よし、一通り掃除も終わったことだし、一息つこうかな。わたしにだって此処で働いてる身として休憩室を使う権利くらいはあるんだし。
それにしてもよくみんなあそこまで汚すよなあ…日頃から机の上を綺麗に使おうって気がないのかしら。物置きすぎだし。まあ、編集さんは時間に追われてるし忙しいのもわかるけど。
「あれ、雄二郎さん、何処か行かれるんですか?」
「あぁ。新妻くんのところにね。例の月例賞審査してもらいに行くんだ。良かったら杉田さんも行く?」
「いいんですか!?」
「え、うん」
丁度休憩室を出たところで雄二郎さんが出て行くみたいだったから声掛けたらまさかエイジに会わせてくれるなんて…!なんでも言ってみるもんだね!
「新妻くん、ちょっと変わってるけど、驚かないでね」
「はい、大丈夫です」
実際はちょっとどころではないような気がするけれどそこは置いておく。
雄二郎さんとエイジの家へ行く間、勿論2人きりだったけれど雄二郎さんが沢山話題を持ちかけてくれたから沈黙なんて一度もなかった。雄二郎さんや山久さんがわたしに構うのは編集部の中では低年齢層だから年下のわたしは何となく話し掛け易いんだとか。でも殆どの人が話したいと思ってるから掃除の合間にも声掛けてあげて、なんて言われた。野郎しかいない場所に女1人だからね、なんとなくわかる気もするよ。
*****
「新妻くーん、入るよー」
雄二郎さんがドアノブを回すといとも簡単に扉は開き、中から返事もないのに入っていく。
「雄二郎さん、いいんですか?」
「いいのいいの。どうせ聞こえてないし」
なんて不用心な、そう思いながら雄二郎さんの後についていく。まあ、エイジの家に泥棒が入ってきたところで変な勘で泥棒が来たことに気付きそうな気もするけどね。
「新妻くん、月例賞の原稿と審査表持ってきたから来週までに頼む」
「……僕、人の審査するほどのマンガ家じゃないですケド…ってどなたです?」
「申し遅れました、編集部でお掃除係をやっています、杉田直子です」
「ただのお掃除係さんなんて連れてきていいんですか雄二郎さん?」
「いや、ただのお掃除係じゃなくて亜城木くんの友達だから」
「亜城木先生の友達なんです!?おーナイスファンタスティックでーす!亜城木先生はお元気してるんです?」
「はい、毎日奮闘してますよ」
「それで、話戻すけど、今回の月例賞には亜城木くんの原稿も入ってるから」
「ええーっ!亜城木先生のもですか!?」
いつも通りガンガン音楽の鳴っている部屋でどてらを着てエイジは机に向かっていた。部屋の中はそんなに寒くない、寧ろ暖かいくらいなのにエイジはどてらを着ていた。なんだろう、そういう気分なのかな?かわいいからなんだっていいけど。
「やっぱり亜城木先生いいですねーー」
「いいですねってまだ読んでないのに」
「タイトルでわかります。ん!?でも何で月例賞?」
「いろいろあって亜城木くんが新妻くんにも見てほしいと…」
エイジはろくに雄二郎さんの話も聞かないで読み始めている。途中で「うおっ」だの「ひゃっ」だの彼にしかわからない効果音をあげながら。
「ね?ちょっと変わってるだろ?」
「でもそこが彼のいいところなんじゃないですか?」
「……」
雄二郎さんは目を丸くしてキョトンとしている。あれ、わたし何かまずいこと言ったかな…墓穴掘った?
