「さあ、新生バンビーズのお通りよ!」

バンビエッタはそう言って、なまえの肩を抱き寄せて廊下を歩いてゆく。
後ろに続くのはキャンディス、ミニーニャ、ジゼル、リルトット。いつもの可愛くて強い5人組に、なまえが加わっている。これが新生バンビーズらしい。
なまえは新入りの団員さんである。可愛らしくて初々しい女の子だ。彼女のバンビーズ選抜理由は適当で、まあ、女の子の新人だし、仲間に入れとこっか?という大雑把なものだった。

「なまえ、なんか新生バンビーズらしいさァ、面白いコト言ってくんない?」
「え、えっと、…え?」

キャンディスは振り向きながら、無茶振りに狼狽えるなまえの顔を見て、ぷっと吹き出した。

「真面目かよ!ほら、隣のバンビの息がクサイとか言えば笑い取れるからさァ」
「はあ!?失礼すぎでしょっ!処刑するわよっ」

ムッとしたバンビエッタは、怒りのこもった霊子を素早く撃ち込む。キャンディスは慣れたように、口笛を吹きながらひょいと避ける。
壁に当たった霊子は物凄い音を立てて爆発した。

なまえだけが怯えて、神に祈りを捧げている。バンビエッタさんが落ち着きますように、と。
隣でバンバン霊子を放たれると生きた心地がしないのだ。

「こわァーい。バンビちゃん生理中?」
「ジジ!うるさぁい!」

ジゼルもへらへら笑いながらバンビエッタをイジる。当然のようにバンビエッタは霊子をお見舞いする。ジゼルは軽く首を傾けてそれを避けた。
こんな時、場を収めてくれるのは落ち着いているこの2人。

「オイオイ、喧嘩すんなら誰が勝つか賭けさせてくれよ。ミニーニャ、誰に張る?」
「多分、これから仲裁に入るリルトットちゃんが勝つと思うの…」
「それもそーだな」

リルトットとミニーニャは面倒臭そうに、バンビエッタからなまえを引き剥がし、保護した。弱い者には優しく、という気持ちは一応あるらしい。

「もおーっ!あんたたち!バンビーズのリーダーをちゃんと敬いなさいよおっ!」
「だーいじょおぶっ!みんなバンビちゃんがスキだからイジってるんだもんねーっ」
「そおだよ。バンビ可愛いからイジっちゃうんだよね」

ねえ。そうだよね。バンビちゃん可愛い。ほら今日前髪いいかんじ。てか髪ツヤツヤだよね。あ、怒った顔も可愛い。ほんとだー。あたしらと顔の出来が違うんだよ。リーダーは、顔もリーダー格なんだよねえ。
こんな風にキャンディスとジゼルにコソコソ言われると、バンビエッタも段々満更でもなくなってくる。

「………まあ、今後口の利き方には気を付けなさいよっ」

顔を赤らめて、バンビエッタは先の失礼を許すことにした。
キャンディスとジゼルは「はぁーい」といい子のお返事をしながらも、下唇を噛んで笑いを堪えている。
単純でチョロい、可愛らしいリーダーを持つ女の子達は毎日こんな感じでかしましい。

これを見ていたリルトットは5個目の焼きそばパンを頬張った。
ミニーニャはぼんやりそれを眺めて、「5個も同じのを食べて、飽きないかなって思うの…」と呟いた。
リルトットは「飽きねえ。うめえ」と言ってまた一つ焼きそばパンを取り出した。
そして、それを「食うか?」となまえに差し出した。どうやらリルトットなりの歓迎の仕方らしい。

「良いんですか?ありがとうございます!」
「1個5000円な」
「えっ」
「ギリギリ払えるラインのぼったくりは良くないと思うの…」
「ま、後払いで許してやらァ」
「もがっ」

