1.月より高く


ハッピアワー!18時までハイボール一杯150円!と書かれたペラペラのメニュー表が、壁から剥がれたのを店員は直した。ノイトラとテスラが来店してから、3回目の事だった。

「ハッピアワー、剥がれ過ぎじゃね?」
「あれ、さっきからマスキングテープ使ってるのが悪いんですよ。粘着力弱いのに」
「…よく見てるじゃねえか」
「ありがとうございます」
「や、別に褒めてねえから」

テスラの皿から燻製鶏ハムを奪って食べたノイトラ。うまい。それをキューっとハイボールで流し込む。最高。
ぼんやりしていると、そういえばコイツ、さっき何か言いかけてたなと、ノイトラはふと思い出した。

「テスラ、さっき何か言いかけたろ」
「ああ、結婚の話です」
「…お前が?」
「まさか。東仙さんですよ。たまたまSNSで結婚報告を見掛けたんです」
「…へェ」

ノイトラは一杯150円のハイボールをグイグイ飲んで、それからダン、と音を立ててテーブルにジョッキを置いた。

「東仙も終わったな。結婚てなァ、男の足枷だろうがよ」
「…そうでしょうか」

目の前のノイトラは何かを思い出すように、視線を横に向けながら、女の愚痴を垂れ流し始めた。

「女ってよォ、家に泊めるとすぐモノ置いてくから、うざったくね?」
「ああ。そういうのありますね。縄張り意識みたいな」
「そもそも俺ン家、俺の縄張りなんだよなァ」

ジョッキから垂れた水滴をテスラは拭いた。ついでにノイトラのハイボールから垂れた水滴もそっと拭いてあげた。まるでノイトラの彼女みたい。

「あと、すぐ付き合った記念日だとか、俺が浮気しただとかよォ…。俺ァ、チンポ突っ込ましてくれる、ツラの良い女とヤれれば何でも良いんだよ。付き合うもクソもあるかってンだよ」
「あー…」
「飯作ってくヤツも居るけど…なんか重くね?」
「あれって要は、女側に生活力がありますよ、私は結婚に向いてますよってアピールですからね」
「ソレだ、ソレ。しかも作って貰ったらうまそーって言わなきゃなんねェだろ」
「まあ…はい」

言っているのか、毎回。
しかも、性欲処理相手に対して。
意外と律儀なんだよな、この人は…と、テスラは思った。

「アレめんどくせぇ。俺は黙ってスマホ見ながら飯食いてえの。食ってからも、うまかったとか言わねえと、アイツらうるせえだろ?めんッどくせえ」
「成る程…」

そして、意外にも優しい。
テスラはウンウン頷いて見せて、ノイトラの話の続きを誘った。

「デート行くとソファ側に女座らせンのも、なんかこう、俺もそっち側座りてえし」
「その…気遣いが細やかですよね」

ノイトラが硬い椅子に座るのを想像して、テスラは少しだけ笑った。
すると調子がついたノイトラの話は、どんどん嫌ァな方向へと転がってゆく。

「女ってそーゆーのビービーうるせェからな…。ネイルも褒めろみてえな圧、スゲェし」
「ハハ、ネイルって女子の自己満足ですよね」
「なんであんなギラギラさせてんだ?威嚇か?」

いいや、違う。まさかアレが威嚇ではないだろう。しかし、テスラは神妙な顔をして「おそらく威嚇でしょう」と短く答えた。
ノイトラは長い髪をかきあげ、暑そうに天を仰いだ。あと、あとなァ…とノイトラはこめかみをトントン叩いて記憶を呼び覚ましている。
まだまだ、世の中の女子への愚痴が続くらしい。

「なんか、女ってすぐ昔の話持ち出すだろ。あれ卑怯じゃね?」
「ええ。この上なく卑怯ですね」
「だよな。賞味期限切れの話されっと腹下すからよォ、マッジでやめてくんねえかな」
「試しにそれ、相手方に言ってみたらどうです?」

こんな風に女の子と言い合いになった事が無いなとテスラは思った。大抵は自分が我慢するか、そっと離れてお終いなのだ。
そもそも、最近は女の子よりもノイトラと金曜日の夜を共にしている訳だから、最近は余計に縁遠いのだ。

