「池沢くん」
ふと顔を上げれば前の椅子を引いて腰掛ける苗字の姿があった。いつもに増して笑顔が輝いている。何か良いことでもあったのだろうか。
「どうかした?」
「ううん、なにも」
そう言いながら僕へ笑顔を向け続ける。ちょっと気持ち悪くなってきた。
「あのね、今日一緒に帰ろ!」
「いいけど…」
「やった!」
思いっ切りガッツポーズをして喜ぶ姿は子供っぽいというか幼いというか…でも苗字からは目を離せない。何故かね。
「苗字って南町の方だっけ?」
「うん!」
僕は西町。ちょっと遠くなるけど、まぁいいか。どうせ帰宅部なんだから時間はたっぷりあるし。勿論苗字も帰宅部だから一緒に帰れるんだけど。あ、そういえば5時からキングへの挑戦受けなきゃいけないんだっけ。ま、間に合うだろ。
*****
「雨降ってきちゃったねー」
「…待つか」
もし1人だったら構わず走って帰るけど、苗字を濡らす訳にもいかない。でもこの雨止むかな、傘借りた方がいいかも…。
「はい」
ピンクの可愛らしい傘を開いて、こっちを向いている。どよんとした空気の中、そこだけ花が咲いたみたいな。やっぱり苗字はピンクが一番似合う。
「行こっ」
「あ、ああ、うん」
僕の腕を引いて傘の中に入れ、一緒に歩き出した。顔はまた輝く笑顔で。何?苗字って天然なの?それとも馬鹿で気付いてないだけなの?こんな心臓ばくばくしてるのが僕だけなんて、
「池沢くんてさ、妹いたよね?」
「うん」
「何歳なの?」
「もう少しで一歳」
「わぁ!まだ小さいんだね!見たいなぁ…」
「…今度、写真持って来ようか?」
「本当!?やったー!ありがとう池沢くん」
僕が出来る簡単なことで苗字が喜ぶなら、僕は進んでそれをやろう。僕のことを知りたいのか、それとも只単に赤ちゃんが好きなのか。多分後者だろうな、苗字なら。
「そういえば池沢くんお家どこ?」
「…西町」
「えっ南じゃなかったっけ!?もしかして連れ回しちゃった!?ごめんー!」
「別にいいよ、暇だし。此処まで来たら家まで送るよ」
僕が西町に住んでること、知らずに誘っていたらしい。いや、寧ろ南町だって思いこんでいたって感じか。どこか抜けてるんだよな、苗字って。まぁそこも、可愛いと思ったりするんだけど。
「あ、ここ、わたしのお家」
「そう。じゃ」
「待って!この傘持って行って!」
断ってるのにこんなところは頑固で、最終的に押しつけられる形で苗字は家の中に入ってしまった。
たまにくるりと回して、柄じゃないなんて思いながら雨の中を歩いた。苗字の家を知れたのは収穫だけど、帰ったら母さんになんてからかわれるか。
晴れのち雨
あとがき