放課後の夕日はいつもきれいだった。
茜色。林檎の色。いのちの燃える、鮮やかな色。
ぼんやりと廊下の窓に寄りかかって遠くに見える山を眺めていると、上履きのかかとを履きつぶしている、ぺたぺたという足音が聞こえた。

「ひさしぶりじゃの」

関東ではおおよそ聞かないであろう、きつく訛った日本語。わたしが振りかえると、声をかけてきたその人はキレイな笑みを浮かべた。
学校内の廊下の窓際に寄りかかるわたしは、じっとその人を待つ。すると、いくらもかからないうちに彼はわたしの隣にやってきた。

「そうだね。ひさびさに会った気がする」

わたしが愛想笑いに近いものを浮かべても、相手はまた、本心からのような、ちょっと照れたふうに口端をゆるめる。いつも余裕そうな立ち振るまいをしているこの人にしては、なかなか珍しい顔だった。
その姿を見ていると、なんとなしに、悪戯心がふくりと芽を出した。

「じつは散歩してたんだよ。いまは休憩中なの」
「なんじゃ。訊く前に答えられたのう……。そんで、散歩? この学校内を?」
「思い出つくりってかんじかな」
「へぇ」

もちろん、嘘だ。
それなのに、彼は素直にうなずいていた。なんと驚くべきことに、わたしは彼を騙せてしまったようだ。
それとも、これも彼の演技なのだろうか。なんだか悪戯をしかけたはずなのに、逆にしかけられてしまったような気がする。

なんとなくすっきりしない心持ちのまま窓枠にもたれ掛かっていたら、彼は真似をして同じようにもたれ掛かってきた。
目線は横一列。正面を向いたら、視線はけっして交わらない形だ。

それなのに、あんまりにも彼が嬉しそうな顔をしているので、わたしはすこしだけ楽しくなった。

「……仁王、雅治」
「ん? どうしたんじゃ、改まって」
「いい名前だよね」
「そうかの」
「そうだよ」

わたしはうなずいた。仁王くんはまたゆるく微笑んだ。
風が吹いて、穏やかな空気がさらさらと窓から廊下に流れこむ。澄んだ川の水のようで、心地よくてみずみずしい。

幸村くんが花畑なら、仁王くんは川だ。
さらりとあらゆるものを流しているようで、いろんなものを受けいれて包みこんでいる、涼やかな夏の川。

綺麗な空気をとりこむように、一息、いれて。吐きだす。
水の中にいる魚のように、それは簡単で静かな呼吸。

「――わたし、病気なの」
「えっ」

リアクションが幸村くんにそっくりだ。
わたしは自然と頬がゆるむのを自覚した。
驚く仁王くんを見ると、申し訳なくなってはぐらかしたくなった。でも、この人にはきちんと言っておきたかった。自分が嘘つきだと自覚しているからこそ、なおさらに。

「治ればいいんだけど、また検査するみたい」
「みたいって……こんなところにおっても大丈夫なんか?」
「さぁ、どうだろう。でも、大丈夫ってお医者さんは言っていたよ」

本当はまったく大丈夫じゃないことはわかっている。もうすぐ入院しなければならないのだ。それを隠して、嘘をついてふらりとかわして答えたら、仁王くんの顔がどんどん険しくなっていった。

さっきまで笑顔だったのにな。
川は土埃が舞って、にごってしまったみたいだ。

「……幸村には言ったんか」

予想どおりの質問。
わたしは想定どおりに笑った。

「はぐらかしちゃった。だって、言えるわけないもん」

幼なじみだからって、すべてを言えるわけじゃない。こどものころはなんでも共有していたけれども、あの日々はずいぶんと遠いものになってしまった。秘密にしたいことだって、ひとつや、ふたつはあるのだ。たとえそれが命に関わるものでも。
わたしは小指を立てて、小さく揺らした。

「だからね、仁王くん。これはわたしと仁王くんの間だけの秘密だよ」
「……ああ」

寄り掛かるのをやめて、振りむいた窓から中庭の花壇が見えた。
そこにいるのはふたりの生徒。幸村くんと、顔もしらない綺麗な女の子。わたしは目を細めて、遠くからそれを見おろすことしかできなかった。

「ぜったいに、秘密だからね」

口からぽろりと不確定な約束がこぼれおちる。

――悠里は俺にとっての花だから。

そう言って、私の頭を撫でてくれた幸村くん。あのときと変わらない笑顔を浮かべて、幸村くんは女の子を穏やかに言葉を交わしている。
わたしは、彼のとなりにいない。

頭が霧がかかったかのように白く、もやもやとかすれていく。これは、わたしが嘘つきになった代償なのだろうか。
すべて忘れて、なくなってしまうなんて。それならいっそ、川に打ちあけて、託して、すべてが流れてしまえばいいのに。
あのしあわせな日々をしらなければ、こんなに苦しくはならなかったのかな。

仁王くんはしんと黙りこんだわたしを、じっと静かに見つめつづけていた。




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