ミストガール


綺麗にきらめく粉を一掴み。暖炉のなかに撒き散らす。
ぼっと燃え上がるエメラルドの炎。躊躇いなくそのなかに足を踏み入れ、くるりと回って前を向く。
そして一言、地名を述べる。ポイントはくっきりはっきりと発音すること。

「ダイアゴン横丁!」

そうすれば、どこにだって行くことができる。魔法みたい? ええ、これは魔法です。



暖炉のなかでエメラルドの炎が燃え上がる。炎が消えると同時に、そこから人影が現れた。しかし、周りでくつろぐ人々はまるで気にする様子がなかった。なにしろ、これが魔法界にとっては当たり前の光景なのだから、騒ぐ必要性など、どこにあろうか。
暖炉から出たミユキは、ふらつく足を無視しながら漏れ鍋のカウンター席に座りこんだ。
頭を腕の間に落とし、頬を机に付ける。木のやわらかい触感が肌になじむ。すこし気持ち悪いような感じがするのは、決して寝不足や体調不良からではない。煙突飛行で回転しすぎたせいだ。

「マスター……水をください」
「はいよ。お嬢ちゃんは煙突飛行が苦手なんだね」
「そりゃあ、あんなにぐるぐるされたら……」

煙突飛行の感覚を思い出して顔色をさらに悪くさせたミユキは、手渡されたコップのなかに並々注がれた水を、一口、飲みこんだ。
この漏れ鍋の店主であるトムは、彼女のそんな様子を見て、からかう口調で言う。

「その調子じゃあ、グリンゴッツで金を降ろせないんじゃないのかい」
「トロッコは平気なんです。まだジェットコースターみたいで気持ちに余裕ができるし」
「ジェット……?」

トムは眉をひそめた。
ミユキは慌てて説明する。

「ジェットコースター。マグルの乗り物ですよ」
「へぇ、マグルはあんなもので移動しているのか」
「ええ」

いまの体調ではわざわざ訂正するのも面倒だったので、ミユキは適当に頷いた。
ジェットコースターが乗り物だという説明は、嘘はついていないし、あながち間違ってもいないだろう。ただし乗り物であって、移動手段ではないのだが。そこらへんのすれ違いは、意思伝達法が言語であるかぎりは致し方ない事故なのである。
また水を飲むと、ようやく気分が回復したような気がした。

「そういえば、お嬢ちゃんはホグワーツだろう?」
「はい。新学期で三年生になります」

いまのミユキはマグルの私服を身につけていたが、子供の見た目で学生だとまるわかりであった。さらに夏にダイアゴン横丁に出没する子供など、十中八九がホグワーツ生である。言うまでもなく、トムの予想が外れる可能性は限りなく低い。
ミユキが頷いたのを見て、トムはすこし顔を近づけて、声を落とした。

「じゃあ知っているかもしれないが……いまここに、ポッターさんがいるんだよ」
「えっ、本当ですか?」

思わず声を上げてしまう。
トムは真面目な顔つきで頷いた。

「ああ、本当さ。つい昨晩から泊まることになったんだ。お嬢ちゃんはポッターさんと同じ学年だし、もし友人なら、挨拶に行けばいいんじゃないか」
「そうですね。それで、ハリーはいまどこに?」
「ほんの一時間前にダイアゴン横丁に向かったばっかりさ。適当に歩けば出会えるかもしれないな」
「……じゃあ、ちょっと行ってみます。お水、ありがとうございました。いくらですか?」
「いや、たったコップ一杯の水だ。金なんて取らないさ。気をつけて行ってらっしゃい」

トムは歯の抜けた笑顔でミユキを見送ってくれた。椅子から降りたミユキは、店主のあたたかい優しさをしみじみと噛みしめながら裏庭へと向かった。
レンガを杖で叩きつつ、ミユキはぼんやりと思案する。

「(ハリーがこんなに早く家出をしているとは思わなかったけど……、これもシリウスの脱獄時期が早まったからなのかな)」

黒犬を見ずにハリーがナイトバスに乗る可能性を考えていたのだが、シリウスの脱獄時期とハリーの家出の日を考えるに、ちょうどプリペット通りで鉢合わせていそうだ。
ハリーはつくづく不運なのだなと思い、ミユキは困ったふうに口元を歪めた。ジェームズが幸運すぎて、その反動が巡ってきたわけでもあるまいに。トラブルが次々と磁石のように彼に向かって飛びこんでくるのだから可哀相なものである。

「あっ」
「えっ」

噂をすればなんとやら。するするとレンガの壁が開けた先には、きょとんとした顔をしたハリーが立っていた。



「えっと……ミユキだっけ?」
「そうだよ。ひさしぶりだね、元気だった?」

立ち話もなんだったので、二人はフローリアン・フォーテスキュー・アイスクリーム・パーラーに向かった。
財布事情からあまりお金を使う気がないミユキは一番安いレモンシャーベットを、ハリーも同じものを頼んだが、気前のいい店主がおまけでミントアイスをそれぞれの上に乗っけてくれた。

ひんやりと冷たいアイスを食べながらハリーの話を聞くに、家出をしたハリーは生まれて初めて自由を手にしたので、すこしだけダイアゴン横丁をうろついたらしい。
もっと見てくればよかったのに。ミユキが呟くと、ハリーは眉を落として、「どうやって好きに遊べはいいのかわからなかったんだ」と言葉を返した。ミユキはこの少年の育ちに同情したものの、どう言ってやればいいのか悩んだ。

