真夜中の望み


ミユキ・サトリに対する周りの人々の第一印象は、「覇気がない」「今にも消えてしまいそう」などと、ろくなものがなかった。しかし、本人がそれを気にする様子はまったくなかった。あるいは、気にかけるほどの気力が彼女にはなかったのかもしれない。

グリフィンドール寮に属している彼女は、どちらかと言えば影の薄い存在だった。授業内で加点するわけでもなければ、減点するわけでもない。知り合いは広く浅く、誰もが何となく顔は覚えているが、名前まではなかなか意識できない――たとえるならば、彼女は幽霊のような少女だった。
すべての授業が人並みで――妖精の呪文だけは少し得意だった様子だが――容姿もなにもかもが人並みであれば、そのように捉えてしまうのは仕方のないことなのかもしれない。現に、ハリーは彼女と初めて会話をしたとき、名前が出てこなくて随分と焦った。しかし、あのハーマイオニーですら少し悩んでから彼女の名を出したのだから、陰でほっと安堵したのを覚えている。ロンにいたっては、同じ寮にいることすら忘れているようだった。

ハリーが入学して早半年。多くの不思議で面白いこと、はたまた苦しくて大変なことに囲まれて、彼女のような生徒の存在をなかなか気にかけなかった。ミユキについては、あの落し物を渡してくれたとき以来、何となく印象的で覚えていたのだが――それでも、寮やクラスでの付き合いは皆無に等しいものだった。



生まれてはじめて貰ったクリスマスプレゼントのなかでも、銀色の布、もとい透明マントはハリーの心を強く引き付けた。それと同時に、夜中に寮を抜け出した先にあった、不思議な鏡にも惹かれていた。
クリスマスから三日目の夜。ハリーは前日と同じように、ひっそりと鏡のある部屋に入ろうとした。――しかし、扉を開けた瞬間、驚きから硬直してしまった。

なんと、そこには先客がいたのである。

黒い髪に黒い瞳。ローブを羽織ると言うよりかは、羽織られていると表現したほうが妥当かもしれない小柄な体形。夜のホグワーツが寒いのか、時おり吐く息は淡い白さを帯びている。
没個性的な容姿にも関わらず、ハリーが見覚えがあると思えたのは、彼女が日本出身だったからだろう。アジアンは、ホグワーツにはなかなか在籍していないのである。

――ミユキ・サトリだ。ハリーは思った。
でも、何故ここにいるんだろう?

するとハリーの思考を読んだかのように、一心に鏡を見ていたはずのミユキが、唐突に振り向いた。

「こっちにおいで、ハリー。少し話をしようよ」

こちらに視線を向けながら微笑むミユキは、まさに透明マントの中にいるハリーを見透かしているように、真っすぐとハリーの目を射抜いていた。



Erised stra ehru oyt ube cafru oyt on wohsi.

不思議な言葉が上部に刻まれているこの鏡は、平凡らしからぬ彼女にとっても魅力的なものらしい。ハリーはそれを知って親近感を抱いた。

「ハリーは、この鏡をどう思う?」

ミユキはいたずらに口角をあげて、まるで明日の天気でも尋ねるように問うてきた。

「えっと……過去や未来が見れる、不思議な鏡かな。友だちは未来が見れたけど、僕には過去の――僕の両親が見えるよ」
「そっか」

透明マントを抱えるようして、ハリーはミユキと共に鏡の前で座り込んだ。ハリーが鏡に視線を向けると、やはり両親や親戚たちは笑顔でこちらを見つめ返してきてくれた。
自然な流れとして湧いた興味から、ハリーはミユキに質問を返した。

「ミユキは、鏡になにが見えるの?」
「わたし?」
「うん」
「わたしは……どうだろうなぁ。目を背けたくなるような、輝かしくも儚い、つらい思い出かな」
「それってどういう意味?」
「うーん、まだまだハリーには秘密かな。もし、とてつもなくわたしに訊きたいことができたら、そのときに一緒に答えるよ」

言動から判断すれば、ミユキはハリーと同じ一年生にはとうてい見えなかった。しかし彼女のその顔には、一年生らしい無邪気な笑みが浮かんでいた。
ハリーは、ミユキに対して質問をしたくなるような日なんて、一生来ないような気がした。ゆえに、これは回答を拒絶されたのかもしれないと、心のどこかで感じた。それでも彼女にここで強く追求できなかったのは、これが深く立ち入るものではないと分かってしまったからだ。
頷いたハリーを見て、ミユキはぼんやりと遠くに視線を向けながら、呟くように言う。

