∴へしの子供の話(刀剣)
あなたのお父様は刀なのよ。
母はそう口にしては、よく俺の頭を撫でていた。あの日も、いつもと同じように、膝の上に俺の頭を乗せて、母は優しい手つきで俺の髪を梳いていた。
夜の屋敷は暗い。雨が降ると、いっそう闇に包まれる。しとしとと外から響く雨音は、もう夕刻からずっと続いていた。
魚臭い行灯の火に照らされた俺たちの影が、ゆらゆらと不安程に揺れている。寝転がった布団は薄く、畳の硬さを知覚してしまうほどで、決して心地よいとは言いがたい。それでも、暖かい色味の灯りが母の顔を照らしているのを見ると、なぜだか泣きたくなるような安心感を抱く。
灯りの先の影は濃く、ちいさな火では狭い範囲しか照らすことは叶わない。もともと狭い屋敷だったけれども、こうして母の着物の一寸先から闇に包まれるほどのつつましやかな灯りの中にいると、いつしかこの世界には己と母のふたりしかいないように錯覚してしまう。
――そんな、穏やかな夜だった。
母は、いつものように俺の父について語りながら、いつもとは異なることを口にしたのだ。
「お父様がいま、どこにいるか知っている?」
いいえ、と答えたはずだ。そうでなければ、母の次の語りの内容と辻褄があわなくなる。
「……そう。あの方はいま、筑前国にいらっしゃるのよ。ここからずうっと遠い、海を渡った先の国だわ」
おそらく俺は、そこで尋ねたのだろう。その姿を一目でもいいから目にすることは叶わないのか、などと。
「わたくしもそれができれば、とは思うわ。けれど……」
さらり、と母のたおやかな手が俺の頭を撫でる。行灯の火がふわりと揺れ、母の顔の影が増す。
「きっと、あの方はそれを願わないはずでしょう。そもそも、わたくしやあなたのことを覚えていらっしゃるのやら――」
*
「長谷部」
すう、と意識が浮上する。目を開けると、目前には呆れ顔の同僚がいた。それを確認するや否や、慌てて身を起こす――どうやら自分は、社内の椅子に寄りかかってうたた寝をしていたらしい。机の上に置かれたラップトップはスリープモードに切り替わっており、自分がどれほど眠りの世界に旅立っていたかを物語っていた。
「悪いな、寝ていた」
「それは見たら分かる」
同僚は呆れた様子のまま、手にある書類を渡す。
「昼休みが終わったばっかりだし、眠いのはわかるけどな、ここの席は部長から見られやすいんだぞ」
すっと俺の背後に向けられた視線を辿ると、奥に上司の席が鎮座しているのが目に入る。
幸いにも、そこに着くべき人の姿は見当たらなかったが、そうでなければ説教のひとつやふたつ食らうのが分かりきっていた。
「それくらい知ってるさ」
ここに勤めだしてからもう6年目だぞ、と俺は口元を上げると、同僚はぺしりと紙の束で頭を叩いた。
「お前ってやつは、ほんとうに上司がいないと力が抜けるよな」
「なに? みんなそうだろう?」
「いや、お前ほど極端ではないぞ。あんなに上がいるときはきびきびと身を動かすくせに、姿が見えなくなるとこれだ。まったく、同一人物なのかと疑いたくなる」
「切り替えが上手いと言ってくれ」
書類を奪うように取り、机の上に乗せる。同僚から言われるまでもなく、自分自身で自覚していることだ。俺はどうにも「お上」という存在に弱い。身に刷り込まれているのか、本能的なものなのか、上司というものがいると脊椎反射的に尻尾を振り、必死に忠誠を誓ってすがってしまう。部下というよりかは家臣のようだ。
これが悪いくせだ、とは頭では理解しつつも、身体がいうことを聞いてくれないのだから仕様がない。
「まあ、お前がヘマをしすぎて首を切られたりしなければ、俺だって構わないんだけどな」
などと同僚は首を切られるジェスチャーをしつつ呑気に言い捨てて、己の席へと戻っていった。俺はそれを横目で確認しつつ、スリープモードだったラップトップを稼働させる。
カタカタと室内にタイプ音が響く。平和な昼下がりのオフィスだった。聞きなれたそれを耳にしつつ、先ほどのことへと意識を飛ばす。
