彼女と目がかち合った瞬間、私は何もかも総て彼女に持っていかれた。



「まさか心も、なーんて冗談言わないよね?」



黙って少し妙な間があった後にうっとりと締まりのない緩みきった顔を見せればうそだろ‥と何故か頭を抱える勘右衛門。思い切って打ち明けたのになんでそんな残念そうな顔をするんだ。もっと喜べよ。思わず口を尖らせるといや、あまりにも驚いて、と苦笑いする勘右衛門にそんなにか?と手を休ませることなく聞いた。だってさ、目線は作成中のアンケート用紙に向けたまま何気なく毒つく。



「今まで酷かったじゃん、とっかえひっかえで後を絶たないトラブルとか」
「‥そこまでか?」
「うん、あれとか特に酷かったじゃん。元カノとその前の元カノの修羅場。まさか校庭で三郎をかけてタイマン張るなんて。普通逆だよね」
「あー‥あれは確かに酷かった」
「だろ?でもそれは女遊びが激しいお前の自業自得」



吐かれる口からは容赦ない攻撃に古傷を抉られる。さらにそうだろ?と強めればもうやめてくれ、昔の話だと耳を塞いで殻にこもった。精神的にお手上げな私にくすりと笑う勘右衛門がごめんごめん、と平謝りする。確信犯が。内心そう思いつつも話は続く。



「でもさ、そんな遍歴を持つ三郎が急にどしたの?名前も知らない子に一目惚れなんてするような男だっけ?」
「これには自分が一番驚いた」



あの日は委員会帰りだっただろうか。すっかり日が暮れて遅くなった寒い帰り道。文句をこぼしつつも足はしっかりとホームに向かう。突き刺すような凍てつく風から守るようにマフラーに顔を埋めて暖をとり、いつものように電車を待つ。この待っている数分間がもどかしい。肺に溜まっている色んな気持ちを出すために思わず溜め息をこぼす。吐かれた白い息がゆらりと上空に消えていく様を見届けているとふと、正面にある反対のホームに佇む女に目がいった。この辺じゃ見かけない制服だ。でもそれよりも



(こんな寒いのにマフラーひとつつけないで)



ご苦労なこった。それだけ思って自分はさらに暖をとるためポケットの奥に手を突っ込む。制服のスカートから見える脚は寒さに震えて内側に向いている。肝心の顔は俯いているのとなびく長い髪で見えない。しかしだからといって別になんとも思わなかった。

電車がようやく来た。やっとか。顔をほころばせながら中に乗り込んで一息つく。あったけー。冷えた身体を暖房が癒やす。吊革に掴まりながら窓の外を見るとまだ佇んでいた。ほんと見てるだけで寒さがぶり返しそうだ。そう思いながら見ていると女が不意に顔を上げて思わず目があった。何故か離せないかち合った目線、どくりと跳ね上がった。その時だ。衝撃を受けたように何もかも総て持っていかれた。電車が発車した。遠ざかる彼女に私は目が離せなかった。次第に小さくなって姿が見えなくなってもずっと私の両目は彼女がいたあの窓の外に向いていた。



「いい加減帰ろうか。三郎の話に付き合っていたらもうこんな時間だ」
「そりゃ悪かったな」
「嘘だよ、アンケートは終わったし面白い話は聞けたし」
「‥私の一世一代を面白がるな」



それは悪かった、と悪びれた様子もなく並べていた机を片し帰る支度を整える。帰ろうか、と促して途中まで一緒に帰った。別れ際に今度は名前聞くとかもう少し進展のある話をよろしく、と手を振る勘右衛門に返し歩き始めた。すっかり面白がってる勘右衛門にやっぱ話さない方がよかったか。若干後悔しつつもあれは話さないでいられなかった。

肌に突き刺すような向かい風に耐えながら一歩一歩、重い足取りでホームに上がっていく。そしてまたいつものように暖をとりつつ電車を待つ。向かいの反対ホームを見るとあの子はいなかった。ちょっと気持ちが沈むがあれはただ自分が思い上がっただけでほんとは一目惚れでも何でもなかったのかもしれない。考えているとちょうど良く電車が来た。今日はすんなりと来たなと思いながら乗り込んだその時、急いで駆け上がってくる女の子がいた。彼女だ。急いで窓に張り付くように見つめると苦しげに息を吐きながらも前を見つめる。そして目が合った。また跳ね上がる心臓を静かに押さえつけて重なる目線を合わせる。すると彼女の口が動いた。



( ま た ね )



電車が動き、発車した。彼女の姿が見えなくなるとどくどくと押さえられない心臓を確かめながら興奮する。この気持ちは本当だ。その嬉しさを感じながらこのことをまた勘右衛門に話そうと心に決めた。