03

 シクシス島を脱出したおれたちは休む間もなく旗揚げをし、“偉大(グラ)なる(ンド)航路(ライン)”を目指して航海を始めた。

 エースは宣言通り、海賊王を超えるために名声を上げることに励んでいた。
 大海賊時代だからか、平和だの最弱だのと揶揄される“(イースト)の海(ブルー)”にも、物騒な輩や精神の腐った奴らはそれなりに存在していた。エースは出会った敵や噂になっている奴を容赦なく薙ぎ倒し、戦っては勝つを繰り返していった。
 時には海賊や悪徳海軍兵の被害者を助けることもあったが、そういう活躍は周知されることなく、海賊としての評判だけが着実に積み上がっていく。
 そしてエースの人柄に惚れた奴が仲間入りを志望することもあり、気づけば船に乗っている人数は“偉大(グラ)なる(ンド)航路(ライン)”入りを前に片手の指の数を超えていた。

 おれの方は、エースを救うためにあれこれ計画を練る以前に、そもそも航海に慣れる必要があった。なにしろ、前世を含めて戦闘経験もサバイバル経験もない一般市民の出だ。身体を多少鍛えていたとはいえ、戦闘員の仲間たちに比べたら貧弱そのもの。初めての船の環境に翻弄されては疲弊して潰れ、最近になってようやく慣れてきたかもしれないと言えるレベルにまで到達したばかりだ。
 ちなみに、船乗り経験値でいえばエースもおれと同程度のはずだが、あいつは持ち前の基礎能力の高さと身体の強さであっさりと適応していた。羨ましいかぎりだ。

 一応、船医という肩書を背負っていたのでまったくのお荷物というわけではなかったが、医学生レベルの医療知識しかないため専門家と比べたらぺーぺーもいいところだ。
 船医のような立場に就くことは昔から知っていたから相応に努力は重ねてきたが、やっぱり現場経験に乏しいってのは自信を損なわせる。ぶっちゃけ責任が重すぎるし、今後の万が一のことを考えると怖い。
 とはいえ、やるしかないからやるんだけどな。
 どんなに自信がなかろうが、この船から降りるつもりはない。エースとの冒険の果てがどうなるかは分からないが、おれの目的のためにも逃げるわけにはいかないだろう。

 そして肝心のエース救済計画の方は、これまでにいくつか考えては破棄してきた。

 まず、エースを白ひげの船に乗せない案。
 これはかなりハイリスクだ。なにしろ、いつかエースと海賊王の関係性を海軍側に暴かれたとき、後ろ盾を得られず処刑される可能性が高くなるからだ。エースがこの先の航海で大人しくしてくれれば海軍にも海賊にも注目されなくなるかもしれないが、あの調子では無理だろう。
 というか、そもそも白ひげに会わせない方法なんてあるんだろうか。あれは運命みたいなものだろ。
 よってほぼ没案。

 次に、エースが船を降りるきっかけとなったサッチ殺害事件を阻止する案。
 しかしこれは、どんな経緯でサッチがヤミヤミの実を入手したのかをよく知らないため、阻止するのが運任せになってしまうのがネックだ。
 それに、ティーチと戦う羽目になったら勝てる気がしないし。相当に運が良ければヤミヤミの実を先に食べるなり破棄するなりして処分できるかもしれないが、さすがに運頼りすぎて計画とは言いがたい。博打がすぎる。
 これもほぼ没案。

 最後に、頂上戦争でエースを助ける案。
 これも難易度が高いというか、不可能に近いやつだ。そもそも、おれがあの戦争に参加できるのかが分からないし、参加できたとしても海軍大将たちと張り合えるとは思えない。運と実力の両方が求められている作戦だ。
 だが、確実に起こると分かっているあの攻撃――赤犬のマグマの拳――さえ阻止できたら、エースを助けられる希望がある。難易度は高いが、確実性も高い。時間の猶予が最も与えられているので、他の作戦より準備できるのも利点だ。

 あれこれ考えた結果、とりあえず最後の案を最終手段にしつつ、最も備えやすい未来として中心に据えることにした。
 詳しい計画についてはじっくりと考えている最中だが、大枠が決まれば自ずと今やるべきことも明確になってくるだろう。

 とりあえず、まずはそれなりに動けるように鍛えたかった。船に乗ってから戦闘経験は着実に重ねているが、エースを筆頭とした戦闘員と比べたら雑魚もいいところだ。というか“偉大(グラ)なる(ンド)航路(ライン)”の楽園基準で見ても、今のおれはそんなに強いほうじゃないだろう。
 動きが良くなれば、戦闘時の生存率や対応力が向上するだけじゃなく覇気を習得するための地力にもなるはず。まさに一石二鳥ってやつだ。

