※成長


一年生の時の彼女ときたら今をそのまま縮小したような、といっても過言ではないだろう。身長や顔つきといった外見こそ大人びて見えるようになったものの、中身は出会った、すなわち学園に入学した五年前と何等変わっていないように思う。ちょっと鈍くさくて、自分のことよりも人のことばかり気にして、いつも本ばかり読んでいる、そんな奴だ。昔も今も。幼子のための挿し絵ばかりの物語から分厚いいかにも難しそうな本まで、見かけるたびに違う本を持っているから恐らく彼女は図書室の本を読破しているのではないだろうか。本を読むということは色々な人間の考えや思いに触れる、ということだ。時にあまりにも自分の思想と一致する人間と出会うと何もかもその人間と同じように思想を重ねたくなる。本はまさに思想を詰め込んだようなものだ。自分というものが無くなるように思えて、だから僕はあまり本を読むことが好きではないのだが。それが関係しているのかどうかは知らないけれど彼女はどこか変わった雰囲気をもっていた。彼女自身が、というよりも彼女のものの考え方が、だ。そしてどういうわけか僕は今、彼女のある言葉を思い出したところだった。

"君には君の星がある。わたしにはわたしの星がある。"

確か二年の時だった。図書室で絡繰りの設計図を作っていた時、少し離れた所に座っていた彼女がそう呟いたのだ、僕の方を見て。それは僕に向かって放たれた言葉なのかわからなかったけれど、おかげで今まで頭の中にあった図も式も見事に吹っ飛んでしまった。当の本人はまた手元の本に視線を落としていて僕の苛立ちには全く気づいていないようだった。今思い出しても不愉快極まりない。この絡繰りが完成した暁にはまず彼女を実験台第一号にしてやろう、そう思った。その後絡繰りを完成させ、決意通り彼女を標的に仕掛けた。あっさりと彼女は引っ掛かった。縄に足を捕らわれている彼女に僕は尋ねた。こないだのあれは何なの? 

「こないだ?何が?」

「星がどうとか言ってたでしょ」

「…あぁ、あれは何でもないんだ。というより今の笹山にはたぶんわからない」

彼女は何食わぬ顔でそう答えたのだった。 


部屋の中はいつしか夕日が差し込み、寝そべっていた畳は橙色に染まっていた。僕は身体を起こして、それから押し入れにしまわれていた縄と工具箱を取り出した。 
四年前のあの時のように図書室からくのたま長屋に最も近い廊下に絡繰りを仕掛けた。 当時はなかなか大作と思っていた仕掛も、今となれば他愛ないものだった。そして四年前のあの時のように彼女はあっさりと引っ掛かった。夜の廊下。きつく足首を括られて立つことができない影は、近づいた僕を気取り顔を上げた。そして笹山か、と小さく呟いた。彼女は縄を気にするふうでもなく、右手で空を指した。

「ご覧よ、今夜は星がきれいだから」

墨を流したような、というのはこういうことを言うのだろうか。彼女の白い指のずっと先には黒々とした空って広がっている。星はどこにも見えない。 

「星が見えるわけ?」

「すごくきれいだよ。笹山は見える?」 

馬鹿馬鹿しい。そう思ったけれど僕は空をもう一度目を凝らして見た。底無しの黒。空に底なんてあるはずもないのだけれど彼女だったらこう言うだろう、不意にそう思った。無意識に僕は彼女と思想を重ねたがっている。あぁなんて馬鹿馬鹿しい話だろう。 

「…見えない」

「そうか」 

そうだろうね。彼女は少しだけ残念そうに見えた。それから星をひとつひとつ辿るように続けた。

「君には君の星がある。わたしにはわたしの星がある。」

笹山には笹山の星がある。僕は尋ねた。それはどういうこと?
彼女は僕を見上げゆるやかに微笑んだ。 

「笹山だけの星があの空のどこかにある、ということ」

四年前のようにはぐらかされるかと思っていたけれど彼女は案外簡単に教えてくれた。 

「見えない星が僕の星ってわけ?」

「ううん違う。笹山の星はちゃんとある。笹山が見ようとしないだけだよ」 

彼女の目から一粒、雫が落ちた。 

「わたしが笹山の星の変わりに泣いているんだ」

星は泣けないけれど笹山の星は泣いているんだよ。 

何故、どうして。喉元まで色々なものが込み上げたけれどすべては空に飲み下されていった。その中にわずかに、何かが光った気がした。錆びた工具の鈍い光に似たそれはきっと。