冷たい一歩
ハリー・ポッターはジェームズにそっくりだった。もちろん、それは見た目のことを指している。好奇心が人一倍強いところはともかく、自己肯定感が薄いことや、やや傍観者気味な性格はハリーにしかないものだ。リリーのような優しさも確かに持ってはいるが、しかし無償の愛に溢れているわけではない。
ホグワーツに再び入学して早四日。ハリーはハリー自身でしかないことに気づいて、ミユキは悲しくなった。
いくらジェームズに似ているからと投影しても、彼は決してジェームズにはなれない。そんな常識が、ひどく鋭い棘となってミユキの心を刺した。
グリフィンドールの席でロンと仲良く朝食を楽しむハリーを、ミユキはさりげなく垣間見る。ああして笑っている姿だけを見れば、まるで昔に戻ってきてしまったかのように錯覚してしまう。これで黒髪イケメンな男の子が横にいたら完璧だった。
――わたしですらこうなのだから、ジェームズと深い因縁があったセブルスはさぞ不快な心持ちになっているのだろう。
そう考えてミユキがちらりと教職員側のテーブルに目を向けると、予想に反してスネイプは姿すら見せていなかった。どうやら、ハリーと同じ場に居たくもないらしい。
慣れるまではなるべく距離を置きたいのだろう。ミユキはひとり納得して、目の前にある、いつまで経っても好きになれない英国料理に手をつけた。和食に囲まれて育った生粋の日本人にとっては、洋食にまみれた生活は辛いものがある。
ちなみに彼女の隣のテーブルでは、ハーマイオニーがぶつぶつと呪文を唱えてはいとも簡単に成功させていた。ミユキは横目でその姿を見てしまい、憂鬱そうに淡く息を吐いた。
前世のミユキはずいぶん昔にホグワーツを卒業した。成績優秀だったとは口が裂けても言えないが、それなりに努力はしていたし、伊達に彼女も騎士団に所属していたわけではない。まがりなりにも死喰い人と渡り合ってきた経験を踏まえれば、むしろそこらの生徒よりかはできるほうなのだ。
ゆえに、ホグワーツにまた入学したとき、ミユキは「一年生の魔法なんて余裕だ」と高を括っていた。――だが、どうやら神というものは、とことん彼女のことが嫌いらしい。
なぜならばミユキの魔法を使うスキルは、若返ると共に初期値に振り戻されてしまったからだ。というのも、以前の彼女が魔法を使う感覚と、今の感覚がまるっきり異なってしまったのである。
たとえるならば、成人が幼児の手で字を書くようなものだ。身体の成長と共に確立していった己の魔法を使うイメージと、まだ幼い身体の許容量が全く釣り合っていない。いくらミユキが十の力で武装解除をしようとしても、彼女の身体はせいぜい三程度の出力しかできない。こんなことでは初級の浮遊呪文ですらまともに成功できないだろう。
ミユキはオートミールをつれづれに混ぜながら、そのことを思い出して憂鬱な気持ちになった。
他の一年生たちと混じって、また一から魔法の鍛練を始めなければならないだなんて。卒業生なんだからと胡座をかこうとしていたらこの仕打ちだ。彼女にとっては、レポートを楽に仕上げることができるのがせめてもの救いだった。
ミユキの左側で、楽しげに言葉を交わしているハリーとロン。その反対側で一生懸命ひとりきりで自習を重ねているハーマイオニー。今はまだ、三人組としてつるんでいないが、あと二ヶ月もしないうちに彼らは何年も続く名トリオとなるのだろう。
未来を変える気も、物語に干渉する気も失せているミユキは、始終なにも言わず、静かに食事を終えて立ち上がった。
ダンブルドアとはハリーを守る約束を交わしたが、なにも彼らと友人関係になる必要はないのである。ミユキはそう考えていた。
