暑い夜に寮からこっそり抜け出す。片手にギターを持って。どこに行こうなんて思っちゃいない。ただ、誰もいない所へ行きたかった。私はひたすら走る、走る。何かから逃げるように。









「スリザリン10点減点」



突然人の声が聞こえ、反射的に肩を揺らす。慌ててギターを弾く手を止め、振り向くと暗がりの中で男が立っているのがかろうじて見えた。さらによく目を凝らして見ると、なんと美男子と噂の同級生、トム・リドルだと判明した。



「こんばんは、ミスターリドル」

「…やけに落ち着いているね。少しは言い
訳でもしたらどうかな?」

「ミスターリドル相手じゃ勝ち目はないわ」



両手をあげ、降参のポーズをとる。膝の上のギターががしゃんと音を立てて草むらに転がった。わ、ギターさんごめんなさい。悲愴な声を漏らした私を見て、リドルはくすくす笑った後、草むらをかき分け、私の隣にやって来た。そしてギターを片手で持ち上げ言った。



「純血家系の君がマグルのギターを持っているなんて珍しい」

「持っているだけじゃないわよ。私は弾く事も出来るの。もっと珍しいでしょう?」

「でもマグルの物なんて君にはふさわしくない」



私はそれを聞いてムッとする。噂に聞いてた紳士とはほど遠い性格をしているのね、本物は。嫌味を込めて言い放ち、ギターを奪い返す。良かった、深い傷はついていない。安堵の息を吐き、そっとギターを撫でいると、リドルの纏う空気が、変わったのが分かった。



「君の為を思って言ったまでだ」

「君の為?私の何を知っているというの?初対面なのに」

「知ってるさ」



リドルは私の家系の事を事細かに話し出す。その中には、私達家系しか知らないはずの情報も入っていた。



「そして、君達はマグルが大嫌い。だよね?」



肯定を求めるかのように、リドルがこちらを見た。月が出ていないというのに、リドルの目が妖しげに赤く光っている。途端になぜか悪寒が走る。私はなるべく彼を見ないように深く頷いた。リドルの喉が満足そうに鳴り、私の横に腰を下ろした。



「でも、君は違う」

「ええ私はマグルが好きよ大好きよ。昔は家族がマグルを嫌っている事をよく認識していなくて、よく折檻されたわ」

「へえ」



相槌が続きを求めているような気がして、私はどんどん心の内をさらけ出す。今まで私以外誰も知らなかった事達を。また折檻されるのが怖くて、学校では純血主義を突き通している事、マグルのギターは昔マグルにこっそり遊びに行った時、見知らぬ青年からもらった事、卒業したらすぐ結婚させられる事、その相手が大嫌いだという事。喋り終わった後で後悔する。リドルはスリザリンなのだ。聞いていて、不愉快な事ばかりだっただろう。それにこの事を誰かに話されでもしたら。



「べらべらとごめんなさい。あの、この事は他の誰にも言わないでくれる?」

「さてどうだろう」



リドルは意地悪そうに笑った。噂って本当に嘘ばっかり。どこがいい人なのよ。どこが笑い声が薔薇なのよ。



「…私が出来る事なら何でもする。ね、お願い」

「本当かい?」

「本当よ。何をすればいい?」



リドルがゆっくりとギターを指差した。どういう意味なのだろう。意味が分からず眉をしかめていると、しばらくして彼は二言だけ消えるような声で呟いた。









「ギターを聞きたい。毎夜、ここで」

「え!…いいけれど、あなたもマグルが嫌いでしょう?」

「確かに嫌いだ。だが、君の奏でるギターの音色は嫌いじゃない」



月が出ていない事に感謝する。なぜなら私は今凄く真っ赤だからだ。リドルは私が真っ赤になって固まっているのに気付いていないのか、さらに真っ赤になるような事を言い出した。



「実は君がいつもここで弾いていたのを知っていたんだ。よく近くで聞かせてもらっていたよ」

「そ、そう」

「僕もギターを少し触った経験があるけど、君みたいな音を出せた試しがない」



言いながらリドルは私のギターに手を伸ばし、弦に触れた。

ぼろろろん

彼が奏でた音は、お世辞にもうまいとは言えなくて、私は吹き出してしまった。だって私が知っているリドルは何でも出来る男なのだ。私が笑っている事に憤慨したのか、リドルは伸ばしいた手をさっと引っ込めた。その仕草が可愛くて、可笑しくて、また笑ってしまう。ひとしきり笑ったあと、お詫びにギターを教えてあげると仄めかした。意外にも彼は頷き、少し嬉しそうに再びギターに手を伸ばした。



「君よりうまくなってやるさ」

「それは無理よ。ギター歴をなめないで」



軽く彼の手を叩き、私は自慢気にギターを弾き出す。リドルは悔しそうに歯軋りをしたのを、笑いを噛み締めながら聞いた。









それから私達は毎夜秘密の逢瀬を楽しんだ。それは7年生まで続き、リドルは宣言通りあっという間に私より上手くなった。私は卒業記念に、リドルにギターをプレゼントすると約束した。しかし、卒業まであと数ヶ月に迫ったある日を境にリドルは来なくなった。私は仕方なく、ひとりでギターを弾いた。空を見上げ出会ったあの日を思い出す。そうだ、あの日も今日のように月がなく、蒸し暑い日だった。懐かしい。彼はきっともうここには来ないだろう。なぜだか確信した。しらずしらずに涙がこぼれて、じわりと私の頬に染み込んだ。そこがまるで日焼けした後のようにちりちり疼いた。