なまえは問答無用で口に焼きそばパンを突っ込まれた。たしかに美味しい。

気付けば一行は、広間に躍り出ていた。
ここは軽い打ち合わせもできるラウンジのような場所で、団員同士の憩いの場である。

「なんかさー、ヒマじゃん?」

まず口を開いたのは、キャンディス。

「ヒマだにゃーん。…そうだ!誰かで遊びたい気分だなぁ、ボク」
「それ賛成っ」

ジゼルとバンビエッタが意気投合する。

「誰かって、俺らは勘弁してくれよな」

リルトットとミニーニャ、なまえは揃って両手を上げた。
バンビエッタは当然と言わんばかりに笑って、辺りを見回した。

「大丈夫!あんたたちも、全員共犯者にしてあげるんだから」

言っていることは不穏なのに、バンビエッタの笑顔は、眩しいくらいに可愛らしかった。
まあ、イジられる側じゃなければ良いやとミニーニャとリルトットはウォーミングアップを始めた。
なまえだけ取り残されて、脇の方でポツンと棒立ちしている(焼きそばパンは完食した)。
これから、何が始まろうとしているのだろうか。

「腕慣らしも楽じゃねェな。腹減って仕方ねえ」
「…せめて、ターゲットだけでも決めたら良いと思うの」
「今決めるから、待ってよう」

悪戯したい盛りのバンビエッタの目に付いたのは、今まさに広間から出てゆこうとするエス・ノトであった。
どうやら、ジゼルとキャンディスも同じだったらしい。女の子たちは示し合わせたように、ニヒヒと笑って彼の後を追った。
エス・ノトはそんな悪意にも気付かずに、長い髪の毛をふわりと揺らして歩いている。

「よおし、エス・ノトに向かって、突撃!」
「おっけえ」

リルトットに腕を引かれて、なまえもその列に加わる。
何が始まるのかさっぱり見当も付かず、なまえは小声でリルトットにぼそぼそと「何が始まるんですか」と聞いた。

「エス・ノト狩りだ」
「…え?捕まえるんですか?エス・ノトさんを?」
「そうだ。俺たちでアレを遊び道具にするんだとよ」
「………それって…」

ダメなんじゃない?
なまえがそう言う前に、先頭のジゼルが「つっかまえたぁーっ」と声を上げた。
何故か、なまえがごめんなさい!と謝りたくなった。この人たち、遊びで何するか分からないんだもの!
元気で、過激で、気紛れな人たちなのだ、バンビーズというのは…。

「ありぇっ、逃した!」
「回り込むわよっ」
「エス・ノト、大人しくしろぉーーっ」

ジゼル、バンビエッタ、キャンディスは前のめりにハントしている。壁となく、床となく、天井まで使って総攻撃だ。
エス・ノトは3人の攻撃を紙一重のところで躱し続けている。黒目がちな瞳はギョロギョロと動き、細長い身体は掴めない雲が揺蕩うよう、滑らかな動きで逃げ続けている。
エス・ノトはキャンディスの攻撃をひとつ弾き返しながら、やっと口を開いた。

「…何?新シイ遊び?」
「そおよっ!大人しく捕まりなさーいっ」

バンビエッタが霊子を撃ち込む。エス・ノトは軽く屈んでそれを避けた。突然襲われても顔色ひとつ変えず、冷静に応戦しているエス・ノト。
溜息が漏れそうなほど鮮やかな身のこなしである。聖文字持ちだもの、やはりこうでなくては。

「あの、あんなに暴れてて…大丈夫なんですかね…」
「知るか。俺たちもイイとこなんだ、話しかけんな」
「…そろそろリルトットちゃんが負けると思うの」
「チッ…俺にハンデありすぎんだよ」

ふと隣を見遣ると、のんびりと指相撲をしているミニーニャとリルトットが居る。
ハラハラしているのはなまえだけだろうか。成り行きを見守っていると、ジゼルがひょっこり抜け出してきて、なまえに抱きついた。

