズビ泣いて、カルピスサワーを一口飲んだ。

「グリムジョーさん、本命の彼女と上手くやってるかなあ!?」
「え?それお前じゃ…」
「ちがうもん!ちがうもん!」
「…えっ?あ、そォ…」

ディ・ロイは混乱した。
あれっ?俺、なまえもグリムジョーも、同じ気持ちだと思ってたんだけど…。
ていうかグリムジョーにお持ち帰りされた日から、付き合い始めてたと思ってたんだけど。違かったのか?ていうか、本命の彼女って何?

しかし今のなまえに、それを問い質しても更に泣かせてしまう気がした。
ディ・ロイは今までの経験上、優しく背中をさすって「そっか」と言うだけにした。
モテる女の「さしすせそ」があるように。こんな時、男にも便利な「さしすせそ」があった。
以下、ディ・ロイのセリフの頭文字にご注目くださいな。

「うぅ、わたし、わたしはね…」
「さっさと全部、吐いちまえよ。楽になるぜ」
「あり、…ありがと…。あのね、実は…グリムジョーさんから、連絡が来なくって、」
「仕方ねーヤツだな。そんで?」
「…もう、終わりかなって…。でも、ぅ、そんなのヤダ…」
「スッゲェ分かる」
「ありがと…。でも、もう連絡取らない、とも言われてないから…期待しちゃって、」
「誠意が感じられねェよな、ソレ」
「…でも、セフレに別れようとか、言わないよね。ふつう」
「そォかもな…………え?」

ディ・ロイはびっくりした。
セフレ?誰が?

「はぁ、やっぱり私…グリムジョーさんのセフレだもんね…。本命の代打でデートさせて貰ったけどさあ…虚しいよ」
「…………うん?」

本命の代打?

「だって、グリムジョーさんってモテるんだよね?私なんか、セフレ止まりなの、分かりきってたのにさ…」
「はい…」

グリムジョーはモテる。その通り。
これを聞いて、ディ・ロイのこめかみにイヤな汗が流れた。

「はあ、ディナーとか、水族館とか行ったけど…辛かったよ。だって本命彼女さんと、本気のデートする前の下見に決まってるもん。グリムジョーさん、優しいからそんな事言わなかったけどさ」
「なるほど…」

なまえが本命なのでは?なんて言えなかった。今更、ディ・ロイがそんなことを言う資格なんて無いと思った。

「本命とセフレ、いっつも5人は抱えてるタイプでしょお…」
「…あー……っと、違…?違うんじゃねえかな…」
「いいよ、今更。だって皆言ってたじゃん。隠さないでよ。はあ…」

俺のせいで、なまえはこんなに目も鼻先も真っ赤に泣き腫らしているのに。

「ふふ、でもセフレだけでも丸儲けかな、なんて…」
「や、まあ…ハハ…」
「ごめん、やっぱ辛くて…」
「だよな。…えと、……うん」
 
ディ・ロイは出来るだけなまえの言い分を否定せず、「辛かったな」と労ってお会計。
帰り際、なまえは少しだけ笑顔を見せた。

「ありがとね。話、聞いてくれて。助かっちゃったな。ロイくんのおかげで、今日はよく眠れそう」
「…ま、元気出せよ。今度肉奢るわ」
「…たのしみ」

ばいばい、と力無く手を振るなまえ。
ディ・ロイは「全部、俺のせい」と呟いて暗い夜道を俯いて歩いた。

なまえ、とんでもない勘違いを起こしてやがる!しかも、事の発端は、俺たちがグリムジョーモテすぎ問題をいじり倒したせいだ!

あの男共と、緊急会合だ!
まずは会合のリーダー格の市役所、もといシャウロンに相談だ!と、メッセージを送ろうとした瞬間。
そのシャウロンから電話が入った。

「…も、もしもし?」
『マズイぞ!おそらく、私のせいだ…』

同時多発的に、事件は起こっていたらしい。




シャウロン、グリムジョーから2回目の呼び出しを喰らった。
今度はなまえと上手くやっている、という嬉しい報告かと思って、シャウロンはのほほんと居酒屋の個室に入った。
しかし。そこに居たのは、不機嫌に眉間に皺を寄せ、口角を最大限に歪めたグリムジョー。
「座れよ」とメンチを切った唇の隙間から、今にも喉笛を喰い千切りそうに鋭い犬歯が覗いている。
最悪の対面。シャウロンは生命の危機を感じて、持っていた鞄を胸に抱き、そろりそろりと席に着いた。
一体何があったと言うのだ、グリムジョーよ!

