水面下に揺れる月


ミユキはかつて、ただの女子高生だった。しかし、彼女は若返って異世界にトリップをするという偉業を成し、幸運にもホグワーツに入学をはたし、そこで七年間、喜怒哀楽を友人と共に経験して卒業した。そして気がつけば、彼女は昔の年齢をとうに越えた、立派な大人となっていた。
さほど進路について考えていなかったミユキは、ホグワーツを卒業した後、どこにでもあるような魔法界の企業に就職した。だが、その裏では不死鳥の騎士団に所属して闇の陣営と戦っていた。命の危機は何度も感じたが、そこまで強くない死喰い人たちを相手にしていたためか、死ぬようなことはかろうじて回避していた。

どんなに摩訶不思議な体験をしようとも、ミユキは自他共に認める平凡な少女だった。彼女の友人であるジェームズやシリウスらは、それをよく知るからこそ、いつも彼女が不死鳥の騎士団に所属していることを心配していた。平凡であると同時に、変なところでグリフィンドール気質である彼女は、いつか友人を庇って、はたまた、どうしようもなく下らないことで死んでしまうような気がしていたのだ。
そして、その予測は遠からず当たることとなる。

去る二月の寒い夜、彼女は同じ騎士団の仲間を守るために、囮となって命を落とした。庇われた騎士団員の命は無事守られたが、何て言うことはない、その騎士団員は闇陣営側のスパイだった。ジェームズらはそのスパイが尋問後、死ぬ間際にせせら笑いながら出した言葉を、皮肉ながらも共感せざるをえなかった。
“わかっていながら敵を護ろうとするだなんて、本当にあいつは、お人よしだよ”
ミユキは友人を庇った。しかも、どうしようもなく下らない理由で命を落とした。馬鹿な奴だと笑うしかないほど、彼女はとことん甘くて、どこまでもグリフィンドール気質だったのだ。

――わたしは、グリフィンドールには向いてなかったんだよ。

かつて、彼女は曖昧に微笑みながらそう言った。
そんなわけがない。ジェームズらはそう否定したかった。本当にグリフィンドールに相応しくなかったのであれば、いま、こうして亡くなることはなかったはずなのに。敵の者を庇うという、呆れるほど無謀なことをしなかったはずなのに。

彼女には親友はいなかったが、死を悼んでくれる友人は確かにいた。訃報を耳にしたリリーが「せめて、恋人がいなかったことが救いね」と呟いた言葉を聞いて、ジェームズはあの日の彼女のように曖昧に微笑んで頷いた。そうしてそっとうなだれるリリーの身体を抱きよせた。
彼らはもう死に慣れきってしまっていたのだ。それは、もはや彼女の墓に参ることすらできないほどに。



早朝の散歩として久々にホグワーツを探検したら、林の近くに誰かの墓を発見した。ありきたりな、グレーの石。記憶にないそれに興味本意でさくさくと近づき――わたしは後悔した。

『1981年没 ミユキ・サトリ』

刻まれていたのは自分の名前だった。ホグワーツにお墓を作ってもらうだなんて、とんだ好待遇だ。
そこまで自分は特別な人間だったかと首を傾げつつ視線を落とすと、名前の下に教訓じみた言葉のあることに気づいた。

『明日のことを思いわずらうな。明日のことは、明日自身が思いわずらうであろう』

この言葉を刻んだのが誰であれ、どうやらその人はわたしのことをよく知る人物らしい。
わたしが迷う内容はもっぱら未来のことで、もちろん、未来を知っていることは誰にも告げたことはなかった。異世界から来たことすら誰も知らないのだから、当然といえば当然なのだけれども。
ふと、聡明な我らが校長の姿を思い出し、あの人ならば感づいていてもおかしくはないと頷いた。

「……死ぬなんて、ばかみたい」

ぽつりと呟き、自嘲する。
自らの墓の前で、自らの所業を批判する。滑稽にもほどがある行為だ。

死んでしまったわたし。
なにも成せなかったわたし。

死ななければ――あの未来もどうにかなったのかもしれないのに。

一時の偽善的な優しさから命を落とした事実は、愚かしいことには違いない。
でも、わたしが恋い慕うあの人だって、きっと同じことをしたはずだろう。

「ジェームズ……」

可愛くて優秀なリリーと結婚した、悪戯好きの賢い人。恋をしてしまうだなんてまったく予想していなかった、事故みたいな報われない恋。
地中に眠るわたしは、いったいどのような幸せな夢を見ているのだろうか。あの懐かしく平和な日々を回顧しては、ゆったりと微笑んでいるのだろうか。
ここにいるわたしは、未だに彼への愛を捨てきれないというのに。

なんだか悔しくなって、自分の墓を蹴ってみた。
軽くしたはずなのに、わたしの爪先は予想以上の痛みをじわりと訴えた。もちろん、微塵たりとも目の前の墓石は揺らがなかった。

「ばかみたい」

震える声は、沈黙する朝霧に消えた。

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