――わたしには原作を知っているという強みがあるし、さらに、この未来が筋書き通りに進むのならば、なにもしなくてもハリーが死ぬことは絶対にないということも知っている。むしろ、わたしというイレギュラーが絡むことで、物語が大幅に変わってしまうほうが問題だ。
――それならば、わたしは大人しくハリーを陰で見守ろう。ただそれだけに努めよう。
――なにもしない。
――なにも頑張らない。
――そんな、最低な見張り役に徹底しよう。
大広間から出る瞬間、ミユキは、低血圧からか、やや不機嫌そうなスネイプとすれ違った。
彼は死ぬ最後の瞬間まで、真剣にハリーを守ろうと命を賭して働くのだろう。そう考えると、哀れむ気持ちと共に、どこか不思議な罪悪感が彼女の心中に込み上げてきた。
無視して一歩、踏み込んだ世界は予想以上に寒かった。
「ポッター! アスフォデルの球根の粉末にニガヨモギを煎じたものを加えると何になる?」
スネイプはやはり、とことんハリーのことを憎む予定のようだ。ジェームズにあんなことを六年間近くもされていたら当然か、とミユキは困ったように眉を落とした。まさに今、リリーによく似た目に見つめ返されているスネイプの心中を考えると、つい苦笑もしてしまう。
幸いにも彼女の表情は、スネイプがハリーを注視していたために見られることはなかった。だが、隣の席に座っていたネビルはばっちりとそれを見ていたらしい。
「ねぇ、なんでさっき笑っていたの?」
「さっき? ……ああ。スネイプ教授が大人げなくてね。ハリーもハリーで可哀相だし、ついつい苦笑しちゃった」
辺りに漂う半透明の水蒸気。得体の知れない材料を刻む音。おできを治す薬を調合しているときに、ネビルはそれらのどさくさに紛れてこっそりとミユキに尋ねた。すると彼女は事もなげにその質問に答えながら、手に持つ角ナメクジを大鍋に投入した。
「あ、そこは火から降ろしてからだよ」
さりげなくミユキはネビルに注意をし、また材料を刻む作業を続けた。
あっさりと吐かれた理由だが、内容は強烈だ。ネビルはあからさまに目を大きく見開いた。
「苦笑? よく大人げないだなんて考えられる余裕があったね。感心するよ……」
「ミスター・ロングボトム。私が思うに、君こそよくのうのうと会話にかまける余裕があると感心する。この様子では、さぞ鍋の中身も完璧なのでしょうな」
鼻で笑う音と共に、冷ややかな声がネビルの横で響いた。
硬直して顔を青ざめさせるネビルを気にすることなく、スネイプは中で煮え立つ液体に軽く視線を向け、無表情で呟く。
「グリフィンドールは一点減点。火を止めたのはいいが、混ぜ方が悪い」
情けない表情で立ち尽くすネビルのことを、ハリーとロンは心底同情した。ここが授業中でなければ肩でも叩いてやりたいくらいだった。その代わりに、二人はテーブルから離れてゆくスネイプの背中をじっと睨むだけに留めた。
肝心の彼とペアを組むミユキはさほど慌てた様子をすることなく、マイペースに材料を入れては呆然とするネビルの代わりに鍋を混ぜていた。
「だいたいでいいんだよ、ネビル。この薬は多少荒くたって問題ないんだから。一年生の一番最初に作るものなんだもの。それに、もし一流メーカー並の出来を追求するなら、そもそも材料集めから頑張らなくちゃいけないんだよ。ほら、最高級ナメクジとかさ」
最高級のナメクジとは、いったいどのようなものなのか。ハリーは彼女の主張に半ば唖然としつつ隣でそれを聴いていた。数分近く固まっていたネビルだが、それを聴いてようやく少し元気が出たのか、わずかに頷き、また中を掻き混ぜる仕事を再開してくれた。
ちなみにスネイプといえば、ちょうどスリザリン側に回っていたため、幸運なことに彼女の声を拾っていなかった。ハリーがそれにほっとしたのは言うまでもないだろう。