「遅え!」
「すまない」

怖い。反射的に謝ってしまった。シャウロンは、猛獣と同じ檻に入れられた心地がした。
既に用意されていた生ビールを一口飲んで、グリムジョーの燃えんばかりの青い瞳と対峙する。

「グリムジョー、今日は」
「俺の悪いところ、言え」

食い気味にグリムジョーは捲し立てた。
シャウロンは少しムッとして片眉をピクリと動かした。

「そういうところだな」
「あ?どこがだよ!」

シャウロンは少しずつ慣れて来た。そうだ、この男よく吠えるんだった。狂犬を手懐けるブリーダーの気持ちになり、シャウロンはグリムジョーに「まあ落ち着け」と声をかけた。

「何があったんだ?お前の悪い所を教えるのは、それからだ」

まるで教師と不良生徒みたいな組み合わせ。
諦めたように天を仰ぎ、深い溜息を吐いてから、グリムジョーは意を決したように口を開いた。

「女と別れた」
「そうか。じゃあなまえは私が貰おう」
「……ダッ、」
「だ?」
「ダメだ」

グリムジョーの纏っていた恐ろしい雰囲気は、狂犬から室内犬くらいまで落ちた。

「何故。私もなまえを悪くなく思っている。可愛いし、気立も良い。お嫁さんにピッタリだ」
「やめとけ。アイツ、けっこう機嫌コロコロ変わるし」
「猫みたいで可愛いじゃないか。益々気に入った」
「あ?趣味悪ィんだよ、テメェ!」
「それだ。お前の悪い所は」
「…………」

グリムジョーは舌打ちをして、「言ってみろ」と不機嫌に瞳を伏せた。

「不器用すぎる」
「…………」
「なまえをまだ好きだと、一言言えば済む話だっただろう。今のは」
「言えるかよ、ダセェ」
「だからなまえに見限られるんだ、お前は」
「…そんなんじゃねえよ」

勢いを失った今のグリムジョーは、流星のようだった。瞬いて夜空を駆け抜けて、擦り切れた石ころは儚く夜空に消える。

「別れたって、何かあったのか?」
「何も無えから、終わったんだよ」

グリムジョーは出来る限り細かく、なまえの悲しげな表情について語った。何をしても、なまえは去り際に悲しげな顔をするのだ。嬉しそうにはしゃいでいても、ふと目を離すと表情は落ち込んでいる。
どうしても彼女を幸せに出来そうにない、と。
いくら尽くしても、愛を注いでも、なまえは何故かちっとも嬉しくなさそうだった。

これを聞いたシャウロン、服の下にびっしょりと冷や汗をかいていた。

「…成る程」

前回の話と合わせると、シャウロンの中で恐ろしい方程式が成り立った。
ちなみに。シャウロンさんは探偵小説の大ファン。乱歩から、綾辻、森博嗣、有栖川…。一通りは読んだ熱心な読者である。
夜空に星座を見出すように、点と点を繋ぎ合わせるのは大得意。

もし、グリムジョーがなまえに好意を伝えていなければ。
なまえはグリムジョーと付き合う前に(おそらく)体を許しているから、セフレだと勘違いしているのではあるまいか。
しかし!グリムジョーは、なまえを彼女だと思って連れ回している。
なまえは彼女でもないのに、グリムジョーから思わせぶりな態度を取られて。でも好きだとか、愛してるだなんて言われなくて、不安に思っているのではないか。
しかも。あの控え目な性格だもの、私のこと好き?なんて言い出せないだろう。グリムジョーだってそれに対して「好きだ」なんて返せるほど大人じゃない。あらゆる部分が、反抗期のまま成長を止めてしまったような男だ。