ずいぶんと懐かしい夢を見た。あれはもう何年前のことだったか――。
意識をぼんやりと霧散させそうになったが、部長が室内に戻ってきたのを確認するや否や、背筋が知らずうちに伸びる。
周りの席の同僚たちがそれにまた呆れている雰囲気を察しつつ、俺もまたオフィス内に響く音を生むひとりへと戻っていった。
*
ふらりと入った飲み屋にて、変わった女性と巡り合った。審神者を目指しているという彼女と語るうちに、当然のように刀剣の付喪神の話へと移っていく。
審神者に人気の刀、という、なんとも俗っぽい話題のなかで、ひとつの聞き覚えのある名前を耳にして、思わず俺はぽろりと聞き返してしまった。
「へし切長谷部?」
「ええ。すごい刀らしいですよ。主へは絶対の忠誠を誓い、主命とあらばなんでもこなす忠犬のような性格――だとか」
へえ、それはなんとも俺らしい刀だ。とは思ったものの、それを口にすることはなく手元の酒を飲む。この季節の日本酒はするりと喉に馴染んで心地よい。
「やっぱり手に入れるなら、そういう刀剣のほうが楽だろうなぁ」
「どうだろう。そればっかりではよくない気もするが」
「ああ、甘やかされすぎてだめになっちゃいますかね〜」
まだ幼げな顔を残している彼女は苦笑し、手に持つ梅酒のグラスを握る。
「それでも――いっしょに暮らすならば、せめて気苦労は少なく済ませたい。……そんなふうに願ってしまう私は、彼らの主には向いていないのでしょうね」
そこまでは言っていないが、と思いつつ、また俺は口をつぐんだ。
己に忠実な刀剣たちに囲まれた閉鎖的生活は、おそらく人を良い方向には進めないだろう。だが、だからといって悪い方向に行くとも限らない。彼女の発言を否定するには、なにもかもが分かっていなさすぎるのだ。環境のことも。刀のことも。
なにしろ、俺は審神者として付喪神の主になるなど、体験したこともないのだから。確信を持った言葉を吐くことなどできるわけがなかった。
ただし、と俺は酒をまた飲み込んで、口を開く。
「そうやって自省の心を持ち、謙虚に生きていれば、失敗はそうそうしないはずだろうな」
「……そうでしょうか」
彼女は驚いたふうに俺を見つめ、嬉しそうにはにかんだ。
「あなたにそう言っていただけると、なんだか勇気がでてきました」
*
俺の父親は、どうやら名物へし切長谷部らしい。
髪の色が異なることを除けば、 ほんとうにへし切長谷部の見た目は俺にそっくりで――いや、俺がへし切長谷部にそっくりなのだ――とにかく、内面はさほど似通っているとも言いがたいが、第一印象からして彼の子だと丸わかりなのである。なんとも頭の痛い話だった。
「へし切長谷部と申します。主命とあらば、なんでもこなしますよ」
口上を述べ、こちらに目を向けた父は、視線が混じるや否や、驚きや動揺をありありと出した表情を浮かべた。
「な、あなた様は……」
「『あなた様』だなんて仰々しい呼び名を息子に使わないでください、父上。『お前』で十分です」
「――そうか。お前は、あの女性の子か?」
父が震える声で出したのは、懐かしい母の名だった。
「はい」と俺は頷き、ゆるく微笑む。
「彼女は俺をちゃんと育ててくれました。立派な母親でしたよ。どこかの誰かとは違って、ね」
*
刀はある。ただ、普段はしまっているため、手に持つことは少なかった。
「俺の刃を、受けてみろ!」
きらりと皆焼刄が輝く。得物をすらりと押し当てただけで、化け物の身体は豆腐を切るが如くきれいに二分されて、ぐしゃりと音を立てて崩れ落ちた。
「それは……」
「俺の依り代だ。へし切長谷部に似ているだろう?」
俺は手に持つその刀身の見えるよう、ついと燭台切のほうへと傾けた。
反りの浅い、打刀。皆焼の小乱れ。すべて小乱れであったり、長さがわずかばかりにへし切長谷部に足りなかったりと細部は異なるが、ぱっと見はとてもよく似ているのだ。
身にまとう衣装と似た鞘に、カチリと刀を納める。