「あーん、ボクもう疲れたっ!なまえちゃん、バトンタッチ!」
「きゃっ、私…ですか?」
「そー。はやくアイツ捕まえてきてっ」

抱きつかれた!と思ったら、今度はポイっとゴミでも投げ入れるかのように、あの激戦区に送り込まれてしまった。
しかし、まだまだひよっこのなまえは、足が震えて前に進めない。仕方なく壁に貼り付いて、さっきと同じように成り行きを見守るしか出来ない。
目の前では激しい攻防戦が繰り広げられ、砂埃すら舞っている。

「もおっ、捕まりなさいよお!」
「ヤだ」
「大人しく投降しろ、エス・ノトー!」
「イヤだ」
「逃げ足ばっか速くて、この卑怯者ぉ!」
「…奇襲カケル方ガ、卑怯ダト思ウな」
「おっ、バンビ論破されてやんの」
「うるっさあーい!」

エス・ノトはいい加減面倒になったのか、憤慨するバンビエッタに背を向け、壁際にするりと身を寄せて逃げようとした。

「!」
「あっ、えす、のとさん…?」

すると、エス・ノトは可愛らしいあの子と鉢合わせしてしまったんだな。

運命の出会いとでも呼ぶべきか、エス・ノトは前から気になっていたなまえと正面から鉢合わせして、逃げる足を止めてしまった。
そして、ついまじまじとなまえの顔を見つめてしまう。新入りの可愛い女の子。名前は忘れちゃった。でもひと目見た時から良いなと思って、ずーっと覚えていたのだ。
男って、可愛い女の子に弱いのだ。

「ァ…」
「?」

エス・ノトの頭の中は今、なまえの可愛らしさで頭が一杯だ。だから、カオナシのように小さく呻いて、会釈するしか出来なかった。どうやら思考回路がパンクしてしまったらしい。

「あ…」
「ァ…」

なまえもそれに釣られて、ペコ、と会釈を返した。まるでカオナシ2匹が向かい合ってお辞儀しあっているようだ。

こんな機会をバンビーズが見逃すワケもなく。
にじりにじり寄ってきたキャンディスとバンビエッタにエス・ノトは確保された。

「とったどーーー!!」
「確保ーーーっ!!」
「…シマッた」

ミニーニャは、エス・ノトを素早く捕縛して、リルトットの持ってきた椅子に括り付けた。彼は、諦めたように瞳を伏せている。
なまえはハッとして問いかけた。

「えっ、あの、皆さん…これから、何するんですか!?」
「さァてね、見てのお楽しみよ!ねえキャンディス、アレ持ってきて!」
「分かった」
「ミニーニャもアレ貸してよ」
「貸すっていうより、あげるに近いと思うの…」
「細かいなあ!もう!」

ミニーニャはポケットから小さな缶を取り出した。バンビエッタはそれを奪うように開けて、手に取り、エス・ノトの髪の毛に伸ばし始めた。
なまえは、思っていたよりも平和な光景にポカンと口を開けた。

「せめてもの慈悲よ。ベースにバーム塗ってあげるから、あんまり髪傷まないはずよ」
「…イイ匂イ。何?此レ」

エス・ノトは椅子に括り付けられているにもかかわらず、大人しくバームの香りを確認している。
もしかしたら、バンビーズの遊びには慣れているのかも知れないと思った。

「ベースにも、アレンジにも使える流行りのやつですよぅ」
「バンビ!アイロン持ってきたよ」
「ボクのストレートのやつも貸したげるっ」
「よおし、遊ぶわよーっ」
「おー!」

バンビーズは、諦めたように大人しくしているエス・ノトを囲んで髪の毛を弄り始めた。彼はふうと溜息をついて、女の子たちを見上げた。

「…優シクシテね」
「んー…善処してあげる」

急に女の子らしい遊びが始まったので、なまえはついぞ取り残されてしまった。あんなにしてまで、彼を追い回す必要なんてあったのかしら。なまえは疑問を抱いたまんま、ぽつんと立ち尽くした。
リルトットが、手にアイライナーを持ってエス・ノトと向かい合う。