シャウロンの脳内に搭載されたスーパーコンピュータは、アルコールも相まってフル回転。

もしかして。
なまえにグリムジョーの悪い噂を流したのも、今回の事件の引き金となったのでは。
派手に女遊びをしていると噂の立つ男に「私のこと、好き?」なんて聞ける訳がない!
だとしたら、主犯はシャウロンである。参った。
今すぐキリストか、閻魔様の前に額突いて懺悔したい衝動に駆られてしまった。

シャウロンのこんな心中にも気付かず、グリムジョーはため息を吐いて、天を仰いだ。

「俺、女付き合い向いてねえらしいな」
「そんな事は…」
「寺とかに入っかな。あそこ女居ねえだろ」
「…いや、たまに居るぞ」
「じゃ、マグロ漁船に住み込みだァ」
「メスマグロが居るから、やめておけ」

放心したような顔をしていたグリムジョーだけれど、急に瞳の焦点を合わせて表情を険しくした。

「シャウロン」
「何だ」
「今の下ネタか?」
「何を……あっ、メスマグロか?」
「ソレ」
「いや。違う」

ハハハ、とやっと笑い声が上がる。
シャウロンは冷や汗を隠しながら、グリムジョーと下らない話を続ける事にして、その場を凌いだ。
そしてグリムジョーを見送ってから、シャウロンは急いでディ・ロイに連絡をした。アイツを経由して、あの子に早急に、この話を伝えねばなるまい!
思ったよりも早く、ディ・ロイは電話を取った。

『…も、もしもし?』
「マズイぞ!おそらく、私のせいだ…」

電話口のディ・ロイも、『あの、実はさァ』と、シャウロンと同じように切羽詰まった声を絞り出した。
月も、星すらも出ない晩であった。真っ暗な闇が辺りを覆っている。



容疑者、全員集合。
とある居酒屋にグリムジョーとなまえを除いた、いつものメンバーが集まっていた。
幹事のシャウロン、ディ・ロイだけが暗い表情で、絶えず眉間に皺を寄せていた。突如呼びつけられたエドラド、ナキーム、イールフォルトはその重苦しい表情に首を傾げている。

「今日、お前達に集まってもらったのは、理由がある」
「何?謝罪会見か?」
「エド!シッ!」

重苦しく口を開いたのはシャウロン。
茶化したのはエドラドで、それを諌めたのはディ・ロイ。
幹事の口上は続く。

「なまえと、グリムジョーについてだ」

事情を知らない3人はポカンとして話を聞いた。
そして、イールフォルトだけが明るく声を上げた。

「あっ、俺分かったぞ。結婚だな?」
「バカ!シャウロンの顔見ろ!」

ナキームは珍しく声を荒げた。仏頂面極まるシャウロンの顔を見て結婚だなんて、よく言えたものだ。空気を読まないイールフォルトの口を抑えて、「続き、頼む」と頭を下げた。

「まずは、このフリップをご覧頂こうか」
「フリップ?」
「なまえとグリムジョー、破局問題だ」

シャウロンは、テレビでよく見るようなフリップをディ・ロイのリュックから取り出した。
グラフィックデザイナーのディ・ロイ。こんなものを作るのは朝飯前。不安を分かち合うような気持ちで、現状を纏めたフリップをシャウロン監修のもと作ったのだ。

フリップは次々捲られてゆく。グリムジョーとなまえがすれ違っている問題について。また、シャウロンとディ・ロイがそれぞれから聞いた言い分について。
そして本題。自分達のがグリムジョーの悪い噂を面白がってなまえに吹き込んだせいで、すれ違いがより顕著になったのでは、と。

これを聞いて、一同は顔を見合わせて「ヤバくね?」と言った。

「ヤバいんだよ!俺達の悪ノリのせいでッ」

ディ・ロイはこう叫んで机に突っ伏した。

「すれ違いにも程があるな…。アイツらコミュ障か?そんな感じしねェけど」
「誰もがお前のように、女に愛してると言える訳ではない」
「マジか」

シャウロンは、エドラドの肩を叩いた。

「でも、俺たちのせいだと限らないだろう」
「何?」

イールフォルトは顎に手を当てて考えていた。

「そもそも、なまえもグリムジョーも言葉足らずなんじゃないのか?俺たちの悪ノリがあったとて、本人に確認しないままチンポを突っ込んだり、突っ込まれるのは無責任だろう」
「イール、言い方」
「…悪かった。えーと、マラを突っ込むのは」
「そこじゃねえ。もう良い、黙れ」

