意地の悪い少女の話


『人生とは死への前奏曲である』
Liszt Ferenc ―― "Les préludes"より



第何百回目になるのか、わからないほどの歴史を誇るホグワーツ魔法魔術学校の入学式は、今年も例年のように新入生をいたく魅了させた。
あえていつもと違う点を述べるのであれば、あの『生き残った男の子』ハリー・ポッターが入学したことにより、多くの生徒を騒がせたことくらいだろう。それ以外の、在校生がホグワーツでの新学期初の料理の味に舌鼓を打ったことや、新入生がホグワーツのあらゆるものに関心を引かれることなどのことは、いつも通り見受けられる新学期の光景であった。

長時間にわたる列車の旅に疲れた生徒たち――特に新入生――は、眠い目を擦りながら各寮へと足を運ぶ。賑やかな談話室でくつろぐ上級生もいるが、多くの下級生たちはまだ慣れない寮生活に新たな発見を期待しながら寝室の暖かいベッドに潜り込むのだった。
そして、ダンブルドアが就寝の号令を出した一時間後には、ホグワーツはすっかり夜の静けさに包まれた。時折、見回りの教員が廊下に足音を響かせたり、廊下にある甲冑が揺れ動く以外はどこの場所もほの暗い闇が広がるばかりだ。肝の小さい者であれば、いまに幽霊が出るのではないかと怯えて震え上がってしまうだろう。――もちろん、このホグワーツには多くの幽霊(ゴースト)たちが在住しているので、怯えることははなはだ馬鹿馬鹿しい行為には違いないが。

その静かなホグワーツの静寂を、ひたひたと軽い足音で破る者がいた。廊下の淡い蝋燭に照らされるその小さな影は、制服の真新しさと身長からして恐らく新入生に違いない。しかし、迷いなく進むその足取りは、どうしてもホグワーツでの長い生活に慣れた、上級生のもののようにしか見えなかった。
不思議なその生徒は、数々の廊下を通り、階段を下り、とうとう地下室へと続く階段の前にまで辿りついた。明かりにほとんど照らされず、ただ闇色だけが広がるそこは、まるで怪物が口を開けて待ちかまえているようだった。
しかし生徒は躊躇うことなく、階段の一段一段をスカートを揺らしながら踏み締めて歩く。地下室特有のひやりとした寒さに生徒は一瞬震えたものの、羽織ったローブを前にかき集めただけで、そのまま立ち止まることなく歩き進める。

そして、ついに生徒はとある部屋の前にやってきた。木の扉の隙間からは暖かそうな光がかすかに漏れている。耳を澄ませば、なにかを煮込むような音が聞こえてきた。
生徒は、一瞬、扉を開けようと手を上げたが、すぐに下ろし、今度はそれを叩くために拳に変えた。

コンコン。

木製の扉に相応しい、乾いた音が廊下に響く。この部屋の主は、はたして鍋の音に掻き消されることなく、きちんとそれを聞き入れたようだ。しばらくもしないうちに、わずかな衣擦れの音と落ち着いた足音が近づき、ガチャリと扉の向こうの光が廊下に射し広がった。

「……こんな夜に、何用だ」

不機嫌さを隠すことなく、部屋の主の男性は幼い生徒を見下ろした。まず彼の目に飛び込んできたのは、金と赤のネクタイであった。それだけで、不機嫌そうな彼は眉の皺をさらに深める。生徒のネクタイを見る彼の表情には、減点するだけではなく、罰則もしてやりたいという心持ちがありありと見受けられた。
しかし、それは生徒の顔へと視線を向けた途端に、たちまち霧散してしまった。

「お前は――!」
「お久しぶり、セブルス。昔、いろいろとあなたに世話になった、ミユキ・サトリだよ」

にこりと笑う幼い生徒――ミユキ・サトリは、セブルスと呼ばれた男性に対して、さも慣れ親しんだ友であるかのように話しかけた。



「久しぶりだと? どういうことだ……。まさか、ミス・サトリの子女か?」
「ちがいますー。ミユキに子供はいないってことは知ってるでしょう? まるっきりの本人だよ、わたしは。なんならあなたとの楽しい学園生活の思い出でも語ろうか?
 えーっと、ジェームズに不意打ちで踵から吊されたり、呪文の事故でわたしの裸を見たり、幼なじみのリリーに片思いをしていたくせに――」
「わかったから、それ以上は言うな」

部屋の主の男性――セブルス・スネイプは険しい顔でミユキを睨むと、彼女の腕を掴んで部屋へと引き入れた。さらに扉の鍵を掛け、魔法で一言も声が漏れないようにする。
たかが一生徒になにを、と言われてしまいそうな対応だったが、彼女――ミユキに対しては、その対応はあって然るべきものだった。
なぜならば――

「お前は……十一年前に死んだはずだ」

机の前にある椅子に座りこみ、スネイプは唸るように言う。その斜め前の椅子に腰掛けて、成人男性から一心に鋭い視線を受けるミユキは、一年生にしては不釣り合いなほどに悟りきった様子で微笑んだ。

