「道にでも迷ったか」 振り向くと、そこに立っていたのは大きなクマ。 そうだ、ブリッグズには2mを越す巨大なクマが住むから気をつけなさいと言われていた。 右手を見ると鋭利な爪が見える。けれど、このクマは突然襲ってくるわけでもなく、私の出方を伺っていた。 「いいえ…」 「では何をしている…。ここはお前の様な若い娘がうろうろする様な所ではない」 クマも彷徨いているからな、とぶっきらぼうに呟いた言葉に笑ってしまった。 クマは照れた様に顔を掻くと軽く咳払いをした。 「そろそろ日も暮れる。スープくらいしかないが寄っていくか」 クマからの誘いに目をしばたかせていると、私に背を向け呟いた。お前を食べはしない、安心しろ…と。 怖そうな顔をしている割りに、意外と親切そうなクマだった。 クマの穴ぐらは狭いながらも居心地はよかった。小綺麗に片付いた部屋は薪ストーブで暖かく、ところどころに置かれたランプがほのかな灯りで室内を包み込んでいた。 「…見た目と違うのね」 部屋を見渡すと、至るところに書物が積み上げられ、クマの勤勉さが伺われた。窓際には小さな蕾の付いた花の鉢がひっそりと飾られている。 「…そういうものだろう」 私は何となくこのクマに興味を持った。小さなテーブルを囲んで一緒に温かいスープを啜る。 クマは私の反応が気になるらしく、一口啜ってはちらりとこちらの様子を伺った。 「美味しいよ、貴方のスープ」 「そうか…」 一見無愛想なクマだが、この時はスープをまた一口含みながら、少し嬉しそうに目尻を下ろした。 もう一口、また一口、と口に運ぶとあっという間にスープを平らげていた。 「ごちそうさま、美味しかった」 「ああ…」 スープ皿を下げ、洗おうかと席を立つと、同じ様に席を立ったクマ。先に流しに立ったクマが、ん…、と私の方に手を差し出す。ご馳走してもらったのだから洗い物はすると言っても早くよこせと待っている。 「お前は客だからな」 「…ありがとう」 鼻歌混じりのクマの洗い物を横目で見ながら、ふと、窓際に飾られた鉢に目を移す。濃いピンクの蕾が鈴なりになっている。これは何の花なのだろうと葉や蕾の形や色を観察していた。 「それは、この辺りでしか咲かない高山植物だ」 流石、クマ。洗い物をしながらも私の行動は把握済みらしい。なんていう名前なの、と花の名前を尋ねると、むぅ…と唸って忘れたと呟く。困ったクマの顔が思ったより可愛く、くすりと笑ってしまった。 そう、元々私は高山の薬草を探してここまで来た。だいたいの場所は聞いていたが、実際に探すとなるとなかなか見つからない。あっという間に日も暮れてきたのだった。 「その辺りに図鑑があるから調べてみろ」 クマは洗い物をしながら顎でその辺り、を伝えた。暇つぶしも兼ねてその辺り、を見ると色々な図鑑が積み上げられていた。 星座、地質、鉱石、虫、動物、建築、等々幅広い分野がある。呆気に取られながらもその中から植物図鑑を見つけ出し、パラパラと捲り出した。 暫くにらめっこをしていたが…なかなか見つからない。 「んー…?」 「何をしている…こっちだ」 ふと顔を上げると、洗い物の終わったクマが近くの図鑑を取り上げ差し出す。なるほど、表紙に高山植物と書いてある。 あ…と情けない声を出すと、ふ…と笑ったクマがどかりと隣に座り込んだ。 クマから図鑑を受け取って新しい図鑑に目を通す。クマも気になるらしく、時折私の手元を覗いてくる。柔らかなクマの毛が暖かく、図鑑を眺めながら、何となくクマの躯に体重をかけてみる。暖かい。クマは止めろとも何とも言わないで好きなようにさせていた。 「あ、あった!」 「ノーススプリングベル…か」 ブリッグズ地方から北に自生する高山植物らしい。細く小さな草から鈴なりに垂れる花。一見、すずらんの様にも見える。蕾の間は濃いピンク色をしているけれど、咲いた花びらは淡い桃色をしているらしい。園芸品種として改良されたものもあるようだ。 「あ…!」 「どうした」 開いたページの反対側に自分の求める植物が載っていた。食い入る様に見ているとクマが図鑑を見ようと顔を寄せた。 「これがどうした」 「私、これを探しに来たの」 顔を上げると目の前にクマの顔があって互いに慌ててしまう。取り落としそうになった図鑑をクマが持つと、何事もなかったかの様に先程のページを熱心に読み始めた。 