今度はエドラドがイールフォルトの口を押さえた。
しかし、それを振り切ってイールフォルトのターンはまだ続く。

「それとも皆、シャウロンみたいに性行為誓約書でも取り交わしてから、イチモツを突っ込むのか?俺はしない!」
「オイ!」
「誰かコイツ黙らせろ!」

イールフォルトは、エドラドとナキームに椅子にムギュっと押し付けられた。
ディ・ロイは細かく震えながら、隣のシャウロンをチラリと見た。

「シャウロンだって、そんな事しねえ……しない…よな?」
「しない。安心しろ、ディ・ロイ。…間違えた。カス、安心しろ。余計な心配をするなこの童貞が。私がそんな野暮に見えたのか、マヌケめ」
「アッ!?テメェ言ったな!俺童貞じゃねェし!」
「待て待て、ロイ!落ち着け!」

喧嘩勃発。ディ・ロイは小さい拳を握り締めてシャウロンをポカポカ叩いた。痛くも痒くもない顔をしてシャウロンは鼻を鳴らす。
エドラドは念の為、シャウロンに巻き付いたディ・ロイをベリッと剥がした。

すると、今度はナキームの腕からするりと抜け出した色男がシャウロンと対峙する。
煌めく金髪は、ベルガモットの香りを放って翻った。

「市役所の癖に、契約書も交わさないか。懲戒免職モノだな」

イールフォルトの冷たい視線は、シャウロンを射抜いている。

「ほざけ、このテロリスト風情が。貴様なんぞ国家反逆罪で永久国外追放だ」

シャウロンは相手を貫くような、恐ろしい視線を跳ね返す。
男同士の喧嘩って、大体が本末転倒。すれ違う2人の名前なんて一切出さずに、渾名まで使って罵り続けている。
こんな事、してる場合じゃないのに。

「テロリスト。光栄な渾名だと思わないか?兄弟」
「まさか。貴様なんぞグリムジョーでも口説いてビンタされてしまえ」

喧嘩腰の応酬は続くかと思われたが、イールフォルトは斜め上を見て、何かを思い出すよう口を閉ざす。
そして指折り数えて、ふっとシャウロンに視線を戻す。

「それはもう、3回くらいやった。2度と隣の席に座って貰えなくなったぞ」
「…フム。だからお前、いつも私の隣なのか」
「不本意だがな」
「まあまあ…」

念の為。間に割って入ったのは、ナキーム。

「イールフォルトの肩を持つわけじゃあないが」
「どうした」
「これ、俺達が話し合って解決するか?」
「…………」

沈黙は肯定。誰もがハッとした。

「いや、確かに悪ノリは悪かった。それに、なまえの状況も知れてよかった。グリムジョーの話も聞けて良かった」
「そうだな」
「でも、これって当人同士の話し合い…の、場をセッティングさせるくらいしか、俺達の出番無くねえか?」
「確かに…」

ナキームは的を得たことを言った。
確かにここで男たちがギャアギャア喚いても、2人はすれ違ったまんま。
責任感と罪悪感に突き動かされていたディ・ロイとシャウロンは、ふっと肩の力が抜ける心地がした。

男たちが冷静になって、漸く本格的に話し合おうとした瞬間。店員さんは「お待たせしました!」と、刺身盛り合わせ、チーズ春巻き、枝豆、マグロユッケ、季節の天ぷらをテーブルに置いた。

「まあ、食ってから考えようぜ」

エドラドは天ぷらを箸でつまんで、イールフォルトの口に放り込んだ。

「あちっ!」
「ほら、シャウロン、あーん」
「たわけ。私は男からのあーんなど…」
「あーん」
「あー…」

エドラドの兄貴力の前で、シャウロンは呆気なく“あーん”をしてしまった。

「美味いか?」
「美味い」
「俺もひと口!」
「ほら、あーん」
「あー…」

ディ・ロイもあーんしてもらった。
そして、確かにやる事と言えばなまえへのフォローが最優先かもなと思ったのだ。
酒とご飯を摂取して落ち着いた男達は、「それぞれ、2人に事情を説明したほうが良いかもね。部外者の言葉も、時には必要だよね」と結論した。



