窓の外は、雪がチラチラと舞っていた。
ノイトラはソワソワする心を抑えきれず、窓を開けてみた。冷たい風が鼻先を掠めて、細かい雪がノイトラの白い頬に張り付いた。
「おぉ…」と低く声を上げて、地面を見下ろす。薄く積もる雪の下から、少しだけアスファルトの黒が見えている。
これは、確実に積もる。
ノイトラはそう確信して窓を閉め、顔をプルプル振った。なんだか、濡れてしまった犬と似ている。顔に貼り付いた雪がうざったかったらしい。
ノイトラの冷えてしまった鼻先を良い匂いが掠めた。少し浮き立った声を上げて、「出来たかァ?」と、台所に居るなまえに声を掛けた。

「良い感じ。味見、する?」
「する」

なまえは厚手のニットを袖捲りして、ホーローの白い鍋と向き合っていた。お玉をぐりぐり掻き回す度、オレンジの光の下で、ふんわりと柔らかい湯気が立った。
小さなお花が描かれた小皿に、スープが少しだけ垂らされる。ノイトラはズッと音を立てて飲みきり、渋い表情を浮かべて「おかわり」と言った。

「美味しいでしょ?」
「ウマい。店、開けんじゃね?」
「じゃあ、一杯300円で売ろうかな」
「スゲー行列出来そォ」

お休みの日って、丁寧な料理が作りたくなる。
これを言い出したのはなまえ。それに即感化されたのは、ノイトラ。
休みの日に気分が乗ると、2人で少し手間のかかる料理を作るのが常になっていた。
ノイトラはおかわりのスープを飲みながら、アッと閃いて台所をゴソゴソやった。

「何してるの?」
「アレだ、パン合いそうじゃね?これ。切るわ」
「お、良いねえ」

取り出したのは、カチカチのフランスパン。これは、近くのお店で買った美味しいやつ。オーブンで焼くとカリカリサクサク。たまにカリカリ過ぎて、パンが歯茎に刺さりそうなくらい。
パン用の細長い包丁で、ノイトラは器用にフランスパンを薄く薄くカットしてゆく。その視線の鋭さは、まるで頑固な職人。
なまえはそれを横目に、戸棚から紅茶缶を引っ張り出して、ダルマストーブの上でシュンシュン音を立てていたヤカンを手に取る。
クラムチャウダーと、薄焼きパン。それに紅茶で、優雅なブランチが始まる。

窓の外は、相変わらずチラチラと雪が舞っていた。
なまえとノイトラは、いただきますと手を合わせて、アツアツのスープを流し込んだ。

「おいしい!」
「うめぇ。マジ、店開けよ」
「ネットのレシピだけど、すごいねえ」
「最ッ高」

トロトロのスープに、サクサクのパン。パンには、たまにバターを塗ったりして。香り高い紅茶を啜れば、カフェ気分。
あっという間に、お皿は空になってしまった。2人は物足りなさそうな瞳をパチリと合わせて笑った。

「足りないねえ」
「足りねえ」
「どうする?」
「買い出し、行こうぜ」

ノイトラはなまえの分のお皿まで下げて、流しで大人しく洗い物をしている。その背中から滲み出る優しさ、プライスレス。
なまえは堪らず、ぎゅっと抱きついて「洗い物、助かる!」と言った。ノイトラは誇らしげに鼻を鳴らして「もっと感謝しやがれ」と、踏ん反り返った。
ああ、なんて小生意気なんだろう。
“可愛げ”というものを道端にでも、投げ捨ててきたような男である。

2人は似たように着膨れして、ストーブを消し、玄関に鍵をかける。サイズ違いのスニーカー同士は、薄く積もった雪をぎゅっと押し固めてゆく。雲は切れて、今は雪が少しだけ止んでいる。

「俺、パン食いてえ」
「私もパンが良い。あのさ、小さい方のお店が良い」
「気が合うな。俺もだ」

2人の住むアパートから、少し離れたところにパン屋さんが2軒ある。片方は坂の下の大きいパン屋さん。これは最近出来た方。
もうひとつは、坂をよいしょよいしょと登った先の、昔ながらの小さなパン屋さん。
まるでタイムスリップしたかのような、レトロな感じが堪らんのだ。
今時珍しく、あんこが入ったメロンパンや、バタークリームケーキを売っている老舗。なんなら、アンパンマンの顔が描かれたチョコクリームパンも売ってる。尖ったセンスを感じざるを得ないのだ。

