≫03:05 March 26

サイコパス最終話まで全て観ました。本当に良い作品だった。こんな作品に出会えて幸せだと言っても過言ではないでしょう。
最終話まで観てもやはり、私はシビュラのある社会に生きたいと思うのです。槙島や常守監視官が言っていることが正しいことも分かっています。しかし、私はシビュラのある社会に生きたいのです。楽をして生きたい、そう思ってしまうからでしょうね。自分で何かを決断するのは難しい。いつも暗闇を手探りで進んでいかなくてはならない、そんなつらくて、それでいて人間にとって大切な過程を乗り越えていける現在の私達は幸せなのかもしれません。でも、それが分かっていてもこのつらさから逃げてシビュラのある社会に生きたいと思うのです。きっと、実現出来ないことだと端から分かっているからでしょうが。

スパコンかと思いきや、それ相応、いや、それ以上とも言える人間の脳が社会の中枢にあるだなんて、非常に不可解。だからこそシビュラもそれを隠して今までの秩序が保たれていたのでしょう。他国との干渉を一切せず、それでいて機能しているなど、今私達がいる日本では考えられません。全てを今の日本になぞらえる気は更々ないので以下略とさせていただきますが。

でもやはり、縢の死体は出てこないんですね。あそこで倒れていたら、シビュラが殺したと特定されてしまうから? 縢も征陸も狡噛もいなくなり、宜野座が執行官となった一係。朱ちゃんの今まで持っていた光は、どこかへ行ってしまったような気がします。それはシビュラに全てを見せられた時から。でも、新しい監視官を配属された時はシビュラに全てを見せられた時よりも、大幅に違っているとも思う。シビュラに全てを見せられた時は、まだ怒りや葛藤等等の感情が表面にある感じでしたが、新しい監視官を配属された時は、まだ全てを諦めてはいないものの、シビュラを受け入れているような。仕方ないとでも言うような。それでいてまだ機会を窺っている。シビュラを出し抜く機会を。宜野座は犯罪係数も上がり、執行官になってしまったが、常守監視官が執行官に成り下がることなんてない。彼女が猟犬になっているところなんて想像もできないもの。死んでから初めて素直になれた宜野座。でも、あの二人はあれでよかったような気がする。執行官になった宜野座はとても穏やかに見えるし。狡噛は槙島を撃った後、常守監視官が泣いている間に、きっと何処かへ逃げたのだろう。狡噛を生かす為に、私も狡噛よりも常守監視官に肩入れしているところがあったが、でもやはり、この作品としては狡噛が槙島を殺すというこの一連の流れは無くせないものだろうと思う。しかし、狡噛はシビュラの目を避けて生活しているが、何故本を読むようになったのだろうか。槙島への弔いだったりするのだろうか。


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テーマ「人外ファンタジー」
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