気付けば、目の前でノイトラがうんざりした顔で大きい溜息をついていた。

「バッカ…。ンな事言ってみろ、1000年前の事まで持ち出されるだろうがよ」
「そうなんですか?」
「千年血戦篇なら、漫画だけで充分って話だ」
「ああ、アニメ化しましたね」
「俺達出ねえけどな」

ハハハ、と乾いた笑いが虚しく響く。ぴえろに感謝を捧げて、2人の会話はまだ続く。

「…あの。もしかして、バンビーズに居そうな感じの方としか付き合ってないんですか?僕、そこまで言い合いした事、無いですよ」

ノイトラは、少し固まった。それから、小さく舌打ちをしてハイボールをグビリと飲む。

「…………俺ァ、優しい女の子が好きだ」
「あ、はい…」

何一つ説得力が無かった。テスラも返しに困り、手元に残っていたもずく酢に箸をつけた。ノイトラも真似して、手元に残っていた梅水晶をちまちまと食べている。

「あ、アレだ。思い出した。旅行連れてけとかもウルセーじゃん。海とか。興味ねえし」

お行儀悪くも、箸の先をテスラに向けながらノイトラは話を続けた。

「え?断れば良くないですか?僕、興味ない場所は断りますけど…」
「マジかよ…。ま、お前そういうトコあるもんな」
「だって、わざわざ車出して遠くの水族館とか…行きたくないですよ」
「そうかァ?」
「冬のイルミネーションとかも意味分からなくないですか?寒い中、電球見るだけですよね?」
「そォだよな。冬にわざわざ電球付けてよォ、SDGsに反しすぎだろ。くッだらねえ」

SDGsまで持ち出すとは。全然アレに賛成なんかしてなさそうなのに。

「まあ…、そうですね」
「木に電球巻き付けっと、アブラムシに見えて気持ち悪いんだよな」
「…中々言いますね。僕の負けです」
「や、お前のがヒデェから。あと水族館だけはマジ許してやれよな」

ノイトラは珍しく女の子側を庇った。
しかし、その舌が渇かぬうちに「女に勝手にトイレ掃除されンの、一番無理」と吐き捨てた。

「あの、そもそも女性を家に連れ込まなければ良いのでは?」

テスラは1番気になっていた事を聞いた。
一筋縄ではいかない男の代表格、ノイトラ・ジルガはふっと鼻で笑った。

「ヤダ。折角、女連れ込める立地のマンション買ってあんのによォ、ホテル行くの勿体ねえじゃんかよ」
「まあ…でも良いホテルありますし」
「ヤダ!俺ァ、安いホテルがクッソ嫌いなんだよ。待合とか地獄だし」
「じゃあ、高いところに行ったらどうです?どうせ相手の人もお金に困ってる人じゃないんですよね?折半…?とか…」
「なんつーか…ホテル代、女に出させンのダセェじゃん…」
「それは…僕もそうです」
「な?」

ここまで聞いてみて、テスラはノイトラと付き合いたいなと思った。

だから。
そう言ってノイトラは、またハイボールを流し込み、大きく吼えた。

「俺ァ、ぜってー結婚しねえ。クソめんどくせえ!」
「あはは、確かに。ノイトラ様は結婚向いてなさそうですもんね」
「……………」

テスラはケタケタと笑って、同じように一杯150円のハイボールに口を付けようとした。
しかし。
ノイトラが不機嫌そうにこちらを見ているので、ハッとして固まった。
きっと、メデューサに睨まれたらこんな感じ。指先ひとつ、視線ひとつすら動かせない。

「今、なんつったよ」
「え…っと」

ミスった…。
テスラは最近、こうしてノイトラの地雷を踏み抜く事が増えてしまった。
大人しくジョッキをテーブルに戻し、テスラは正座をしてお説教を聞くモードに入った。ノイトラは「確かにじゃねェだろ」と言って、ボトルで頼んでいた焼酎をテスラのハイボールにドボドボ突っ込んだ。そこに七味まで投入している。
悪魔の所業である。

「いや、なんというか、ノイトラ様を…1人の女性が独占するのは、世の損失であると、僕は…」
「そんなニュアンスで言ってねえだろ」

テスラは誤魔化すように焼酎と七味のブチ込まれたハイボールを手に持った。
こうして謝罪するより他は無い。

「いただきます!」
「そォだ。それで良いんだよ」

焼酎と七味入りのハイボールは、喉が灼けるような、よく分からない味がした。ノイトラが「トイレ」と言って席を外したタイミングでテスラは新しいハイボールをひとつ頼み直した。