 そうと決まったら早速行動、と戦闘員の仲間たちに鍛えてほしいと相談したところ、手加減抜きで容赦なく扱かれてしまった。
 ボロボロになって甲板に転がったおれに対して、一部始終を眺めていたエースは「なんか悩みでもあんのか?」と怪訝そうな顔をしていたが、「男が強さに憧れるのに理由なんているか?」と適当に誤魔化しておいた。これも嘘じゃあないしな。
 ちなみに、エースとの戦闘訓練は念入りに断っておいた。おれにその域はまだ早すぎる。

 そうやってあれこれ悩んだり励んだりして過ごしていたら、ついに“偉大(グラ)なる(ンド)航路(ライン)”入りを本格的に目指す日がやってきた。
 今夜は最後の補給目前ということで、盛大な宴を開いて古くなった食材や飲み物を景気良く消費することになった。普段はおれとエースでこの船の調理係を担当しているが、今夜はおれだけが担当し、雑に焼いたり煮込んだりした飯をじゃんじゃん作っている。

 さすがに、宴なのに主役というか中心人物を欠けさせるのはまずいだろう。余り物でざっくり作るだけなら、おれひとりで事足りる。なにしろ、“俺”だったときは一人暮らしで自炊をしてたし、“おれ”としてもあの家を飛び出した後は船を買う金を貯めるために酒場で働いていたからな。経験はそれなりにあるつもりだ。
 とはいえ、腕前を誇るつもりはない。しょせんは男メシみたいなものだし、そこらへんにいる母親のほうが数段美味しく作れるはずだ。

 何故おれが担当しているかと問われたら、成りゆきとしか答えられない。旗揚げした当時、あまりにも野生的な料理しか作れないエースに呆れ果てて、おれが代わりに作り始めたら「お前が作る担当だな!」と指名されてしまった。ちなみにエースは船の燃料節約のために火の担当をしている。
 仲間たちは「デュースは手先が良いし、なんでも出来るな!」とのんきに笑っているが、おれは医者であってコックじゃあない。
 目下、船員が増えるにつれてどんどん負担が増しているので、早急にコックが仲間入りしてほしいと切実に願っているところだ。

 コンロの火を使い、完成した料理たちを宴の行われている甲板に持っていくと、仲間に囲まれて食べている最中のエースがおれに気づいて、手を振って呼び寄せてきた。

「デュースもこれ食えよ。焼き加減は雑だけど美味ェぞ」
「それを作ったのはおれなんだが」
「まァまァ、気にすんなって!」

 エースは楽しげに笑いながらおれの肩をばしばしと叩く。これ、だいぶ酒が入ってるな。
 いったい何杯目なんだ、と隣に座っていた船の仲間――キメルに目を向けると、エースの後ろで転がっている酒樽を指し示された。
 なるほど。だいぶ調子に乗って飲んでいるらしい。
 というか、おれたちまだ未成年だったよな。海賊という無法者になってしまったので今さらではあるが、この世界で17歳の飲酒は法的に許されているのか?

「おい、エース。それで最後にしろよ」
「んー?」

 おれが話しかけている間に、エースはジョッキ樽を呷って中の酒を飲み干していた。これはもう駄目だな。できあがっちまってる。
 食材はほぼ消費できたし、みんなも満足するまで食べられたようなので、おれの仕事は果たせたと見なしていいだろう。なので、おれも腰を落ちつけて食べることにした。味見のおかげでやや腹は満たされているが、ちゃんとした料理……それと酒は飲みたかった。
 未成年とか知るか。前世でおれはとっくに成人してたんだ。おれのなかでは合法だ。そもそも、これまでの宴でもう散々飲んできたから違反を指摘されたところで手遅れだし。
 ジョッキに酒を注ぎ、皿に残っていた照り焼きチキンを手元に寄せる。
 うん。やっぱりこういうときの居酒屋メニューは最強だな。疲れた身体に染み渡る。

「そういや、明日は島のどこに向かう予定なんだ?」

 忙しさを理由に聞きそびれていたことをふと思い出して、航海士を担っている奴に尋ねると、「ローグタウンだ」と答えが返ってきた。
 先に宴に参加していた奴らはとっくに知らされていたのか、驚く様子もなく「海賊王伝説の地だ!」「観光するぜェ!」と楽しそうに声を上げて騒ぎはじめる。

「……ローグタウンか」

 紙面上の光景と、この世界で生きるようになって得た知識が混ざり合って脳裏をよぎり、一瞬、くらりと眩暈がする。
 こういうことは何度か経験があったものの、避けることは難しかった。日常場面で、会話だけでなく新聞や書籍を読んでいるときにもたまに発生する。おれはこれを『現実酔い』と名付けていた。
 おそらく、架空の世界の物語として受け止めていた記憶と今を生きている認識が衝突することで、二次元と三次元の境界が曖昧になって感覚器官に不具合が生じるのだろう。
 こんな症状、おれ以外にサンプルがないので診断は適当だ。そういうものだと思って諦めている。第一、これを説明するような相手もいないしな。