「望みを抱くこと自体はなにも悪くないんだよね。ただ、それに意欲を吸い取られるのはダメなだけでさ」
「ミユキの話って、なんだかよくわかんないや」
「あはは、正直だねハリーは。でも、それはいいことだよ」

ミユキは立ち上がると、ローブに付いた埃を取るために叩いた。
彼女の息は、やはりまだ淡い白だ。

「おやすみハリー。いい夢を」

手を軽く振って、ミユキは扉の向こうへと消えてしまった。二回目となる彼女との会話は、ハリーにとってはかなり印象的なものとなった。
授業や寮では大人しいだけで、本当はハーマイオニーと同じくらい頭がいいのかもしれない。明日からはちゃんと彼女に注目しようと、ハリーは強く心に決めた。
だから、その後に現れたダンブルドアに対してなんとなしに彼女の質問をしたことは、もしかすると偶然でもなんでもなかったことなのかもしれない。

「あの、校長先生。ミユキは鏡には輝かしくも儚い、つらい思い出が見えると言ってたんですが……それって、どういう意味だと思いますか?」
「ふうむ。それはハリー自身が彼女と対話を重ねて、ゆっくりと知りゆくものなのじゃな。決して、わしから言えるものではない。ミス・サトリは健気で義理堅いが、それゆえにあまりにも秘密主義すぎるのでの」

勝手にぺらぺらと話したら、わしが怒られてしまうわい、とダンブルドアは愉快そうに告げた。
ダンブルドアと彼女は秘密を話し合えるほどに親しい仲だったのかと、ハリーは内心驚いた。

「ミユキとは知り合いなんですか?」
「もちろん、わしの生徒という意味で言えば、君とも知り合いじゃよ、ハリー。彼女もまた、可愛いホグワーツ生には違いないのじゃから」

なんだか、はぐらかされてしまったような気がする。
ミユキからもダンブルドアからも曖昧に答えられたハリーは、好奇心からさらに質問を重ねようとした。しかし、思い出したかのように急に襲ってきた眠気によって、深く考えることを面倒に思ってしまった。十一歳の子供が毎晩のように夜更かしをするには、少しばかり疲れていたのだ。

「――おやすみ、ハリー」

微笑むダンブルドアのそれは、ミユキにそっくりだとハリーは感じた。はたまた、叔母のペチュニアがダドリーに向けるものと似ているようにも見える。

――つまるところ、それは大人が庇護すべき子どもに対して見せる笑顔だった。

幼く、眠気に包まれているハリーは、まったくそのことを意識することなく帰路へと着いた。
そして翌朝、ベッドで目覚めたハリーは、昨日抱いた疑問についても、笑顔についてもはっきりと思い出すことはできなかった。あの夜の出来事は、朝霧と共に霧散してしまったようだった。



I show not your face but your hearts desire.
(私はあなたの顔ではなく、あなたの心の望みを映します)

「ジェームズ」

ミユキはぽつりと呟いた。
彼女の前にある鏡には、いまよりも少し成長した彼女と、それを囲むようにして楽しげに笑う学生たちの姿が映っていた。

「ごめんなさい」

彼女の声は、鏡の向こうの彼らには決して届かない。そうとわかっていても、彼女は謝罪せずにはいられなかった。
夜のホグワーツは凍てつくように寒い。
ミユキはそれに震えながらも、いっそ寒さで死んでしまいたいような心持ちになっていた。届かない謝罪を届くようにするには、それしか手がないことをミユキは明瞭に理解していた。
ただし、あの死の秘宝を使用すれば、それはまた別の話となるのだが――生憎、彼女には例の指輪に掛けられた強い魔術を解除できるほどの魔力もなければ、力を補えるほどの技量もなかった。

「ごめんなさい」

幾度となく謝罪しようとも、鏡の前の少年少女はまさにいま輝かんばかりに笑顔を浮かべながら躍動していた。

みぞの鏡。
人の望みを映し出す鏡。

しかし彼女の心の底からの望みは、そうであるにも関わらず、彼女にとっては苦痛に違いないものだった。どうしても、彼女はそこから喜びを見出だすことができなかった。
ミユキが鏡に酔いしれることは、恐らく、これから一生ないのだろう。昔の彼女ならばいざしらず、見るたびに鋭く突き刺さる痛みを心に与えるこの鏡を、どうして好きになることができようか。

ジェームズと呼ばれた青年は、鏡のなかでミユキを抱きしめていた。
とても、とても幸せに満ち溢れている抱擁だった。

ただそれだけの“のぞみ”だった。

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