が!そんな一歩引いた対応が出来るほど、大人じゃない。近所のオバサンよりも、ずっとお節介大好きなのがコイツら。
翌日にはグリムジョーを除いた5人のグループトークで「2人、引き合わせねえ?」と結論を翻したエドラド。勿論、全員が「イイネ!」とお返事をした。


一方その頃、なまえ。
牛に引かれずとも、善光寺。気分転換、もとい失恋旅行として長野へ1人旅立っていた。
お寺は大きいし、長い参道の両側には素敵なお店が沢山あったし、お昼に食べたお蕎麦は美味しかった。ついでにおやきなんかも食べちゃったりして、お腹は一杯。
駅の中に美味しいって評判のおやきのお店があったので、ついつい爆買い。明日の朝の分まで欲張ってたくさん買っちゃった。紙袋はかなり嵩張ってしまって、新幹線が揺れる度にガサガサと音を立てた。

紙袋が、3つも横の棚に引っ掛けられている。
ひとつは、自分用。美味しいお菓子とおやきが詰まっている。
それからもう一つは、ロイくんに。わさび味のスナック菓子をチョイス。たくさんお世話になったし、この間のお礼も兼ねて。
そして最後のひとつは、ノイトラ支社長用。これは少しお高い日本酒。

実はお世話になったのだ。
あの、ノイトラ支社長に!
昨日の夜、突然帰りに呼び止められて、一緒に晩御飯に行く事になった。どうやら元気の無い私を気遣ってくれたらしい。それだけで嬉しいのに、お酒を飲みながら根気強く、例の話も聞いてくれた。
そしたらノイトラ支社長、眉間にシワを寄せて「それ、お前が本命じゃね?」なんて言うから真に受けてしまった。

あの人、間違った事はあまり言わないから。

もし、そうだとしたら。
なまえは酷い勘違いで、遠くまで来てしまった事になる。片道の移動距離、222.4キロ。往復で444.8キロ。駅伝で換算すれば、4回分。

1人旅行は、思ったよりも楽しかった。夢中であちこち見ていたら、あっという間に帰りの新幹線の時間が来てしまった。
でも、旅行は楽しいだけでは済まなかった。ふとした瞬間に心はチクリと痛んだ。
新幹線に1人で乗る間、長い参道を歩く間、お寺で1人で手を合わせる間。隣にグリムジョーが居たらなと思った。
当たり前だけど、彼はもう隣を歩いてくれない。いいや、彼の隣を歩けたのが奇跡だったのだ。それでも、なまえの胸にはぽっかりと孔でも空いたような寂しさが募った。
闇に引き摺るられるよう俯いたら、自分で顔を上げなければいけない1日だった。

でも。ほんの少し光明が見えたのだ。
もしかしたら、まだ間に合うのかもしれない。勘違いだったのなら、笑い話で済むかもしれない。
今度は、ちゃんと彼と真正面から向き合いたいと、自然とそう思えた。失ってから気付くなんて、遅すぎるけれど。

そしてなまえ、善光寺の仏様にひとつ懺悔をしてきた。私ったら、好きな人とのデート中に、浮かない顔を隠せなかった。いいや、隠さなかったのだ。
セフレなんかに、優しくしないで。
これを言葉にしなかった事を深く深く、懺悔した。

帰ったらきっと勇気を出して、もう一度グリムジョーへ連絡を入れようと決めていた。
振られても大丈夫。一度は振られたようなモノだから、なまえはやや捨て身な決心が付いていた。
こうして意気込んだなまえは、流石に疲れを感じて少し目を瞑った。

カクンと首を揺らしながら、なまえはぼんやりとした夢を見ていた。長い夢だったような気がする。
夢から覚めるほんの少し手前。瞼の裏に浮かんだのはグリムジョーではなく、ノイトラ支社長だった。

『え?お前明日失恋旅行すンのかよ。どこ行くんだよ。…ゼンコージ?アッソ。
間違っても日本海に飛び込むなよ。あ、長野に海無ェからよかったな。ギャハハ!』

なまえはハッとして目を開いた。なんなら、体までビクッと跳ねさせてしまった。
そうだ、昨日の別れ際にこう笑い飛ばされたんだった。もう、最低!
でも、それに救われている。