「ハッピアワーが終わってしまいましたので、ハイボール一杯500円になりますがよろしいですか?」
「ああ、はい。大丈夫です」

もう18時になるのか。
昼間からハッピーアワーを追いかけて、居酒屋をハシゴしていたノイトラとテスラは、トータル6時間飲み続けていた事になる。
この2人、まるでニートかヒモに思えるが、決してそんなことはない。

投資でガツンと一発当てたノイトラの職業は、高等遊民。投資で当てた金で買収した会社の役員報酬やら、今も続けている投資でちまちま儲けている御仁である。
一方テスラは、有給を取って平日から大好きなセンパイと飲んだくれている商社マン。若手のくせに、中々の年収である。

とはいえ…。
こんな時間から飲んだくれてる男2人。
なんだか、結婚できなさそうではあるまいか。
2人が居酒屋を出る頃、細い月が西の空にひっそりと浮かんでいた。





その次の日の事であった。
あと数十分後に、運命の人と出会う事になるノイトラ・ジルガ。
本人はそんな運命など知る由もなく、朝起きて即二度寝。そのまま、日が暮れるまでベッドでモゾモゾしていた。
夕方ごろになって、スマホが鳴った。
高校の頃のお友達のグリムジョーくんからである。彼と、彼のお友達が、近くで飲んでいるから来ないかと連絡が入ったのだ。
ノイトラは二つ返事で、大好きな酒に誘われてフラフラと居酒屋にやってきた。その姿はまるで、誘蛾灯に誘われる害虫のようであった。

待ち合わせ場所は、珍しくカクテルが多く置いてありそうなお店だったので、ノイトラは少し驚いた。いつも日本酒がズラッと並んでいる店で飲んだくれているってのに…。
もしかしてと思いながら、ノイトラは「待ち合わせ」と店員に告げた。



「コレ飲んでみるかぁ?」
「わ、なんか匂いがすごいですね」
「ウイスキーすっげえ入ってるからさあ」
「前に言ってた、なんかスモーキー?なやつですか?」
「じゃないやつ」

ノイトラの予想が当たった。やっぱり今日のメンツに女の子が混ざっているではないか!
フフンと笑ってから、ノイトラはアホみたいにカワイイ女の子をじっと見つめた。
誰だ。あのカワイイ女の子は誰なんだ。
ディ・ロイの隣でニコニコ笑う女の子が、スンゲェ気になる。

「なまえちゃん、酒強くないモンなァ」
「残念ながら…そこまでは」

彼女はなまえちゃんというらしい。
隣に座るディ・ロイが鼻の下をデレデレと伸ばしている。彼女への好意が全く隠し切れていない。しかも、ちょっと背伸びした話題を振って頑張っているではないか。その頑張りに涙が出そうだぜ。ジットリとした視線を2人に注ぎながら、ノイトラは酒を煽る。
しかし、ノイトラだって彼女を前にしたら空回りしそうだなと思った。
だって、あの子、すんげえカワイイもん。男が放っておくワケが無い。早く自分のモノにしないと、誰かに取られちまいそうな危うさが漂っている。

ノイトラは飲んでいた男梅サワーを片手に、グリムジョーの隣に移動して、コッソリと耳打ちした。

「グリムジョーくん」
「あ?キメェ呼び方すんな」
「じゃあ、アル中のグリムジョーさんよォ」
「そりゃテメェだろうが、この酒カス野郎」

ノイトラは「あそこに座ってンの、お前の何」と訊いた。グリムジョーは案の定と言わんばかりに薄く笑い、「昔のバイト仲間。今はフリーだからディ・ロイが口説いてる」と言った。この一言にノイトラが知りたい情報が全て詰まっていた。

「もひとつ聞くぜ」
「言ってみろ」
「あの子、どんな男が好きか知ってるか?」
「あー…」

グリムジョーは少し考えてから、ニヤリと笑った。

「俺」
「殺すぞ」

クツクツ笑うグリムジョーの肩を叩いて、ノイトラはまたあの子を見詰める。
早くあの子と話したい。それにしても、隣のディ・ロイが邪魔だ。早くトイレに立たねえかな。それか急アルでも起こして退場してくれねェかな。
ノイトラがそう念じていると、天に祈りが届いたのか、ディ・ロイはスマホを見て「あ、ゴメンちょっと電話」と言って個室の外に出た。

チャンス!