「そうだよ。わたし――ミユキは、十一年前のあの日に死んだ。それは、紛れもない事実だもの」
「では、なぜここにお前がいる」
「それはわたしも知りたいよ。……なにせ、本当にあのときわたしは死んだんだから。今でも、自分の鼓動が止まったときのことをありありと思い出せるんだよ。まあ、それでも強いて言うのならば……今のわたしは生まれ変わりってやつなのかな」
「生まれ変わり? ――ああ、輪廻転生か」
「そうそう。まったく、嫌な話だよね。わたしなんかよりも、もっと生まれ変わるべき価値のある魔法使いはごまんといるというのに……」

ミユキは自嘲するように口元を歪めて、スネイプの室内にある暖炉の火に目を向ける。ゆらゆらと陽炎のように揺れるそれは、まるで彼女の危うさを表しているようだった。
スネイプはそれを察してか、空咳をして、無理やり流れを変えようとした。

「このことは校長には話したのか?」
「えっ? ああ、もちろん。でも、ダンブルドアはあまり言い触らすべき話題ではないって言っていたよ。教員にも積極的に知らせることはしないように、だってさ。死から逃れようとしたあのヴォルデモートからすれば、輪廻転生なんて夢みたいな話だものね。万が一、彼が聞きつけてしまったら大変なことになっちゃうよ」
「では、なぜ私に話したのだ。言わずともお前ならば、私があれの配下だったことくらいは――」
「もちろん知っているよ」

ミユキはさらりと答える。
しかし、スネイプの顔にはどこか焦るようなものがあった。

「ならば、なおさら――」
「でもね、セブルス。校長が言っていたように、わたしもセブルスのことを信用しているんだよ。あなたがあのときにどれだけ後悔したかは、わたしからはまったく計り知れないものだけれど……きっと、絶対に忘れられないほどの痛みだったはずだから」
「……ミユキ」
「リリーという同じ友人を持つ者同士、あんなことはもうしないでしょう?」

ミユキは先ほどとは打って変わった、明るい笑みをスネイプに向けた。
スネイプはといえば、なぜか彼女の言葉を受けて、また不機嫌そうな表情に戻ってしまった。

「昔から思っていたが、お前は不思議な奴だな」
「それは言わない約束でお願いします……」

困ったようにミユキは眉を落として苦笑いをする。ミユキ自身、不思議だと言われる所以を自覚しているようだった。スネイプもそこまで追究する気はないのか、「考えておこう」という、なんとも頼りない返事で話題を打ち切った。

そのとき、タイミングを計ったかのように、スネイプの部屋に設置されている時計が十一時ちょうどの針を指した。ミユキはそれをちらりと見て、そろそろ寮に帰らなくてはと椅子から立ち上がった。

「わたしはまたグリフィンドールになってしまったけれど……また遊びに来てもいいかな」
「……ああ、好きにしろ」
「そう? ありがとう。――おやすみ、セブルス」

ミユキは少しだけまた微笑むと、寒い地下室の廊下へと姿を消した。
閉じられた扉の中で、スネイプがミユキの言葉をなぞるように「おやすみ」と呟いていたことなど夢にも思わずに。



寒く、ほの暗い校内をミユキはひとりきりで歩く。暖かい光を出す蝋燭の光は、逆に闇を引き立てる存在でしかない。光がほとんど照らされていない階段などは、手すりをしっかりと掴まなくては命がいくつあっても足りないほどだ。
ゴーストや教員に出くわさないように警戒しつつ、ミユキは先ほどの会話を反芻しては、困ったような、曖昧な微笑みを顔に浮かべていた。

――そう、たしかにミユキは不思議な少女だった。奇想天外。驚天動地。彼女の受けた境遇は、まさにそう呼ぶにふさわしい。

物語の始まりは、1971年――とある夏の、まだ闇に包まれていたロンドンからである。彼女は己がどのような未来を歩むかを露知らず、そこでぐっすりと眠っていた。どんなに仰々しい話になろうとも、物語の始まりはこの彼女の眠りからだ。
眠りから醒めた彼女は、まず混乱して辺りを見回すだろう。そして、ここが己の元いた世界と異なることをひしひしとその肌で感じるだろう。いつの間にか周りに流されて、とある魔法学校に通うようになるだろう。そこで喜怒哀楽を経験し、友人をそれなりに作り、彼女は強い誓いをその心に抱くようになるだろう。

――そして、結局、それは叶うことなく、呆気なく敗られてしまうのだろう。

彼女はさまざまな体験を待ち受けさせながらも、そのときはまだロンドンの地面の上で眠っていた。いっそ、ずっと寝ていたほうが彼女にとっては幸せなのかもしれない。
しかし、物語は始めなければならない。そして、それは終わらせなければならない。

彼女の物語はとうの昔に終わった。
だが、その幕引きは訪れなかった。

だから、これは終わってしまった物語の幕引きを求める、意地の悪い少女の話なのである。
それ以上でも、それ以下でもない、ただのエンドロールを探す物語なのである。

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