平穏を打ち砕く悲鳴は、遠くの地平線まで轟いた。

なまえの悲鳴を聞いて駆け付けてくれたアスキンとバズビー。不気味に這い回るエス・ノトを捕獲し、ぐるぐると簀巻きにした状態でキルゲに引き渡した。
コイツには、再教育が必要だ!

キルゲは「煮ても焼いても、よろしいのですねッ」と、冗談と思えぬ恐ろしい事を言いながらエス・ノトを肩に担いだ。
アスキンは「表面、炙るだけにしてあげろよ」と返した。(バズビーは「それ俺の仕事じゃん?」と思ったそうな)

キルゲがその返事を聞いていたかは、定かではない。

今度はしゃくり上げるなまえを励ます時間だ。エス・ノトの顔を見て泣いちゃったらしい。可哀想に。
彼女の小さい背中をトントンしながら、3人は別室に向かう。ホットミルクを淹れてあげながら、アスキンは「話してみ」と優しく声をかけた。

彼女1人に寝かし付けを押し付けたようなアスキンとバズビー。
贖罪するような気持ちで、彼女の話を聞いては「そォだな」「ツラいねえ」と言いまくった。

途中、ナナナがひょっこりと顔を出して、黙って追加のミルクティーを出してくれた。優しい。
なまえが落ち着いた様子でミルクティーを飲むと、バズビーは、はじめて相槌以外の言葉を口にした。

「つーか、エス・ノトが甘え過ぎって話じゃね?なあ、ナックルヴァール」
「それはそォだな。どうする?俺、マジで人事担当になっちゃったからさァ、エス・ノトとなまえちゃんを引き離せるけど…」
「……そう、なんですか」

そう言われると、なまえの心は揺らいだ。
お願いします!引き離して下さい!あんなひと!と、アスキンに言いたい気持ちもある。
しかしその反面、もう彼とロクに会えないかもしれないと心は沈む。
「いやいや、ハッキリと気持ちを伝えてくれない男なんてダメよ!これっきり!」と強気な自分が出てきて啖呵を切る。
が、今度は弱気な自分が出てきて、「本当にそれで良いの?後悔しない?」とウジウジする。
どちらも本音であった。なまえはうーんと考えて、胸に手を当てる。
私、本当はどうしたいんだろう。

ふと浮かんだのは、エス・ノトの怯えるような瞳だった。眠りに落ちる前、まるで助けを乞うかのように揺らぐ瞳だった。最近は見なくなったものの、彼の細く戦慄いた唇も、冷え切った指先も、どれもこれも心に焼き付いて離れない。
今更彼を放って、良い夢を見れる気がしないとなまえは思った。

随分と悩んでいる様子だなと、アスキンは助け舟を出す事にした。

「しばらく保留でも、俺ァ構わないぜ。ゆっくり決めてみな」
「アスキンさん…」
「俺もそー思う。あんまし思い詰めんなよ」
「バズビーさん…」

上司に恵まれたなまえは、その優しさに目頭を熱くした。瞳をパチパチして、涙を零さないようにしながら、まだ2人に打ち明けていない、秘密のお話を切り出した。
この優しいお兄さん達なら、全部受け止めてくれるだろうと踏んだのだ。

「……ここまで愚痴っておいて、言い出しにくいのですが…」
「どしたよ」

アスキンも、バズビーも、真剣な眼差しでそれに耳を傾けたのだが…。
彼女の言葉に、のっけから「なんじゃそりゃ!」と言って椅子から転げ落ちそうになってしまった。
あのエス・ノトに惚れているだって?

「えっ…えっ!?マジで言ってる?」
「それ呪いじゃね?」
「や、でもね、でも、寝顔カッコいいんですよ。意外でしょ?」
「知らない知らない!」
「知りたくもねェ」
「でも流石に噛まれたら、ドン引くというか…」
「いや、そのまま引いて戻るなよ」
「なまえちゃんフェードアウトって知ってる?あと、俺のがカッコいいと思わない?」

うふふと顔を赤らめるなまえ。アスキンとバズビーは、ふと顔を見合わせて乾いた笑いを浮かべた。
俺たちの贖罪は、何だったんだ!