ノイトラは、図体のデカいエドラド、ナキームを押し退けて進み、あの子の隣の席に腰掛けた。ディ・ロイが使っていた小皿やら、飲み半端のドリンクをズァーーッと横に避けて、男梅サワーをデン!と置いた。
可愛いあの子は少し酔っているらしく、ほんのりと頬が赤くなっていた。

「初めましてだよなァ」
「はい、初めましてです。私、グリムジョーくんの昔のバイト仲間の、」

ノイトラは彼女に少し近寄って、話を遮るようにして返事をした。

「マジ?アイツと働くの大変だったろ」
「そんな事ないですよ、優しくて…」
「へェ。なまえチャン優しすぎだろ。俺、アイツと働くの絶ッ対無理」
「あ、私の名前…知ってたんですか?」
「さっきグリムジョーから聞いた。あのカワイイ子誰って」
「あは、なんですか、それ」
「笑うんじゃねーよ。なあ、俺ノイトラっつーから名前だけでも覚えて帰れよ、な」
「それ、お笑い芸人みたいですね」
「男は全員、芸人の血が流れてっからな」
「ふふ、初耳です」

笑顔が可愛い。
ノイトラは、もうこの子を家に連れて帰りたかった。でも、まだ早い。

「あっちの席だと肉取り辛えんだよ」
「ホントだ。お皿、遠いですね。私取りますよ」
「へーきへーき。女子は座ってろ」

立ち上がったなまえの肩を押さえたノイトラは、その華奢で、柔らかい感覚にうっとりした。
可愛い。女子ってすごい。なんかふわふわしてる。かわいい。力が抜けそうになるけれど、頬の内側をグッと噛んで堪えた。
いけない、いけない。油断は禁物。彼女に気に入られるチャンスを棒に振りたくない。

「俺、肉食だからよ」
「分かるかも。お肉、好きそうに見えます」

そういう意味じゃなくて…とオヤジギャグに近い事を言いたい唇をキュッと引き締めて、ノイトラはステーキの1番大きい部分に狙いを定めた。
そしてなまえの取り皿を勝手に奪い、美味しそうに光るそれを何切れか乗せた。

「コレうまそーだな。食えよ」
「えっ、良いんですか?1番美味しそうなところ…」

ノイトラは頭を横に振って、ステーキの端の方を自身の取り皿に乗せた。

「俺、この端っこの方がタイプなんだよ。なんかこォ、グッと来るんだよな」
「…嘘、ですよね?」

大当たり!ノイトラだって1番うンまそ〜な部分が食いたい!
でも今日は譲ってあげるのだ。だってなまえちゃんが可愛いから。
ノイトラとなまえは肩を寄せ合って笑った。初対面にしては良いテンポ。きっとすぐ仲良くなれそうだとノイトラは瞳を細める。

なまえのグラスが空きそうな事に気付いた。新しいドリンクを頼もうとメニュー表を開き、さり気なくノイトラはなまえに顔を寄せた。彼女から漂う柔らかい香りが鼻先を掠める。横目でなまえを盗み見れば、益々可愛らしい。

「次、どれにするよ」
「…えっとねえ」

ずっと悩んでいて欲しいくらい、可愛いその横顔にノイトラは心臓を撃ち抜かれた。
ああ、このまま2人でずっと話していたい。この子を独り占めしたい。
ノイトラの儚い願いは、叶うのであろうか。
いいや、力技を使ってでも叶えねばなるまい!




個室の扉がガラリと空いて、やっとディ・ロイが戻ってきた。職場からの連絡だったらしく、表情に疲れが見て取れる。
しかし席に戻れば可愛いあの子が待っているのだ!
彼は意気揚々と扉を開けた。

「たっだいまァ……あれ?」

ディ・ロイは目を擦った。
見間違いだろうか。
いいや、見間違いなんかではない!
可愛い可愛いなまえの隣に、ノイトラが座ってるじゃあないか!