「デュースは行ったことあんのか?」
「いや。そもそもエースに会うまで地元の島から出たことなんてねぇよ」

 エースからの質問に答えつつ、この世界の“現実”で目にしたローグタウンの風景を思い出しながら、おれは手元の酒を煽った。
 あれは確か、新聞の特集記事だった。記事タイトルは――『処刑から十年。“海賊王”伝説の地の現在』。
 白黒写真で載っていた当時の風景から、今はどのくらい変わったんだろうな。
 明日、それを確かめているのが楽しみになってきた。

「よォーし! おれたちの航海に乾杯ィー!」

 エールを溢しながら元気よくジョッキを掲げている仲間に倣って、おれもジョッキを軽く揺らした。



 翌朝。おれたちの船『ピース・オブ・スパディル号』は、玄関口と呼ばれる町、ローグタウンへと辿り着いた。

 かつて、“海賊王”ゴール・D・ロジャーが生まれ育ち、処刑された地。“始まりと終わりの町”。

 ここで“海賊王“の発した最期の言葉は多くの人々の心を動かし、大海賊時代を築くきっかけとなった。偉大ではあるが、今の世の人たちにとっては非常に迷惑な人物でもある。
 そして、この世でエースだけが特別な感情を向けることのできる男でもあった。

 船で買い出しの準備をのんびりと行っていたおれは、船頭で街を眺めながら佇んでいるエースに気づいた。エースは普段、真っ先に船を降りて探索を始めるので、島に着いたのに船に留まっている光景はかなり珍しい。
 仲間たちはさっさと船を降りて買い出しや遊びに行ってしまったため、現在の船内にはおれたちしか残されていなかった。いや、元教員兼狙撃手のミハール先生もいたか。でも、あの人はいつも船内に引きこもっているのでここではカウントしないことにする。

 おれは財布とメモをポケットに入れながら、ゆっくりとエースに近寄った。

「これから町で買い出しに行ってくるが、エースはどうする?」
「おれは……いい。船を見張っておく」

 エースはいつもよりも固い声色でこちらの誘いを断った。目線は変わらず町のほうに向いていたが、本気で行く気がないことは伝わってきた。

「……いいのか?」

 エースの返答を聞き、おれは思わず尋ねてしまった。

 実のところ、あの無人島でエースから父親のことを打ち明けられていた。
 なぜおれに明かしてくれたのかは分からないが、きっとこちらを信頼してくれたのだろうと前向きに捉えている。エース本来の素直な性格もだいぶ影響したとは思うけどな。

 誘いを断ったにも関わらず、わざわざ意思を確認されても余計なお世話だろうが、エースの出生の秘密を知っているからにはここで無視することもできなかった。

「見たところで意味がねェよ」

 エースはばっさりと言い切り、町に背を向けて船内へと戻っていった。帽子の奥でちらりと見えた目の色は暗く沈んでいて、何か思うところがあるのは明白だった。
 そりゃそうか。世の中から散々恨まれるきっかけを作った男の死に場所なんて、見に行ったところで楽しくなるわけもないよな。おれも馬鹿なことを聞いてしまったものだ。

 お土産のリクエストがあるか尋ねようと思っていたが、エースの背が船の扉の奥に消えるまで黙って見送ることにした。

「…………」

 顔の向きを戻し、先ほどまでのエースと同じようにじっと町を眺めてみる。
 ローグタウンは、背の高い建造物が建ち並んでいる大きな町だ。“東の海(イーストブルー)”では有名な場所ということもあり、処刑された地というよりも観光地としての賑わいと明るさがあった。処刑台のある広場はここから距離があるため、直接、目にすることはできない。
 一体、エースはどんな気持ちでこの町を眺めていたんだろうか。
 そんな答えのない問いがふと思い浮かんだ。

 物語を知る立場として、“海賊王”に思うところはそれなりにある。
 ワンピースの正体や、ラフテルの場所。「この世の全てをそこに置いてた」という言葉の真意。
 おれが生きているときはまだ明かされていなかった数々の謎。エッグヘッド編では重大な秘密が結構明かされていたので、まだまだ物語を追えていたなら、それらの謎も知り得たのかもしれない。
 きっと、誰もが驚くような真実だったとは思う。そうじゃなきゃ、あんなに堂々と処刑台で、多くの人の心を動かせるような台詞を吐けるものか。

 この旅の行く末はまだ何も分からない。おれの将来も。エースの未来も。
 ただ、伝説に残るような最期にならずとも、せめて、やりたいことは成し遂げて終わりたいよな。

 まだ見えない処刑台のことを思いながら、おれはそんなことをしみじみと考えた。
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