「ハイ、ハァーイ!静粛に!これより、’’謝罪か!?陳謝か!?エス・ノト切腹謝罪会見大会’’を開催いたしまァす!」

キルゲ・オピーは、椅子にガチガチに拘束されたエス・ノトの前で、ビシィッと敬礼し、高らかに宣言を下した。
切腹謝罪会見大会とは、一体何なのだろうか。

「ウルサい…」

椅子に括り付けられたエス・ノトは眉間に皺を寄せて、キルゲから顔を背けた。
男と合わせるツラは無いらしい。

「先ず、罪状は“女の子の顔に傷を作った”という大罪…どう受け止めているのか、お聞かせくださァい!」
「……………モウ、謝ッた」
「成る程。彼女から、許しは得られましたか?」
「………」

エス・ノトは黙って頷いた。
キルゲはフン、と鼻でせせら笑って、槍を持ち出した。

「ハァイ!そんなワケありませんねェ!」
「ァギャッ」

長い槍で、キルゲはエス・ノトを突こうと無茶苦茶に振り回した。しかしエス・ノトだって聖文字持ちだ。簡単にやられる訳もなく、機敏に避けては、血装を全開にしてそれを弾く。

「彼女は!エス・ノトに!歯型を付けられた挙句ッ!部屋の前まで来られてッ!迷惑して居るンですねェッ!」
「ギィッ」
「お分かりですかッ!?大罪!刑法犯!即ち、死刑ッ!」

聖文字、J。監獄の名を持つ男って、物凄く手強い。エス・ノトが反撃に取り出した矢だって、指先ひとつで簡単に弾いた。
エス・ノトは、この拷問から逃れられるのだろうか。

「大罪ッ!重ねて、嘘を吐きましたねェ!これは、切腹!切腹して、彼女に謝罪しなければいけませんねェエ!」
「ギェ、」

遂に、エス・ノトの額に槍が当たる。一条の血が流れ、キルゲは高笑いをした。

我々、星十字騎士団イチのかわい子ちゃん、なまえと毎晩添い寝している罪は、重いのだ!
なまえのファンを務めていた男たちは少なくない。キルゲもその一端である。だからこうして、大義名分のもと嬉々として鬱憤を晴らしているのだ。

キルゲの復讐は、止まない。
槍は容赦なく降り注ぎ、エス・ノトは長い髪を振り乱して避ける。避けまくる。キルゲはそれを追っかけて更なる猛攻撃で追い詰めてゆく。

単なる私怨でボコボコにされるエス・ノトの運命や、如何に。

「ザマァ無いですねえ、エス・ノト」
「……」
「可愛らしいあのお顔に傷を付けた罪は重い…。死なない程度に、苦しんで貰い〼」

キルゲが高く高く槍を構えた、その瞬間であった。

「あっ!エス・ノトさん居た!」
「!」

扉をドン!と開けてなまえが入ってきた!
助かった!
エス・ノトは額に走る痛みも忘れて、パァッと目を見開いて、彼女を見つめた。

「あの、キルゲさん!エス・ノトさん…の、寝かし付けをしても……よろしいでしょうか。もう、夜になっちゃったので…」
「…………」

槍を構えた姿勢のまま、キルゲは固まっていた。
同僚を甚振れる、折角の機会を逃してしまった。残念過ぎて、動けないみたいだ。
しかも、かわい子ちゃんを目の前にして一方的に暴力を働くのって、紳士のやる事じゃない。

しかも、これから寝かし付けだと?
そんなバカな!