肩を怒らせて、ツカツカと早歩きでノイトラに近づくディ・ロイ・リンカー。
表情こそ険しいものの、肩を怒らせても、怒りに額に血管が浮き出ても、なんとも言えず可愛らしい男の子だった。
その姿に、何故か威嚇して両手をあげるレッサーパンダが重なって見える。

「オイ、ノイトラァ…」
「あ?」

ノイトラは、怖い。
どのくらい怖いかと言えば、あのエドラドですら、ノイトラ相手に怯んだことがあるくらい。
ディ・ロイに話しかけられて、グリンとこちらを向いたその顔は、夜叉とも、般若とも、鬼ともつかぬ、恐ろしい形相であった。今にも炎を吐き出しそうな面構え。
眉間に皺が寄り、口角が歪み、瞳の奥に刃物に似た、鋭い光が宿っている。
怒り心頭で声を掛けたディ・ロイであったが、その恐ろしい剣幕を真正面に受け、蛇に睨まれた蛙のように固まってしまった。

「………」
「何だよ、オイ」
「………なんでも、ない、…」
「だよな。グリムジョーの隣、空いてるみてェだな」
「………」

ディ・ロイは自分のグラスを持ち、グリムジョーに縋って「席取られたッ」と泣きついた。
グリムジョーは、そんなディ・ロイをそっと抱き寄せ、黙って背中をトントンしてあげている。
そう。皆さんご存知の通り、誰よりも優しい男なのだ。グリムジョーの兄貴ってお方は。





「あっちもイイ雰囲気だな」
「…ほぼ、ボーイズラブですね」

酔っ払ったディ・ロイはグリムジョーにぴったりとくっ付いてグダを巻いている。グリムジョーは時折ディ・ロイに水を飲ませながら、根気良く話を聞いてあげていた。彼らが恋人同士と言われても「あら、そうなのね」と誰もが納得してしまいそうな雰囲気である。

「俺らも真似しようぜ」
「…やだっ」

なまえは笑いながらそっぽを向いた。可愛い。クッソ可愛いじゃねえか!
ノイトラは、こういうのが好きだ。いいや、大好きだ!
女の子は振り向かせたいタイプなのが、ノイトラ・ジルガ。拒否られると燃えてしまうのだ。
業の深い、厄介な男としか言いようがない。

「なァんだ、振られちまったな」
「だって、ノイトラさん彼女居るでしょ?」
「居ねえよ。居たらこんな事しねェ」
「そうなんですか?」

そう言ってノイトラは、なまえの飲んでいたカクテルに勝手に口を付けた。

「甘ッ」
「うわ、ひどい顔っ」

思ったよりも甘いカクテルに、ノイトラはつい顔を顰めた。それがツボにハマったらしく、なまえはノイトラの顔を見て笑い声を上げている。
口直しにキムチを口に放り込んで、ノイトラは事なきを得た。

「女子って、なんで甘いの好きなんだよ」
「えー…なんでだろう」

うーんと考えている表情すら可愛くて、ノイトラはまた心臓を撃ち抜かれた。もう2発はやられている。致命的だぜ。

「分かんないなあ…でも、」
「でも?」
「甘いの食べたら、なんか理由わかるかもしれないです」
「あ、そォ。じゃ今度俺と…」
「ノイトラさん、あのね」

ノイトラがカッコよく誘う前に、なまえは悪戯に笑って「オススメのカフェがあります」と、耳打ちしながら服の裾を引っ張った。
その声の甘いこと。
潤んだ瞳の蠱惑的なこと。
服を引っ張る手の、小さいこと。

やられた!

白旗。降参。ノイトラは気持ち良いくらいに鮮やかに負けた気がした。久し振りに心臓が音を立ててドキンドキンと脈を打っている。
絶対、この子と付き合いたい!



隣に座る小悪魔は、ついに手を握らせてくれる事もなく、酒を飲み終えた。
タクシーに乗り込んで、ノイトラに向かって思わせ振りに微笑んで見せた。

「またね、ノイトラさん」

全身に回ったアルコールが揮発するかと思う程、身体中が熱くなった。
ノイトラはさっき交換した連絡先をディスプレイで何度も何度も確認して、ついでに彼女以外の女の連絡先を全てブロックながら、少しだけ遠回りして家に帰る事にした。

道に散らばるゴミも、誰かが捨てた空き缶も、汚い路地裏も、ネズミが走り抜けた側溝だって、全てがドラマチックに映った。
世界って、素晴らしい!

可愛いあの子にハートを射抜かれたノイトラ・ジルガ。
月に届きそうな程、浮かれていた。

(つづく)


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