「見つけた」


 僕が顔を出してやると、そう言って彼女は微笑んだ。山の中をぐるぐるぐるぐる。僕を探して歩いているのは明らかだった。


「もう来るなって言ったのに、どうして来た」

「貴方に会いたくて」


 どうして、そう思えるのだろう。たった一度しか顔をあわせていないのに。また此処へ来たら、貴方に会えるんじゃないかと思って。確信できることなんて何一つ無い筈なのに、たったそれだけで此処まできてしまう。だから危なっかしくて見ていられないんだ。


「もしよかったらどう?お弁当作ってきたの」


 彼女が掲げたバスケットからは久しぶりに嗅ぐ人間の食べ物の匂いがして、断りきることができなかった。今日は天気が良く、木たちが大きな陰を作ってくれている。こういう日を、ピクニック日和、なんて言うんだっけ?長らく会っていない母さんのことがちらりとよぎった。


「どう?美味しい?」

「…美味しい」


 木の根本に腰掛けて、彼女は僕におにぎりを差し出した。ご飯に付いた海苔がしなしなと頼りない。一口頬張ってみると、何とも言えず美味しくて、すぐに平らげてしまった。指に付いたお米まで、綺麗に。梅干しの入ったおにぎりだった。


「そんなにお腹空いてたの?まだあるから、食べて」


 僕に二個目のおにぎりを差し出すと、彼女も一つおにぎりを取って食べ始めた。二個目もすぐに胃の中へ収めてしまうと、僕は遠慮なくバスケットの中を綺麗にした。人間の食べ物は飽きがこないようにこうも凝っていて(二個目はおかかのおにぎりで他にも何種類かあった)僕達獣の食べ物とは全然違う。僕達は生きる為に必死で狩りをして、一日一日を繋いでいるけど、人間はそうじゃない。食事の時間は、確か楽しく幸せなものだった。
 彼女は食後に持ってきたお茶を渡し、話を切りだした。


「名前、聞いてもいい?」

「…雨」

「雨さん。雨の日に会ったのが雨って名前の付く人なんてね」


 彼女は少し笑った。
 そう、初めて会った日は土砂降りで、まるであの日、母さんが僕を探しに来た日のようだった。足場がとても悪く、普段慣れている筈の僕らでも足を滑らせてしまうような。そんな中、彼女はこの森を歩いていた。どういう訳かは知らない。人間は好きだから、自分のテリトリーで人間が死ぬのは嫌だった。ただそれだけだった。彼女が足を滑らせて、意識を失った時、いてもたってもいられなくて、僕は人間の姿になって彼女を安全な場所まで運んだ。


「わたしはね、名前っていうの」

「……」

「貴方はわたしを助けてくれた、命の恩人よ。そのお礼がしたかったの」


 お弁当なんかじゃ、お礼にならないかもしれないけど。彼女は呟いた。
 ぱっと立ち上がり、ワンピースに付いた砂を軽く払うと、持ってきていた大きなつばの帽子を被った。


「また来ていいかしら」

「…すきにすれば」

「じゃあ好きにします。またね、雨さん」


 大きく手を振って、彼女はこの森をあとにした。最後に見せた笑顔がとても綺麗だった。




130114

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