不思議と軽いそれはなんだか自らの存在のあやふやさを表しているようで――いやな考えから背けるように、そっと自分の中に戻した。
燭台切は鞘に収まったそれをじっと眺め、黙りこんでいる。
さて、彼がなにを考えているのか、俺にはまったく見当がつかなかった。なにせ付き合いが短いのだ。知り合ってまだひと月。半妖のくせに刀を持っているのがおかしいのか、刀が父親のものと似ているのが興味深いのか、はたまた、こうしていままで黙っていたことを怒っているのか。
予想は立ててみるものの、すべて当てはまっているようにも思えるし、外れているようにも思えた。
「綺麗な刀だね」
結局、彼が口にしたのは無難な一言だけで、視線をこちらの顔に戻してきた。
「それで、君はこれをどうするんだい」
「どう、とは」
「『僕の練度じゃ明らかに倒せない敵の蔓延る時代で、ふたりとも無傷で帰還した』だなんていう荒唐無稽な事実を、このあとどうやって誤魔化すのさ」
「べつに、誤魔化さなくたっていいだろう」
「え?」
「俺が戦えるということなど知ったところで、どうなるわけでもない。利もなければ害もない」
なにしろ自分は半妖だ。刀剣たちもそれは知っている。むしろ審神者が戦えるというほうが嬉しいのではないのか。
俺は首を傾げつつそう説明したが、どうにも燭台切の反応は明るくなかった。
「……僕たちの仕事は戦うことなんだよ。それなのに君がこんなにも強かったら、こちらの立場がなくなってしまうじゃないか」
「なにを言うかと思えば。そんな訳がないだろ。俺はひとり。対して刀剣は30振りあまり。いくら俺が戦えるとはいえ、そんなもの、数の前にはとうてい敵わない」
審神者の仕事は刀剣のサポートが主である。いわば企業でいうところの社長だ。頭として部下たちを回し、成果を上げていく。
社長が専門の知識に強いにこしたことはないが、だからといって、そればかりでは会社は成り立たない。部下をきちんと把握し、環境を整え、筋道を立てて前進させていくのが一番の仕事なのだ。
たとえ社長がもっとも営業に優れていようとも、人間が同時にできることなど限られているのだから。己のことを恥に思うことも、頼られることに気まずさを覚える必要もない。
俺がそう説明すると、燭台切の表情はすこしだけ和らいだ。
***
へしの子供設定
・長谷部国久(くにひさ)
へし切長谷部の子供。半妖。母親は霊力のある黒田家の女中だった。名前はお久。妊娠したあと、逃げるように自らの国に戻ったが、家は没落していたためほとんどジリ貧生活であったとか。
イメージカラーは灰と青紫。
身長は175cm。父親よりもやや低い。
体重は軽め。脚が早く、力よりも素早さで生きている。
血液型は半妖のため不明。
黒髪に淡い青紫の瞳。ぱっと見はへし切そっくり。髪型は同じだが、髪質はそれよりもさらさらでクセがないのでアホ毛もない。垂れ目でつり目のへしよりもややキリッとしてる。美人よりもイケメン風。普段は妖術で瞳の色を焦げ茶色にしている。
江戸幕府の初期の生まれで、いわゆる戦国時代は知らぬ身。育ちは江戸。まさに日の本の中心で育ったからか、新しいものはわりと好き。
光忠曰く、「俗世にまみれた長谷部くん」とのこと。
戸籍はもちろんない。目の色が変わっているため、苦労はしてきたらしい。
・打刀「無銘:長谷部国久」
刀は己の中からスラリと出せる。
皆焼の大切先。反りも浅く、切れ味もよく、沸も茎の形も含めて全体的にへし切長谷部にそっくりだが、小乱れで統一されているところが違う。茎がうぶなのも違うところ。すこし刀身が短い。拵えは着ている服によってコロコロ変わる。服も含めてひとつの妖だということなのかもしれない。
へし切長谷部の子供として江戸、明治、大正、戦前と戦中、戦後の昭和、平成を生きた男の話。
ついでに、へし切長谷部に会いに行くまでのお話。別名、博多旅行。
とかなんとか。余裕があったら書いてみたい。
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