萌芽/08


結果的にクレプスリーの生家は見つからなかった。あてもなくうろうろとした唯一の成果は、警察官からの「君は迷子なのかい?」という声かけだった。即座に否定したが、あやうく交番に引きずられるところだった。私を引きとりにクレプスリーを遣わせるなど、あとでどんなことが起こるやら……考えたくもない。

また明日も外をうろついてみよう。そう思いながら、ふと、ご飯を食べる顔を上げると、目の前に真っ青な顔をしたクレプスリーが座っていてぎょっとした。

「……人間の血、飲んでないの?」
「ああ」
「飲まなかったらまずくない?」
「そうだな」

完全に上の空で私の作ったスクランブルエッグを食べている。今日の夕食はロールパンをよっつ、みずみずしいレタス、いくつかのかりかりに焼いたベーコンとソーセージ、そしてスクランブルエッグだ。私にとっては軽すぎる夕食だったが、クレプスリーにとってはちょうどよい朝食だろう。

私はじっとクレプスリーを見つめた。むこうは私の視線などまったく意に介していない。クレプスリーはバンパイアなのだから、私よりも血を飲まなくてはならないはずである。しかし、顔色から察するに、マーロックを追うことに夢中になって、自分の飢えを忘れているのではないか。
おそらくは、弟分の仇を代わりに打つ気持ちもあるからそんなに集中できるのだろう。そう結論づけて、私はベーコンをフォークで畳みながら刺した。

口に入れると、さっくりとした食感と共に塩辛い味が広がる。白いご飯が恋しくなるが、あいにく英国に米はない。あったとしても炊飯器がないのだから意味がない。代わりにスクランブルエッグを食べた。やや半熟で柔らかいこれは、私の母親(前世)から教わったものだ。
気分の落差が激しく、なかなか家事をしない母だったが、落ちついているときは実に理想的な主婦だった。現に、母親ほどおいしい家庭料理を作れる人を私は見たことがない。下手な外食よりも母の料理はおいしかった。料理に関しては、一生かなわない人だと思っている。

スクランブルエッグの表面はさっと火が通してあり、二つに折られた中は余熱で柔らかく固まっている。フォークで掬いやすく、口に入れるとなめらかな黄色がふわりと溶け出る。胡椒と塩がすこし効いていて、卵の甘さを殺さずに調和している。
白いご飯の代わりにはならないが、我ながら、このスクランブルエッグは美味しいと思った。母にも負けていないかもしれない。

するとそのとき、クレプスリーが思いだしたように顔を上げた。まさか私の料理に関することだろうか。

「ダレンこそ、血を飲んどるのか?」
「……まあ」

料理の感想ではなかった。私はすこし落胆した。
そんな気持ちなど知るよしもなく、クレプスリーは眉をひそめてこちらを見つめた。

「嘘をつくでない。ちゃんと今夜中に飲んでおくのだぞ」
「はいはい。でも、クレプスリーに言われたくないよ」

いつものように、反射的に憎まれ口を叩く。そろそろ脊髄反射の域に達しつつあるような気がした。

クレプスリーは疑わしげな目を向けてくるが、私だって血不足で倒れたくはない。今日の深夜に、ホテルの客あたりから適当に頂く予定だ。
……クレプスリーから言われなかったら、明後日になっていただろうが。そこらへんは誤差の範囲内である。

ほとんど会話もないまま、ささやかな食事は終わった。マントを翻しながら部屋を出るクレプスリーを見て、彼は自分の料理を満足して食べているのだろうかとふと思った。同時に、そう考えた自分に対して驚いた。

私はクレプスリーから美味しいと言われることを、そんなに楽しみにしていたのだろうか。
振り返ると、クレプスリーの皿の上にはなにも残っていなかった。卵のひとかけらすら。もしかして、と淡い期待がふくりと芽を出す。しかし、すぐにクレプスリーの生い立ちを思いだして、成長しようとするその芽を潰した。
思い上がったところでろくなことがないのだ。今までの経験から、私はそれをよく知っている。期待したからといって、必ずしも同じくらい返ってくるわけではない。むしろ、悲しい思いをするほうが多いし、期待をしたぶんだけ辛くなる。だったら、最初からなにも期待しないほうがいい。

私は皿を集めて流しに置いた。洗うのはもうすこし、時間が経ってからにしよう。いまはなにかに集中できる気分ではなかった。


prev top next

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -