空を翔けるひと


ハリーにはクィディッチの才能がある。

それを私はここにやってくる前から知っていたというのに。
初めて目前で箒を操るハリーを目にして、改めてしみじみと思った。

ハリーは、ジェームズと同じように、空を翔ける才能があるのだ。



まだ朝霧がけぶる早朝某日。涼しい空気を吸い込みながら、ミユキは箒を片手に、ジェームズに手を引かれていた。ジェームズはただ愉快そうにミユキの手を掴み、もうひとつの手で自分の箒を持っていた。
彼は露に濡れた芝生を踏みながら、迷いなく歩きすすんでいた。まだ幼い身体のミユキは、その強い力にたいして抵抗できず、目的地も知らずにジェームズに付き従っていた。

しばらくして、ようやくジェームズが足を止めたのは、クィディッチ場にほど近い校庭の端だった。ぼんやり広がる霧のなかで、成長しきった芝が一面に広がっている。踏まれた様子もないそれらは、生徒がここに寄り付かないことを確かに示していた。

「ほら、着いたよ!」
「ここで飛ぶの?」
「飛ぶ場所なんてどこもたいした差はないよ。空はみんな一緒なんだからさ」

ジェームズは快活に笑いながら言う。
昨日の夜、飛行術が見事なまでに不得意なミユキは、それを見兼ねたらしいジェームズにとうとう練習の要求をされてしまった。集合時間を早朝に指定されてしまったことは少し面倒だったが、それでも親世代の彼と交流できるならいいかとミユキはのんきに考えていた。
授業で習ったように箒の柄を掴む。少しざらついた木の感触がミユキの手を刺激する。学校の箒だから、あまり新しいものではないのだろう。ささくれが刺さる可能性をすこしだけ不安に思った。
いざ、飛ぶとなると、掴み方はきちんと学んだはずだというのに、箒が浮かんだ途端にミユキは動揺して情けない声を上げた。

「うわっ、わっ」
「本当に危なっかしいなぁ」
「ちょっとこれ、どうすれば……わっ」

芝生から数メートル上をふらふらと飛んだかと思うと、ミユキはバランスを崩して地面に落ちた。
芝生と朝露でローブが汚れる。露の冷たい感触が制服に染みていくことを感じたミユキは、気軽な気持ちでジェームズの提案に乗ったことを後悔した。

「もっと落ちついて飛べばいいんだよ」

ジェームズは笑いをこらえきれないふうにしながらアドバイスを投げかける。

「だって……」

生まれてこの方、空なんて飛んだことがないのだから、緊張してパニックに陥ってしまうのは仕方のないことではないか。ミユキは不満げにジェームズを見た。
バランス力があり、柔軟性もある幼い頃から飛行していれば、恐れを知らないゆえに躊躇いもなく箒を乗りこなせるのだろう。しかしミユキはそうではない。彼女は十一の子供のように冒険することはできない、堅実的に現実を見つめる大人になりかけていた。決して一年生のような精神性を持ち得ないミユキは、純粋に飛行を楽しむことなんてできるはずがなかった。
そんなミユキの苦悩なんて露知らず、ジェームズは箒に跨がってあっけらかんと言う。

「じゃあ、僕が空を飛ぶからさ、まずそれを見ててよ」
「うん」

ジェームズは地面を軽く蹴り、軽々と空に身を投じた。
こちらが心配する必要もないほどに、見事に箒を捌き、まるで箒が存在しないかのようにくるりくるりと宙を舞う。
ローブを羽のように翻らせては、笑顔でこちらを見る。ジェームズがふざけて宙返りをするたびに、光に反射した眼鏡がキラリと瞬いた。青い空で光るそれは、まるで不規則に現れては消えるスニッチのようである。

「きれい……」

ぼつりと呟いた言葉は半ば無意識からきたものだった。

「ミユキー! わかったかい?」

ジェームズは無邪気に空中から手を振る。不安定な体勢も、ジェームズにとってはさしたる問題ではないのだろう。さすがは将来のクィディッチ選手である。
ミユキは彼の笑顔を見上げて破顔した。

「うん、ありがとう!」

そして十数秒後、ミユキはまた箒から落ちた。



たぶんあの時、わたしは恋にも落ちた。
どこまでも澄んだ青い空。爽やかな朝日。朝露に濡れてきらめく芝生。そしてその間の世界で自由に飛び回るジェームズ。
それはとても、とても綺麗な光景だったから。
決して報われない恋だと分かっていたはずなのに、わたしは彼に落ちてしまったのだ。

「……ハリー、がんばって」

初めての試合で緊張しているだろうに、ハリーは器用に箒を繰ってスニッチを追っていた。さきほど、クィレルから呪いを受けて箒から落ちかけたというのに、まったくそんなそぶりを見せず、ひたむきにスニッチへと迫っている。
わんわんと響く歓声や野次のなか、風を受けて深紅のユニフォームが翼のようにはためく。否が応でもその姿は、はっきりとジェームズを思い出させた。

――どうして、彼はスニッチを追っているんだろう。

試合開始の直後、一瞬そう考えてしまったことを忘れるように、わたしはただ一心にハリーを応援していた。

――結果なんて、とうの昔から知っているというのに。

そんな意地の悪い声は聞こえないふり。

あと数十インチ。
あと数インチ。
ハリーはスニッチへと手をのばす。誰もが彼の一挙一足に注視している。まだ幼い指先がそれに触れるか否かという瞬間、ハリーはバランスを崩して地面に落ちた。観客たちがざわめいて見守るなか、ハリーは数度、咳きこんだかと思うと、手の平の上に金色の丸い球を吐きだした。
静けさが会場内を支配する、かと思った瞬間、歓声でグリフィンドールの観客席は揺らいだ。
グリフィンドールがスニッチを取った!
オリバーやウィーズリーの双子に肩を叩かれ、恥ずかしそうに笑うハリーの顔は、ただただ純粋な喜びに溢れていた。
まるで、空を飛ぶことが純粋に楽しいのだと告げた、あの日の彼のような笑顔だった。

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