「何か、気に障ることでも?」
「いや、会ったばかりなのにそこまで見抜くなんて」
亜城木くんの友達も伊達じゃないな、とか言うからどういう意味ですかと聞いてみたけど答えてくれることはなかった。
「面白いです、これ入選です。これより面白いのあるわけないです」
「他のもちゃんと読んでこれに採点。亜城木くんをヒイキしちゃ駄目だぞ」
「してません。本当に面白いんです。僕にだけかもしれませんケド」
「新妻くんにだけ?」
「亜城木先生は主人公に自己投影しないですから。他の人はキャラが弱いとか冷めてるとか心がないとか言うかもしれませんケド」
適当なこと言ってるようで、実はちゃんと見てるんだから凄いよね、エイジは。まるで心の目で見てるみたい。
結局、エイジが面白いと評価したのは「Future watch」と静河くんが描いた「斜本」の2本だけだった。あの暗すぎてジャンプには載せられないって話になった物。
「亜城木くんは審査するだけで賞はあげられないらしい」
「ええ、本人達も若い人たちから賞を奪うのは気が引けると」
「そうですか」
「それと、各賞を決めるのは審査会だから新妻くんは審査表を書いてくれるだけでいい」
「審査会っていつです?集英社でやるんですよね?」
「…作家さんは来なくていいんだって」
「なんでですか!?僕が審査員なのに!」
「いや、だからこうやって審査表に書いてもらって忙しい先生にはわざわざ来てもらわず───」
「行きます!亜城木先生圧勝を見届けます!」
「ま、まあ、どうしてもって言うなら…」
そこで雄二郎さんは溜め息をついた。スカスカの審査表を見て、連れて行ってもいいと思ったのだろう。大変だなあ、雄二郎さんも。
「直子さんも審査会来るですよね?」
「いや、わたしはヒラ以下だから…」
「ヒラは平社員てことです?」
「はい」
「雄二郎さんはヒラですか?」
「そうなるかな」
「うーん、わかりました」
そりゃ勿論出来ることならエイジと編集部のやりとりは間近で見たいけども…!流石にそこに入れ込もうとするほど図々しくはないつもりだ。
「じゃあ僕達は帰るよ、新妻くん」
「はい。審査会よろしくお願いします雄二郎さん。直子さんもまた来てください」
「ありがとうございます、是非そうします」
エイジに挨拶をして、建物から出てきた。いつかは会いに来たいと思っていたけれど、こんなに早くに会いに来れるなんてなあ。雄二郎様様かもしれない。
「今日はありがとうございました」
「楽しんでもらえたみたいで良かったよ」
「あれ、バレてました?」
「目が輝いてたからね」
雄二郎さんにバレてたなんてちょっとびっくり。割と隠してたつもりなんだけどなあ。やっぱり大人には適わないか。
「杉田さんはこのまま帰る?」
「そうですね、そうします」
「送ろうか?此処からだとちょっと遠いし」
「でも一回集英社に戻ればわかりますから」
「こんな時くらいしかないんだから、送らせてよ」
「じゃあ、はい、お願いします…」
一瞬、雄二郎さんの顔に陰が見えた気がして、どうしても断りきれなかった。確かにまだこの辺の地理には詳しくないし、送ってもらった方が明らかに早く仕事場に着くけど。雄二郎さんの時間がなくなっちゃうんじゃないのかなあ。
「雄二郎さん?」
「なに?」
「…何でもないです」
「どうかした?杉田さんらしくないよ?」
らしくない、か…。
*****
「ただいまーってあれ、誰もいない」
「何処か行ったのかな?」
「家に帰ったのかもしれません。今日は色々とありがとうございました」
「いやいや、こちらこそ。また来週ね」
「はい」
笑顔で雄二郎さんを見送り、ソファに腰掛けた。でもどうしたんだろう?今までこんなことなかったのに。何も言わずに帰るなんて。少し仲良くなれたと思ったのは只の勘違いかな。そうよね、元々わたしは異世界人なんだし。そんな奴と仲良くなろうなんて人、そうそういないよね。
「男の人に送ってもらうなんて、大層な御身分だね」
「サイコーいたの!?」
キッチンから顔出したのはサイコーで、その手にはマグカップが握られている。どうやら休憩タイムだったみたい。
「今日エイジに会ってきたんだ」
「え!?…何で?」
「ほら、月例賞の審査、雄二郎さんについて行ったの」
「それで?エイジは何だって?」
「それはわたしの口からは言えないよー」
集英社でのことは、例えサイコーでも話しちゃいけないって、編集長と約束したしね。
その時、サイコーが大きく溜め息をついた。
「あのさあ、分かってる?直子にとって俺達はキャラクターなのかもしれないけど、俺達は生きてるし、呼吸もしてるの」
「うん?」
「そんなにホイホイ男について行って何かあってからじゃ遅いんだから…!」
「もしかして、心配してくれてる?」
「なっ…」
震える彼のマグカップ。揺れる茶色の液体。それ、落とさないでね、熱いし、危ないから。
「心配してるよ!すっごく!いくら他人とはいえ、もうこれだけ俺の中に入ってきといて心配するなって方がムチャだよ…!」
「サイコー…」
わたし、もうそんなに貴方の中に入ってる?もう、無視なんかできない存在になってる?仕事場にいないと不安?帰ってくるとほっとする?聞きたいことは山程ある。でも今のわたしにはそんな度胸も勇気もない。全て、飲み込むしかないんだ。
「心配してくれてありがとう。でも、雄二郎さんそんなに信用出来ない人かな。エイジもそんなことする人かな。もう少し、周りの人を信じてあげてもいいんじゃない?」
雄二郎さんは、サイコーが入院してるとき、福田組ボイコットで作家寄りだったし。エイジも恋愛に疎いじゃない。貴方が心配するようなことは、何もないと思うの。
「大丈夫、自分のことはちゃんと自分で守るから。サイコーに心配かけないように、迷惑かけないように、努力するね」
「……」
「ありがとう」
サイコーは何も言わずに原稿に取りかかった。わたし、間違ったこと言ったとは思ってないから。
130112