すっかり目が冴えてしまった。
景色は流れて、新幹線はゆるやかに速度を落とした。機械的なアナウンスが流れて、なまえはガサガサ音を立てて紙袋を纏めた。間も無く、首都東京である。






「オイ!なまえ、大人しく投降しろォ!」
「いや、立て篭もり犯かよ」

ドンドン、とディ・ロイはなまえの家の扉を叩いた。しかし返事は無い。
セスタ御一行、なまえのアパートの廊下に大集合。
ご機嫌斜めな王様は、エドラドとナキームに取り押さえられ、不機嫌に舌打ちを繰り返していた。

お節介大好きブラザーズは、なまえとグリムジョーを引き合わせて復縁の橋渡しをしようと画策していた。しかし肝心のなまえと連絡が付かない。時は、刻々と過ぎて行く。
我慢ならん!と立ち上がったエドラド。まずは仕事途中のグリムジョーを拉致。王様へ軽い事情説明ののち、勢いに任せて、ついになまえの家まで辿り着いた。
しかし。そこに人の気配は感じられなかった。

「家にも居ねえし、既読もつかねえし」
「電話したが、コール音すら鳴らなかったぞ」
「…まさか」

ディ・ロイは顔を真っ青にした。
なまえ、思い詰めて日本海へ飛び込んだのではあるまいか!

「うっ、海とか行って…、飛び込んでッ、し、…死ィイ!?」
「それは流石に無いだろう」
「グリ、グリムジョー!どォ思うッ!?」
「知らねえよ」

ディ・ロイは身柄拘束されたグリムジョーに、ヨロヨロと抱き付いた。しかし長い脚で軽く蹴られて、なまえのアパートの廊下に「あうっ」と転んで腹を出している。

「俺、分かったぞ」

ハッとして顔を上げたのは、イールフォルト。
誰もがその美しい顔を睨むかのように、グッと見つめた。

「新しい男が出来て、俺たち全員ブロックされてないか!?」
「バカ!グリムジョーの顔見ろ!」
「痛ァ!」

ナキームは、空いていた方の手でイールフォルトの肩をド突いた。
肝心のグリムジョーは、苦虫でも潰したような顔をして牙を剥き、「ブチ殺すぞ」と息巻いている。

「イール、テメェ!後でケツバットだ!」
「や、すまない」
「覚えとけよ。2発かましてやる」
「そんな、俺の尻が8個に分かれてしまう」
「あ?良いだろうが。ザエルに縫い付けて貰えよ」
「ダメだ。アイツにやらせたら、尻でキャッシュレス決済出来る体にされてしまう」
「便利じゃねェか。良かったな。尻出せ」
「おっ、俺で決済するつもりか?」
「バカじゃねえの?」

喧嘩も程々に、グリムジョーとイールフォルトは漫才を始めてしまっている。
これを聞いて、エドラドはふと思った。

「ケッツレス決済?」
「寒…」

スベった。ディ・ロイがツッコんでくれなかったら、完全に終わっていた。
ぴゅうと寒い風が吹き抜けた。夕方となると、流石に空気も冷え込む。ナキームが鼻を啜り、ふと遠くを見れば、可愛らしいシルエットがひとつ。

「あっ。あれ、なまえじゃねえか?」
「マジ!?…マジだ!」

アパートの下、坂道をよいしょ、よいしょと登ってくるなまえ。その手には紙袋がたくさん。

「アイツ、中国まで爆買いしに行ってたのかよ!」
「それ、色々違くねえか?」

安心したディ・ロイ。エドラドのツッコミも無視して、まるで鉄砲玉みたいに飛び出す。なまえの元へ駆けて行く姿は、小さい小さいチワワが、数年ぶりに再会した元飼い主を見つけた瞬間のよう。

「なまえ!なまえー!」
「…ロイくん?」

疲れ切ってヨボヨボのなまえ、目を細めて全力疾走してくるディ・ロイを発見。
なんだろう。何かに似ている。迷子になった飼い犬に発見された飼い主の気分になってしまった。

「なまえ、お前、何してたんだよォ!連絡つかねえし!」
「えっ?あ、ゴメン…新幹線乗ってたから、スマホ機内モードにしてた、んだけど…」

こう言ってから、なまえは自分でも違和感に眉を顰めた。新幹線で機内モード?