「………キルゲさん?」

ハッとして正気に戻ったキルゲ・オピー。
諦めたように槍を下ろし、エス・ノト拘束を解いてゆく。
彼女がそう言うなら、仕方ない。ファンはアイドルの前で盲目だ。

「…ええ。御随意にどうぞ。私の役目は終わったようですから。
なまえサン、ご安心下さい。エス・ノトは教育済みですので」

すると、飼い主に駆け寄る犬のように飛び出すエス・ノト。
キルゲは、その首根っこを捕まえて、低い声で囁いた。

「次、女のコの顔に傷を付けたら、どうなるか分かっていますね?」
「………」

ギギ…と、ぎこちない動作で振り向き、コク、と頷いた。その瞳には、怯えの色が濃く浮かんでいる。
満足したように、キルゲは口角を吊り上げて笑った。

「さあ、なまえサンッ!早くその薄気味悪い男を連れて、出て行ってくださいねェ!」
「はい!キルゲさん、お世話になりました!」

やれやれ。手間の掛かる小童どもめ。
キルゲはしかし、なまえの可愛らしい笑顔に免じて、フゥと溜息をついて2人から背を向けた。






オ●ナインの香りに、エス・ノトは少し顔を背けた。

「沁ミる…」
「我慢してください」

なまえの細い指が、エス・ノトの額に軟膏を塗る。キルゲに付けられた傷である。

「はい、終わりましたよ」

そう微笑むなまえの顔を見たら、エス・ノトは胸の奥が甘く締め付けられた。
たった1日しか離れていないのに、もう数ヶ月も会っていなかったような心地がする。
可愛くて、優しくて、頼りになるなまえに堪らず、エス・ノトはつい抱きついた。
今、言わなければいけない事がある。

「わっ、なんですか」
「…ゴメン、ね」
「…ふふ、……今更?」
「………ゴメンナサい」

ぽす、となまえの肩口に顔を埋めるエス・ノト。本音って、相手と顔を合わせて言うモンじゃない。
なまえは優しく背中をトントンとして、不安げに瞳を揺らすエス・ノトに向かって「おばかさん」と囁いた。

「もう、噛まないって約束してくれますか?」
「スる」
「ついでに、エス・ノトさんが私を寝かし付けてくれる日も、欲しいなぁ」
「作る」
「一緒に寝て欲しいからって、矢を取り出すのは?」
「…シナい」
「全部、約束できますか?」
「デキる」

エス・ノトはそうっと身体を離して、可愛いなまえと向き合い、ひとつ深呼吸をした。

「モウ、噛マナヰカラ、一緒ニ居て」

答えはもう決まっていた。
なまえは「遅い、ばか!」という言葉を飲み込み、黙ってエス・ノトの胸に飛び込んだ。




「じゃあ、マスク外しちゃいますよ」
「オネガい」

なまえは、するりとエス・ノトのマスクを外してゆく。これも毎晩の儀式であった。
指先に触れる彼の耳朶は、氷のように冷たい。手の甲に彼のサラサラとした髪が当たり、懐かしさに胸を締め付けられる。
たった1日この儀式欠かしただけで、胸に虚の穴でも空いたような気がした。そんな自分の気持ちの変化に、なまえはまだ追い付いていない。

絹のような白い素肌が露わになると、なまえは酔ったような心地で彼を見つめた。

まるで蝋細工をキュッと引っ張って作ったように尖った鼻先。血色の無い唇は、それこそ磁器人形のような気品が漂っている。黒い瞳は、まるで夜を映した湖のよう。波ひとつ立たない、静謐で陰鬱な水面だ。

エス・ノトの隠された素顔は、何度見たって慣れないような美形である。
百合の花を思い起こすような美しさは、夜の闇に良く似合う。

見惚れられている事に気づき、エス・ノトは音を立てずに微笑んだ。

「今日、なまえノ寝カシ付ケ、シテアゲる」
「あれ、いきなり?できるの?」

エス・ノトを揶揄うようなまえが悪戯に笑うと、彼の骨っぽい両手がなまえの後頭部を包んだ。
あっと思うと、唇を奪われていた。
ふわりとエス・ノトの落ち着いた香りが鼻を掠めると、なまえはうっとりとして瞳を閉じた。
合わせた唇の隙間から、蛇のように長い舌が差し込まれる。息も絶え絶え、まるで捕食されるかのような口付けになまえは息を上げた。

ふと唇が離れて、やっとの思いで目を開けると、エス・ノトは意地悪く唇を歪め、見下すような笑みを浮かべていた。
いきなりなんて、ズルい!そう言おうと息を吸った途端、また唇は塞がれた。
冷たい鼻先が頬に擦れる度に、なまえの胸の奥が熱く滾った。