「これなら、ここから数百歩先の小川の脇に咲いていたぞ」 「え…」 「明日探しに行くのだろう。共に行こう」 「……うん、ありがとう」 パタンと図鑑を閉じた。問題も解決し、薪ストーブの前でクマに寄りかかっていると、ストーブの暖かさとクマの体温に眠くなってきた。 「ここで寝るな、風邪を引く…」 「ん……」 うとうとした意識の中、躯が宙にふわりと浮いた。クマが横抱きに抱き上げたのだ。驚いて、クマの首筋に抱き着くと嬉しそうにクマが喉を鳴らした。 数歩歩くとクマの寝床らしきものの前に着いた。下ろして、と抗議すると、食いはせん、ここで眠れ…と穏やかに囁き柔らかな寝床にそっと横たえられた。 クマの寝床はお日様の匂いがした。温もりの中に意識が沈んでいく。待って…。窪みの中からクマに向かって手を伸ばす。 「どうした」 ランプを消して回っていたクマがそっと私の手を取り額を撫でた。 「貴方は何処で寝るの」 そう問うとクマはぐるりと部屋を見渡した。本がきちんと片付けてあれば別かもしれないが、この小さな部屋にクマが他に寝るような空間は見当たらない。 「テーブルの下ででも寝るさ」 心配するなというクマが心配になり、握っていたクマの手を力一杯引いた。バランスを崩したクマは慌ててベッドの脇に手をついた。クマの重みでベッドが沈む。私の躯を覆う様にクマの躯が真上にあり、クマの顔が目の前にある。 「俺はクマだぞ」 「でも…風邪引いたりするのは嫌」 「お前が心配する事ではない」 「でも…」 クマはふ…と優しく笑うと私の頭をくしゃくしゃと撫でた。それからまたベッドから躯を離そうとしたのでクマを呼んでしまう。 「安心しろ、最後の灯りを消すだけだ」 フッと最後のランプから灯りが消え、室内は外から差し込む月と星の光だけになった。暗闇の中待っていると、暫くしてもぞもぞと寝床にクマも入ってきた。 「…狭くしてごめんね」 「気にするな…いい抱き枕だ」 「ぁ…んっ……どこ触って…」 「ああ、すまない…、スープ代だ」 しれっと私の躯をペタペタ触っていたが、最後は私の頭を撫でる事に落ち着いたようだ。クマに頭を撫でられると何となく嬉しくなって抱き着いてしまう。クマはベッドの中でうーんと伸びをすると、私の躯を腕の中に閉じ込めて、ぐう…とあっという間に眠りに落ちた。 クマの寝息以外は何も聞こえない。クマの胸は暖かく、やっぱりお日様の匂いがする。 「ぐ、すぴー…」 「…くす、変な寝息」 クマの温もりにほっとして、クマの寝息を聞きながら私も眠りに就いた。 「……って言うのが大尉とアイリスちゃんの出会いだと思うんだけど!」 「ん〜、ニールの話も一理ありそうね」 コーヒー片手に滔々と語り切った機械鎧技師におお…と感嘆の声が上がる。女医もかなり納得するところがあったらしく、うんうんと頷いていた。 すると、一緒にストーブを囲んでいた若手から手が上がる。 「じゃあ次、俺語っていいっすか?」 「よし、許す!」 女医の一声に勢いを得て今度はその青年が語り出した。 「………何を、している」 どうにも医務室が騒がしいと思い、その熱気に入り損ねていたが…。中での話題は何の事はない、自分とその恋人の出会いを勝手に妄想していたのだ。 「大尉遅いですよ。俺達もうアイリスちゃんとの馴れ初め、語り切っちゃいましたよ」 「……勝手に捏造するな」 持ち場に戻れと部下を一斉に追い出すと、機械鎧技師は苦笑混じりにメンテを始めた。 「ほんと照れ屋ですね、大尉」 「……ふん」 「けど、高山植物の話は悪くなかったでしょ」 「何故、お前がその事を知っている」 話はかなり歪曲しているが、植物の名前に関しては間違ってはいなかった。 「この前、アイリスちゃんが見せてくれたんですよ。ノース何とかって言う花の栞。大尉にもらった大切な宝物、って言ってましたよ」 「………」 ニールの言葉に、その花を贈った日のアイリスの笑顔が思い出される。 「何にやついてるんですか、大尉」 「……に、にやついてなどいない」 …────もう少しだけ、ここにいないか… …───………うん。 俺の精一杯の言葉を受け止めてくれたアイリス。 アイリスを喜ばそうと贈った花。 だが、喜んでいたのはアイリスの笑顔を見られた自分の方だったのかもしれない… fin ※花の名前は捏造です。アセビスプリングベルはたぶん木。 戻 1/1page |