歩いて10分もしないうちに、パン屋さんは見えてきた。
坂道を登り切る頃、ノイトラも、なまえも、薄く汗をかいていた。冬場に厚着して坂を登ると、みんなこうなる。
振り解くように首から外したマフラーを腕に引っさげたまま、2人はお店の自動ドアを抜ける。

少しデコボコのある板張りの床と、パン屋さんらしい甘い香り。古くて大きな壁掛け時計は、カチコチ音を立てて時をゆっくりと刻む。
お店の両側ズラリと並ぶのは、美味しそうにぷっくりと膨らんだパン。表面は艶々と輝いて、もう2人の目を盗んで離さない。

「ど、どれにしよう…!」
「俺これ」
「私もそれ!」

2人で左右に瞳をキョロキョロ。あっちに惚れ、こっちに惚れ。ガラス戸のついた棚の間をウロチョロ。
トレイはあっという間にふかふかのパンで埋まった。
残り僅かな隙間を埋めるよう、なまえはショーウィンドウに収まったケーキを指差した。

「ねえ、ケーキあるよ!食べたい!」
「…チョコケーキ、ショートケーキ、チーズケーキ…バタークリーム…」

ノイトラは、顰めっ面のままで左から順にケーキを読み上げてゆく。

「ブルーベリーチーズタルト…」
「わたし、ショートケーキにする。ノイトラは?」

まるで子供にでも戻ったかのよう、なまえは瞳をキラキラ輝かせた。
しかし、隣のノイトラは意外にも大人なカオをして、猫みたいにツンとしている。

「俺、大人だから要らねえ」
「えっ、つまんない!」
「るせェ。会計すンぞ」
「なんで?ケーキ、要らないの?」
「別に…」

えー、勿体ない!と言いたげななまえを尻目に、ノイトラは黒い財布を取り出した。
白い制服を着たおばあちゃんは、ゆっくりとパンを包んでゆく。おばあちゃんがパンを全て包み終わったところで、ノイトラはゆっくりと大きな声で「ショートケーキと、ブルーベリーチーズタルト、一個ずつ」と言った。

「……え?ケーキ、食べるの?ノイトラも?」
「悪いか?」
「なんで?さっき冷めてたじゃん」
「や、気が変わった的な…」
「変な意地はらないでよ…」
「意地とか張らねェし」
「…大人ぶっちゃって」

えいえい、となまえはノイトラの脇腹を肘で突いた。ノイトラは太々しい表情を取り戻して笑った。

「女には分かんねえよ、この気持ちはよォ」

多分、男同士でも理解してもらえない気がする。
そんな気持ちを呑み込んで、なまえは「それも、そうね」と言った。こうしないと、延々と言い合いが続きそうだったからだ。
おばあちゃんは「他は大丈夫?」と、若い2人に微笑んだ。ノイトラはレジ横に置いてある可愛らしいカラフルなロウソクを掴んで「やっぱコレも」と、お会計を始めた。

大きい袋に、パンがたっぷり。小さい紙の箱にケーキがふたつ。
少しだけ晴れ間の覗く冬の空は、どこまでも澄んだ青を映していた。
雲の切れ目から、天使でも降りてきそうだった。

ガチャンと重い扉を閉めて、飛び込むようにしてリビングへと向かう2人。テーブルの上にはパンが並べられて、今度はノイトラが紅茶を淹れている。
なまえはケーキを冷蔵庫にしまって、くるりと振り向いた。

「ねえねえ、今日ケーキにロウソクさして、ふーってやる?」
「やる」
「じゃあさ、どっちのが肺活量凄いか勝負しようよ」

なまえの無邪気な提案に、ノイトラはふっと鼻で笑ってあしらった。

「俺が優勝すっけどな」
「分かんないよ。私、勝っちゃうかもよ」
「どっから来るんだよ、その自信」
「もとからあるもん、自信」
「全部、道に捨ててこい」
「やだっ」