「何でだよ!飛行機じゃねえだろ!心配して損した!」
「ご、ごめん…」
「失恋バグ、ヤバすぎだろ!」
「あっ、ホントだ。すごい連絡…」

慌ててスマホを確認したなまえから、ディ・ロイは紙袋を奪った。女の子に重い物は持たせない主義らしい。

「疲れてるトコロ恐縮ですがァ」
「何、その話し方…」
「ちょっとツラ貸してくんね?」

彼の真剣な眼差しに、生唾を飲み込んだなまえ。
背筋に走るイヤな予感と、微かな期待に、黙って深く頷いた。






「みんな、ごめんね。私の家狭くて…」
「廊下があって、素晴らしい家じゃないか」
「シャウロンさん、ごめんなさい!ほんとスペースが足りなくて…!」

なまえのアパート前に待機していた男たち、寒さに耐え兼ねてブルブル震えていた。なまえは大急ぎで全員を家に押し込み、お茶を沸かして、暖かいお茶を振る舞った。疲れなんて、どこか遠くに放り出してしまったようだ。家にあったマグカップはフル動員。足りない分は紙コップで賄った。

女の子の一人暮らしって、そんなに広いお家ではない。居間からキッチンに続く廊下みたいな場所に、シャウロンは三角座りしていた。その隣に、イールフォルト。こちらも三角座り。
テーブルで寛ぐのは、王様グリムジョーと、剽軽者代表、ディ・ロイだけ。
エドラドとナキームは、窓際でミチミチと肩を寄せ合い、三角座り。

「これ、おやき?美味しいな」
「昔食った事ある。野沢菜が1番うまい」
「俺のヤツ、キノコ入っててうまい」

なまえが欲張って買ったおやきは、男たちに一つずつ配られた。これが冷えた体を更に温めた。
全員は、いきなり本題に入る訳にもいかず、「長野旅行?いいじゃん」「そば食った?」「まさか善光寺に出家?違うか。まだ髪の毛はあるもんな」なんて適当に場を和ませた。
おやきを一口食べたグリムジョーが「うめェ」とボソリと呟いたところで、男たちはスッと立ち上がった。

「押し掛けてすまなかった。私たちは退散しよう」
「あの、おもてなしも出来ず…すみません」
「まさか。むしろ、手土産も無くてすまない。代わりにコイツを置いて行く」

シャウロンはグリムジョーの肩を優しく叩いた。なまえは畏まって「はい」と頷いて、全員を見送る。
容疑者たちは、何だかんだでちゃんと一線は画していた。というか、2人を引き合わせてみたら、意味ありげに交わされる視線を見て「大丈夫そうだな」と確信したのだ。これにてお節介終了!

さて、なまえの背後に残るのは。
会いたくて堪らなかった人だ。

いざ2人きりになるとなまえは急に怖気付いてしまった。さっきディ・ロイから話は粗方聞いたのだけれど。
どこから、話そう。
まずは謝罪か。それとも、質問からだろうか。なまえは「えっと」と細い声を出して、場を凌ごうとしたけれど、その先の言葉は続かない。

ダメだ。何も変われていない。
でも、ここが正念場だと思った。
なまえは意気込み、大きく息を吸って、「ごめんね」と言おうとした瞬間だった。

「久しぶりだな」
「っ、うん、ひさしぶり…だね」

出鼻を挫かれてしまった。
チラリと彼の表情を見ると、前と変わらない落ち着き払った微笑を浮かべていた。キリリと顔を上げて、なまえは彼と向かい合う。
大丈夫。絶対に、大丈夫。

「言っとくが」
「あ、あの!」
「何だ」

なまえは勇気を出した。
大好きなグリムジョーの言葉を遮るのは、少し後ろめたかったけれど。ここは、自分から言わなければ何も変われない気がする。

「あのね。聞いてほしいことが、あります」

やっぱりこの人が好きだと思った。
なまえは、2回目の初恋みたいに、ドキドキ高鳴る胸を押さえて、トキメキを結晶させたようなピンク色を頬に浮かべて、潤んだ柔らかい唇を必死に動かした。




(つづく〜!)


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