「ところで……ミユキはどうしてここにいるの?」

まさか僕と同じように家出したわけじゃないよね。ハリーは冗談半分といった様子でミユキを見た。
当然、ミユキは首を横に振った。

「ううん、買い物をしにきただけだよ。新学期が始まるまでに、足りない材料を補おうと思って」
「材料? 魔法薬学の?」
「うん。それにインクや羊皮紙もね。教科書のリストはまだ届いていないけど、先に買えるものは買っておきたいからさ」

教科書のリストが届いてからのダイアゴン横丁は、毎年かなり混雑するのだ。なにしろホグワーツの生徒が千人近く、ほぼ同じような日にどっとやって来るのだから、混雑しないほうがおかしいのである。
万が一の品切れや混雑を考えたら、この時期にいろいろと購入したほうが効率が良い。元に、同じようなことを考えているらしい六、七年生あたりの青少年らを、ミユキはダイアゴン横丁でちらほら見かけた。
ハリーはそれを聞いて、目を丸くした。

「ミユキって……やっぱり賢いね」
「そうかな?」

ミユキからしてみれば、いままでの経験から効率の良い行動をしただけだ。他の学生もしているのだから、さほど感心されることでもないだろうに。
ミユキはいま、自分が十三歳として通っていることをすっかり忘れていた。高校生ならばともかく、中学一年生に相当する子供がそのようなことをあれこれ考えていたら、驚かれるのは当然だ。

「ハーマイオニーみたいに勉強が得意なわけじゃないみたいだけど、なんというか、考え方が大人っぽいよ」
「……あはは」

ごまかすように笑うしかなかった。
ハリーは鋭い。たしかにミユキの精神年齢はハリーよりも高いのだ。
さらに何かを言われたらぼろが出そうだったので、ミユキは逃げるようにミントとレモンが交わった爽やかな味を口に入れた。エメラルドとパステルイエロー。なかなかない色の組み合わせだが、意外にもそれは綺麗に交わっていた。
スリザリンとハッフルパフが友好関係になったら奇跡だ。混ざった色を目にして、ミユキはふとそんな冗談じみたことを思った。

「わたしが大人っぽいって言うなら、たぶんそれはわたしの他に子供がいなかったからだよ。すごく田舎の村だから、大人や高齢者しかいないの」

もちろん嘘だ。

「へえ、ミユキってそんなところに住んでいたんだ」
「うん。それでお世話になっているのは教会だって前に言ったかな? 魔女がキリスト教を信仰する場に住むなんて、なかなかシュールだよね」

ハリーの頭のなかで、テレビで見るような田舎村の映像が流れはじめた。
広大な畑。草を食む牛。藁や古いレンガで作られている家々。爽やかな風がさわりと木々を揺らす。
のどかな空気のなかで、ミユキが川岸に座り、さらさらと澄みわたる水のなかに脚を浸している。彼女の後ろから、教会の鐘を鳴らす音がゆるやかに響く。
そこまできて、ハリーは自分がぼんやりとしていたことに気づいた。

「ええと……キリスト教が魔女狩りをしたんだっけ?」
「そうそう、中世の魔女狩りね。夏休みの宿題に出てたよね」

正式には『十四世紀における魔女の火あぶりの刑が無意味だった。意見を述べよ』である。ミユキはまだそのレポートを仕上げてないが、家にある参考資料でなんとか片付けられそうな内容だった。
ハリーは自分の宿題の進捗状況を思いだしたらしく、肩を落とした。

「僕、あんなレポートを書ききれる自信がないよ。手元に教科書しかないんだから」
「大丈夫だよ。わたしもそうだし、マグル出身の子でもできるように、教科書の内容だけで間に合うように作られていると思うよ」

第一、去年だってできたんでしょ? ミユキが訊くと、ハリーは微妙な顔つきになった。
去年の夏はロンの家の世話になって、なんやかんやでパーシーから魔法史の参考書を借りたのだ。教科書の力だけでは指定の長さにはとうてい辿りつかなかっただろう。
ハリーは溜め息まじりに呟いた。

「あーあ、ホグワーツの図書館に行ければいいのに」
「それができたら誰も苦労はしないよね」

ミユキは苦笑いしつつ同意した。本はなにかと値が張るものだ。苦学生がおいそれと大量に購入できるものではない。そのため、インターネットなるものが存在していない魔法界で調べものをするならば、図書館が一番なのである。

ハリーと会話しつつ、ちまちまと食べ進めていたアイスだったが、とうとう最後の一口となってしまった。ミユキは溶けかかった液体と一緒に掬って口に入れると、椅子から立ち上がった。

「ごちそうさま。そろそろ買い物に行ってくるね」
「あ……うん、じゃあまた」
「ハリーは夏休みを楽しんでね。――あっ、そうそう」

ここの店主さんは中世の魔女狩りについて詳しいから、手伝ってもらえばいいんじゃないかな?
こっそりとそう付け加えると、ミユキは驚くハリーに向かって「じゃあね」と手を振り、ダイアゴン横丁の雑踏のなかに紛れていった。

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