マグカップたぷたぷの紅茶で乾杯。啜るようにして一口飲んで、2人はパンを半分こしながらモリモリ食べすすめてゆく。

「アンパンマンの中身がチョコか…」
「気にしちゃダメだよ」
「うめェから許すけどよ」
「なんかさ、懐かしい味がするよね」
「…アレだ、高校の購買で売ってたパンと同じ味する」
「あー、懐かしいね」

大人になると、学生時代が狂おしいほどに懐かしい。制服の着こなしだとか、流行った漫画だとか、何故か全員判を押したように同じスニーカーを履いたとか。
小さい思い出が、心の中で宝物みたいにキラキラ輝くのだ。
あんまり学生時代の話を続けると、黒い歴史も顔を出すので、早めに切り上げるが吉。
ノイトラは懐かしい友達の顔を思い浮かべながら、ハムとチーズの入った丸いパンを半分にちぎった。



日が暮れて、街は薄い雪に覆われていた。
なまえはカーテンの隙間からそれを見て「おお…」と嬉しい吐息を漏らした。
すっかり晩ごはんの用意を終えたなまえはエプロンを外して、適当にカゴに放り込む。そしてお鍋の蓋を開けると、黒くて細長い影が近付いて来た。
素足のままペタペタと歩いてきたノイトラは、なまえから鍋を奪い、残りのクラムチャウダーをお椀によそった。

「さみいな」
「ストーブ付けても寒いね」
「炬燵買うか?」
「欲しいなあ…買いに行く?」
「とりあえず、明日の朝でも待とうぜ」
「なんで?」

明日の朝。心当たりの無いなまえは、訝しげに首を傾げながら、サラダをお皿に盛り付けた。

「あ?決まってンだろ。サンタさんが届けてくれるかもしれねェだろ!」
「…え!?来ないよ!」

全くそんな雰囲気も無かったけれど、実は今日って、クリスマスイブ。
お昼よりも厚く切られたフランスパンと、オーブンでジワジワ焼かれた骨つきチキン。そして、冷蔵庫でひっそり出番を待つケーキたち。
華やかな飾りこそ無いものの、お料理はクリスマスらしく、ちょっぴり豪華。
カチ、と鍋の火を止めてノイトラはなまえに言った。

「なあ、コタツ入るくらいのデッケェ靴下持ってるか?今、クソ欲しいンだけど」
「ないよ。ていうか、サンタさん来ないし!」
「あんましサミシー事言うなよな。大人ぶっちまってよォ」

やれやれと首を振って、ノイトラはお皿をテーブルに並べてゆく。
お昼頃には、ノイトラの方が大人ぶった癖に。なまえはちょっぴり悔しくて、憎まれ口を叩いてみた。

「ノイトラは悪い子だから、サンタさん来ないね」
「は?来るに決まってんだろ」
「どうかな」
「昼間に洗い物やったろ。クソ良い子なんだけど、俺」
「え?あれ、そういうことなの?」
「そォだ。良い子ポイント加算されてっから」

なまえが「ポイント足りてないよ」なんて言おうとしたのに。ノイトラはわざとソレを遮るよう、骨つきチキンを目の前に置いた。
それを見た途端、なまえは食欲に気を取られて口を噤んでしまった。早く食べたい。
ああ、なんて単純な女だろう。全部、ノイトラの悪い思惑通り。

「…ま、食べよっか」
「食おうぜ」
「いただきまーす!」
「いただきまァーす」

うまい!
2人は瞳に星を宿した。言葉を交わさずとも、顔を見れば大体分かる。これ、すっごく美味しい。

少し寝かせたクラムチャウダーは、更にコクが増した感じがする。
厚切りのパンの外はカリカリで、中はモチモチだし。
サラダはシャキシャキ。オレンジピールドレッシングなんてオシャレなものを使ったから、リッチ感が半端ない!
当然、チキンのジューシーさは世界一。骨の髄までしゃぶりたいって、コレのこと。

お皿の上を綺麗に平らげて、テーブルはスッキリと片付いた。

残るは、冷蔵庫でソワソワしていたケーキたち。
なまえはツバメが皿の縁を飛んでいるお皿にケーキを乗せた。小さめなワンピースのケーキだけれど、大人になるとこれ位がちょうど良かったりする。