「なあ、オデコに肉って書いていいか?」

彼は微かに首を横に振った。誰だってそうする。

「ダメ」
「じゃあ眉毛書いて良いだろ?繋がってるヤツ」
「ダメ」
「チッ!随分とケチ臭え男だな」
「誰ダッテ嫌デしょ」
「…それもそうか。なあ、オデコに目書き足して良いか?」
「怒ルよ」
「あ?まだ怒ってねえのか。随分と広い心持ってんだな。書き足していいだろ」
「…ィ゛ッ」
「その目やめろって」

エス・ノトは白目を剥いて、喉の奥から金属音に近い声を出して抗議している。しかし髪の毛はやりたい放題されて、編み込まれたり、巻かれたり、お団子を作られたりして忙しい。
それが面白くて、なまえはつい笑ってしまった。
バンビーズは一斉にこちらを見てにかーっと悪い笑みを浮かべた。5人姉妹と言われても信じちゃうくらい、似ている笑顔である。

「どお?傑作でしょ?」
「ボクのアレンジが1番かわいーでしょっ」
「…ここのお団子が1番だと思うの」
「ほらぁ、随分可愛くなったじゃん」
「なあ、鼻毛書いて良いか?」

エス・ノトは深い溜息をついてから、「殺シテ…」と言った。好きな子に笑われてしまったので、居心地の悪さと言ったらこの上ない。

しかもバンビーズはここまでやっておいて、「飽きた!」の一言で椅子に括り付けたエス・ノトをそのままに、わらわらとその場から立ち去ってゆく。
キャンディスが「…ああ、忘れてた」と言って、なまえをひょいと抱き上げて、エス・ノトの横へと移動させた。

「じゃ、なまえは新人らしく後片付けやっといてよ!」
「ナイス!よろしくーっ」
「…え!?」

傍若無人のバンビーズ。
彼女たちはエス・ノトとなまえを残して去ってゆく。残された2人は向き合って、呆然としてから乾いた笑いを浮かべた。

「…ごめんなさい、あの人たちが…」
「ベツに…」

なまえはまず、エス・ノトの体に張り巡らされた縄を解いてゆく。
エス・ノトさんって近くで見ると益々細い。しかも薄い!羨ましいなあと思った。それなのに、肩幅はしっかり男の人らしく広いので、ちょっとドキッとした。
さて、なまえのこの気持ちにエス・ノトは気付いているのだろうか。

エス・ノトは彼女のそんな気持ちに気付く余裕など、1ミリたりとも無かった。
彼女とは比にならないくらい、恐ろしい程に胸がドキドキしていた。
だって好きな女の子と急接近しているのだから、平常心なんて保てない。心拍数は上がるし、血圧も上がる。青白い素肌にも、血色が戻りそうなほど顔に熱が集まるのが分かる。

「あの、髪の毛…直しますね」
「ウン…」

遂になまえの指がエス・ノトの髪に触れる。たったそれだけで、ピク!と肩を跳ねさせるほど反応してしまった。
もう、ダメだ。エス・ノトは限界である。
これ以上触れられたら、オーバーヒートを起こしてしまいそうだった。

「わ、痛かったですか?」
「違、…コッチノ問題ダカら…」

マスクの下の呼吸は荒い。
瞳孔が散乱して視界が眩しい。
好きな子に触られて正気を保てる男が居たら、是非会ってみたいと思った。

「?そうですか…でも、痛かったら言ってくださいね」
「……分カッ、た…」

なまえは彼のそんな気も知らず、髪の毛を触りながら、サラサラで良いなあと思った。
まず、ジゼルの作ったアホ毛を解除する。それから、ミニーニャのお団子、バンビエッタが編んだフィッシュボーンを解いてゆく。最後に、キャンディスの巻いた髪の毛をブラシでとかし、ストレートアイロンを当てて元に戻す。