まだ、夜は長い。
シーツに沈められたなまえは、どんな夢を見たのだろうか。





あれから2週間後。
エス・ノトとなまえは廊下に正座させられていた。

「毎晩、アンアンうるせーんだよ。寝かし付けの手順、イチから教えて貰って良いか?なァ」

リルトットは鮭とばを食べながら、主にエス・ノトを罵った。
続いて、ミニーニャがスッと前に出る。

「こっちは毎晩ギシギシ、スゴい音が聞こえるの…」

こうなれば当然、ジジ、キャンディス、バンビエッタが口を開く。

「なんか水漏れみたいな音すごくない?僕、眠れないんですけど!」
「もうナカもソトもビシャビシャでしょ、ビッッッシャビシャ」
「ああ、毎晩床上浸水してンのかと思った。ヤり過ぎ」

顔を真っ赤にして俯くなまえ。
もう言い訳も出来まい。

「…そんな、音を立てた、つもりは……でも、ほんとすいません…」

崩れるように頭を下げると、もう土下座の姿勢である。エス・ノトはそんな事しなくても良いと言わんばかりに、彼女を起き上がらせながら、マスクの内でフウと溜息をついた。

「……ナンカ……色々…ゴメン、ね…?」

ぺす、と下手くそなウインクを飛ばすエス・ノト。

「いや、エス・ノトはちゃんと謝れ」
「切腹して謝れ」
「ホントいい加減にしろ」

ずいずいと2人に迫るバンビーズ。まもなく、リンチが行われる気配がする。
しかし、刺客が遠くから狙っている事に彼女達は気付かない。介錯なら、お任せ下さァい!と、キルゲが乱入してくるまで、あと5秒。

今日もどこかで、平和の鐘が鳴っていると思う。
多分。
きっと…。





(一旦、おわり)




▼もうひとつのエンドロール

あの夜の後、なまえはまた鋭い痛みに目を覚ました。

「あいたぁ!」
「…………ゴメ、ゴメン、ナサい…」
「おばか!もう!」

今度は食いちぎられそうになった唇から、ぽっちりと赤い血が出てしまっている。それはそれで猟奇的に可愛いのだけれど、顔面蒼白にしたエス・ノトはガチガチ歯を鳴らして震えるしか出来なかった。

「…アノ、僕……歯、全部抜く…」
「やめてやめてやめて…」

エス・ノトが口に指を突っ込んで歯を引き抜こうとするから、なまえは必死に止めに入るが、その甲斐もなく彼は「エス・ノトハ、悪ヰ子…」と歯茎をグリグリやっている。
暫くすると、指での抜歯は諦めて、ペンチを探して部屋を徘徊し始めた。
誰か、この男を止めて!なまえの叫びは虚しく消えた。
仕方あるまい、奥の手だ。

「まってまって、私が抜いてあげるから!」
「ホンと?」
「ほんと!約束ね!でも今日は無理だから、明日からでいい?」
「毎日、一本ズツ、抜ヰテね」

指切りげんまん。
まるで夢見るように「何ヲサレテモ、嬉シヰよ」と瞳を細めて笑うエス・ノト。
参った。この男、本当に厄介だ。
なまえが適当に返事を濁すと、エス・ノトは鏡で自分の歯を見ながら、ポツリと言った。

「僕ノ歯、大切ニ持ッテテね。僕モなまえノ歯、大事ニスルカら」

なまえはギョッとして口元を覆った。
いつから私まで歯を抜く話にすり替わったんだろう!怖すぎる!

「私の歯は抜かないよ!」
「ドウシて?」
「やだ!やだ!離して!」

まだ血の乾き切らないなまえの唇に触れて、エス・ノトは「美味シソう」と呟いた。
見せつけるように舌舐めずりをして、彼女へと唇を落とす。彼女の唇に付けた傷口を舌で舐り、滲む血を啜る。まるで吸血鬼が女の生き血を喰らう様にも思えた。

辺りはまだ、仄暗い闇に包まれている。
月も星も見えない、暁闇の頃であった。

(今度こそ、おわり)


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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
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