「ほい、メリクリ」
「ヤベー、久し振りなんだけど。クリスマスにケーキ食うの」
「ほんと?」

そう言われると、なんだかキュンとする。
ちゃんと、クリスマスやって良かった。と、なまえが息を吐いたのも束の間。

「…多分だけど、1年ぶりじゃね?クリスマスのケーキ」
「え?」
「懐かしーわ、マジで」
「ちょっと」
「サンタ、今年こそ会いてえな…」
「ねえ」
「ケーキ食い終わったら仮眠してよォ、サンタ待ち伏せしようぜ」
「もお!」

ほんっと、可愛くない。
毎年、ちゃっかり祝ってるんじゃん!
なまえは腹いせのようにケーキに乱暴にロウソクを突き立てた。
これだから、この男は。ホントに、もう!
ちょっとムカっとしながら、なまえは乱暴にマッチを擦った。

「あ、俺電気消すわ。…フーッて先にやるなよ」
「やらないよ。ノイトラじゃあるまいし」
「あ?かわいくねー事言うなよ」

どっちがだか。なまえはロウソクに火を灯しながら、背中を向けたノイトラにあっかんべーをお見舞いする。

「あそォだ」
「っ、なに」

ノイトラは急にくるりと振り向いた。焦ったなまえ、急いで仕舞った舌先を噛んでしまった。
痛い。痛すぎる。痛恨のミステイク。
そんななまえの心中を見透かすよう、ノイトラはニヤリと笑った。

「知ってるか?明日、キリストの2022歳の誕生日だとよ」
「……知ってるもん」
「なら良し」

わざわざ、振り向いて言う事だったんだろうか。それとも、ノイトラって背中にも目が付いているのかしら。おお、怖い怖い。

ていうか、キリストさまの2022歳の誕生日って少し違う気がする。
可愛らしいロウソクは、ぽつんと火を灯して、涙のように蝋を垂らした。

「火ィ付いたな」
「うん」

小さな2つの火が、真っ暗な部屋をやさしく照らした。

「おし、フーッてやるぞ」
「わかった。フーッてやろうね」

2人は「せーの」で息を合わせながら、キリストさまの顔をぼんやり浮かべて、火を吹き消した。

なまえは、小さく拍手をする。ノイトラは「光、あれ」と言いながら、暗闇をスイスイ歩いて部屋の電気を付け直した。
「光あれ」だなんて、聖書から引用する感じ。ちょっとインテリぶっていないだろうか。また、大人ぶっちゃって。
そう茶化したかったけれど、なまえはロウソクを灯す理由に、ほんの少しだけ想いを馳せた。

「アレだね。キリストさま、おたおめだね」
「…は?頭悪そ。つか今日前祝いだし」
「…うるさっ!」

聖なる夜なのに。
一々細かい男が、一々絡んでくる。なまえはムッとして、ノイトラのケーキにフォークを突き立てる。そのまま素早くスライドさせて、自分のお皿にケーキを移動させた。

「アッ、お前マジかよ!」
「ケーキ没収!ノイトラ、いちいちうるさい!」
「るせェ!それが俺の生き様だ!」
「そんなんじゃ、サンタさんも来ないよっ」
「だから待ち伏せすンだろうが!」

気付けば、2人とも立ち上がっていた。なまえは2つのケーキの乗ったお皿を持って、狭い部屋の中でノイトラから逃げ回る。ノイトラは奪われたケーキを取り戻そうと、フォークを構えてなまえを追い掛ける。

「返せ!」
「やだ!」

意地を張り合ったまま、聖なる夜は更けてゆく。
サンタさんが見たら、呆れちゃうような光景だった。
2人が良い子に見える訳がない。炬燵なんて、間違えても届きそうにない。

窓の外は、しんしんと雪が降っている。明日の朝、辺りはきっと一面の銀世界。
そんな朝を迎える事など知らずに、なまえとノイトラは狭い部屋の中で、顔を真っ赤にして、犬みたいに駆け回っている。
キャロルも聞こえない、小さなアパートの一室での出来事であった。

(おわり)

▼あとがき
本編を読み終わったタイミングで、エンドロールとして、各自脳内でスキマスイッチさんの「月見ヶ丘」を流して頂けると嬉しいです。

余談ですが、これシリーズ化したいなと思ってます。いつになるか分かりませんが。その日まで、お付き合い頂ければ嬉しく思います。そして私も筆を置く事がありませんように…。


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