さらさらと指通りの良い髪の毛は、触っていて心地が良い。毎日触っても飽きないだろうなと思う程である。

「髪の毛、さらさらですね。バンビさん達が触りたくなるの、分かります」
「…ェ…、ア、ソウ?」
「はい。良いなあ、この髪の毛…」
「…」

エス・ノトはもう返事をする余裕がなかった。なまえはするすると髪を撫でる。

「…モウ、終ワッた?」
「あ、はい!すみません!終わりました。なんだか…災難でしたね、エス・ノトさん」
「…ホントに」

エス・ノトは一応迷惑そうな顔を作って見せたものの、本当は今にも表情がデレデレと崩れてしまいそうだった。
可愛い女の子って、話し方まで可愛いから、耳も鼓膜も溶けそうになってしまう。
だが、それを悟られてはいけない。舌先を強く噛み、すんでのところで正気を保っている。

「そのうち、バンビさん達にネイルもされちゃいそうですね」
「其レハ困る」
「…でも絶対されちゃいますよ。あの調子じゃあ…」
「エェ…」

なまえはエス・ノトの手を見て驚いた。細長い白い指の先に、綺麗な黒い爪が宝石のように煌めいているのだ。

「わあ、爪もきれい!」
「!?」

なまえはつい、エス・ノトの手を両手で取って、美しい爪をまじまじと見つめた。

「わ、指も手もきれい…いいなあ…」
「………」

蝋でも垂らしたような白い素肌。なまえはうっとりしてそれを眺めた。さらさらの素肌を楽しむように、ちょっとなぞってみたり。
エス・ノトは目をギョロギョロ動かして、肩をビリビリと震わせて硬直した。好きな子に触られるのって、恐ろしく心臓に悪い。

「エス・ノトさん、髪だけじゃなくて、爪も綺麗なんですね」
「…ヒュッ…………」

なまえはエス・ノトに微笑んだ。
まさかこれが、エス・ノトを追い詰めていただなんて、一つも思わなかったのだ。

エス・ノトは手を握られた瞬間、既に思考回路がショートしていた。
もう視界はブレブレ。触れられたところが火傷しそうにアツい。
そこへ彼女の微笑みを喰らって、一発ノックアウトである。

「………。………。………」
「あれ?」
「…ギィッ………」
「え?」
「………ァ、…」

あれ?様子がおかしい…。
エス・ノトは変な声を出したかと思うと、白目を剥いて、首をガクンと倒した。握っている手は、手首から先がダラリと垂れて、異様に冷たくなっている。
なまえは急いで彼の額に手を当てると、額は熱せられた鉄板よりも熱くなっていた。
椅子からズルリと滑り落ちるエス・ノトをなまえは抱き止める。

さっきの遊びで、きっと彼に無理をさせてしまったんだ!と、なまえは早合点した。
早く手当てをしなければ!あの人になんとかして貰おうと、なまえは長い廊下の先を睨んだ。






「グレミィさん、冷えピタと氷枕出してください!」
「いや、どっちも普通に医務室にあるけど…」

グレミィは、なまえが肩から担ぐようにして運んでいたエス・ノトをひょいと抱えて医務室に向かった。
なまえは半泣きになりながら「ありがとうございます…」と言った。相当心配したのだろう、なまえの頬には涙の筋が見える。
医務室に辿り着くと、グレミィはエス・ノトをそっとベッドに寝かせた。

「…じゃあ、後は大丈夫かな?」
「はい!グレミィさんありがとうございます!」
「どういたしまして。多分、必要なものは全部棚に入ってると思うから」
「分かりました」

