ドラクマから来たあの青年が姿を消し、アイリスが女医の見習いとしてブリッグズ滞在を決めた。 「おはよう、バッカニアさん」 「…あぁ、早いな」 朝が早く、まだ半分眠っている様な俺を笑顔のアイリスが迎えてくれる。出血と凍傷から利き手を失い、機械鎧にした俺は、リハビリとメンテを兼ねて度々医務室を訪れていた。 「昨日はよく眠れました?」 俺の黒い長めの後ろ髪を櫛ですき、手際よくみつあみをしたアイリスが心配そうに俺を見上げる。今までこんなに真っ直ぐに女性から見つめられた事がない為、視線がつい泳いでしまう。 眠れた、と答えてもよかったが、そういうと機械鎧にした過程を知っている彼女に余計に心配をかけてしまうのは目に見えていた。 「いや……痛みで眠りが浅くてな…」 「…そう、ですか…」 どちらにしてもうつ向いてしまうが嘘を言っているわけではないので気は楽だ。 「お前が気にする事ではない…。これは俺が決めた事だからな。 それに、こいつを着けていたら丸腰になる事がないから意外と気に入っている」 「…バッカニアさん………」 実際、機械鎧にしてからぐっすり眠ったという日が少ない。 機械鎧にする者が最初に出会う激痛。自分の躯とは異質なモノを繋ぎ合わせる事から起きる拒絶反応。長く機械鎧を使う者にも神経を繋ぐ時はその痛みがあるという。 軍で躯を鍛えてはいるがその痛みがここまでとは思わず、楽観視していた自分がいた。実際、剥き出しの神経に機械鎧が触れるだけで電流が流れた様な激痛が走る。その痛みは腕から躯に拡がり、ひどい時は足先まで貫き、立っているのさえ苦痛になる。(俺の場合、機械鎧にした範囲が広いせいもあるかもしれない)その為、躯の悲鳴が頭痛になって現れる事もある。 何時ドラクマからの侵攻があるとも限らない。北の大国に接した天険の城塞・ブリッグズ。直ぐに戦線に復帰出来るようにしないといけない。なかなか進まないリハビリと目の前の現実に焦りが募る。 「だいたいリハビリは1年位かかるらしいから、そんなに焦らないで」 「…分かってはいるが…」 「はい、どうぞ」 「む…?コーヒーか」 淹れ立てのコーヒーを白いコップに入れてアイリスが差し出してくれる。ここで飲むコーヒーは…正直、あまり美味しいとは言えないものなのでいつもは遠慮していたが…。 「……っ…美味い!」 一口含むと自然と声が出ていた。驚き顔を上げるとアイリスも自分のコップを持って柔らかく微笑んだ。 「ありがとう。コーヒーもリハビリも…きっと一緒だと思います。周りの速い進み方が気になって焦るかもしれないけど…、コーヒーのペースに合わせてあげなきゃ、いくらいい豆でも美味しさを引き出してあげられない。自分を押し出すより、向こうのペースに寄り添ってあげる方が意外と上手くいくんです」 アイリスの言葉と美味いコーヒーに、先の心配ばかりしていた俺にふと、ゆったりとした余裕が戻ってきた事を感じた。 「焦るな…か」 「はい…」 あまり(…というかほぼ皆無に近い)若い娘と話した事はないが、アイリスと話す時は多少気恥ずかしさがあるものの、自然体でいられる事が心地良かった。 「は〜いはい!アイリスちゃんとラブラブしてないでリハビリしますよ、中尉」 パンパンと手を叩きながら空間に割って入ってきた専属技師のニール。リハビリはこいつと女医のケイトの指導の下進められていた。 「な…っ、そ、そんな事などしていない!!」 頭ごなしに否定しなくても、と後々思ったが、その時はニールの疑う様な視線に耐えられなかった。 「わ、私も、ただコーヒーを淹れてただけで…!せ、洗濯物干してきます!」 アイリスはコップをテーブルに置くと、医務室で使うタオルや包帯が山積みになった洗濯カゴを抱え慌てて部屋を出ていった。 「あはは!可愛いねぇ、アイリスちゃん。あれであちこち旅してたなんて考えられないよなぁ」 アイリスの去った後を緩んだ表情で見ているニール。 「…お前はああいう娘が好みなのか」 「…まさか。味見はしてみたいけど、俺が手ぇ出すと猛烈に怒り狂いそうな人がいますしねぇ」 「…………………」 ニールの言葉を反芻する。 「気に入ってんでしょ?アイリスちゃんの事」 「誰が…………」 「だから、中尉が、アイリスちゃんを…!」 ニールの言葉が何度も俺の中を反響する。 「……………ッ…!?」 今まで自覚していなかった事に急に目覚めたかの様に躯中の血が体内を駆け巡り出す。 「…見かけ通り鈍いですねぇ、中尉」 ククッ、と喉の奥で笑うと白衣を翻し水色のカーテンの向こうに消えていった。 「ニ、ニール…ッ!!」 これから数ヶ月の間、機械鎧の痛みとは違う悩みに眠れない夜を過ごすハメになったのだった。 fin 戻 1/1page |