なまえは急いで棚に向かう。その後ろ姿のいじらしさと言ったら、例えようもない。その可愛らしさに免じて、グレミィはひとつ置き土産を置くことにした。

「看病といえば、コレが必要じゃないかな?」
「?なんでしょう」
「はい、フルーツの盛り合わせ」
「わあ!すごい」

グレミィはカゴに入ったフルーツの盛り合わせを“想像”した。空中にポンと現れたそれを手で掴み、なまえに手渡す。

「悪いけど、リンゴの皮とかは自分で剥いてね。あと、君が好きなものは自分で食べちゃって良いし」
「…分かりました。ありがとうございます」
「ううん。じゃあね」

廊下に出てから、グレミィはふと気付いた。健康体のエス・ノトを想像すれば良かったのでは?と。
…まあ、いっか。なんだかあの2人、良いコンビっぽいし。
医務室の扉の内側で、甘い恋でも始まるのかな。グレミィはぼんやりとそれを想像した。






「あっ、大丈夫ですか?」
「………ィギャっ…、」

エス・ノトは悪い夢から逃げるようにして目を覚ました。嫌ァな汗を全身にびっしょりかいている。
やっと開いた視界は、クリーム色のカーテンに囲まれていた。そうか、医務室に来たのかと合点してから、ひとつ違和感を覚えて枕元に視線を向けた。
さっき、可愛い声が聞こえた気がしたのだ。

「…………!!!」
「エス・ノトさん、おはようございます」

なまえだ!
この様子を見ると、どうにもずっと看病をしてくれていたようだった。額には冷たいタオルが置かれているし、氷枕だって心地良い。

だが…。

体調の悪いエス・ノトにとって、なまえはまだちょっと毒だった。だって可愛い女の子が近くに居るとソワソワしちゃうんだな、これが。そうするとまた心臓はバクバク鳴るし、血圧は上がるし、もう大変なのだ。

「…良かった。もう目を覚さないかと思いました」
「…!」

なまえは涙目になって、布団からはみ出ていたエス・ノトの手を握った。
エス・ノトは手を握られた瞬間、血液が沸騰して、心臓が爆発したかと思った。
だって男の子だもの、好きな子に触られたら体がおかしくなるものだ。

「…ィギッ………ァ…」
「良かった……って、あれ?」

彼は一瞬にして、また、とんでもない高熱を出してしまった。
エス・ノトの額を冷やしていたタオルから湯気が立ち上る。夜を映したような双眸は、いつの間にかギロ、と白眼を剥いている。

「うそっ!なんでえ!?エス・ノトさん!エス・ノトさん!」
「…………ハヒュ…」
「エス・ノトさああん!」

幸福への耐性が恐ろしく低いエス・ノトは遂に意識を失った。
さて、次に目を覚ますのはいつだろうか。





「…………」

あれから、どのくらい経ったのだろうか。
エス・ノトの呼吸は安定し、額もすっかり冷えた。煩わしく高鳴っていた心臓も、すっかり落ち着きを取り戻していた。
ふと枕元を見遣ると、彼女は居なかった。代わりに、枕元のベッドサイドには置き手紙と剥いたリンゴが置いてあった。しかも、リンゴがうさぎちゃんになっている。他にもオレンジやらブドウ、梨まで食べやすくカットされた状態で用意されていた。

エス・ノトは置き手紙を読みながら、まずはリンゴを一つ齧った。甘い罪の味が舌先に溶けた。

『体調はいかがでしょうか。1日でも早く良くなりますように。フルーツはグレミィさんから頂きました。良かったら召し上がって下さい』

文字すらかわいい…。
好き…。
エス・ノトは胸の奥がジーンと熱くなった。まるで胸の中に柔らかい光でも宿ったかのような心地がした。
可愛い。この子、益々気に入った。

すっかり軽くなった体を持て余したエス・ノトは残りの林檎を口に放り込み、ゴリゴリと咀嚼した。
もう既にあの子に逢いたい。可愛い顔が見たい。あの声が聞きたい。
彼女を自分のモノにして、ずうっと側に置いておきたいと、エス・ノトは強く思った。

(つづく)


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