背面/02


今、私たちはとある町のホテルに泊まっていた。時刻は日が傾きだしたばかりの夕方。もちろん、バンパイアであるクレプスリーは就寝中だ。野宿をするなんて、普通の現代に生まれ育った私には耐えられなかったため、数週間にわたって不平不満を言い続けていたら、クレプスリーはしぶしぶ折れて、ホテルに泊まるようになった。
バッグからノートと筆記用具を取り出して、一番上のページをめくる。そこには、ここらの国では見かけない文字が所狭しと書き連ねてあった。
なんとなしに、私はシャーペンをカチカチと指で押しながら、冒頭の文を読みはじめる。

「“……ぼくは昔からずっと、クモが好きで好きでたまらなかった――”」

私の日課は、原作の小説を書くことだ。自分の日記を付けることも平行して行っているのだが、メインはあくまでもこちらである。
私は、ミスター・タイニーの陰謀をすべて知っている。私がタイニーの子であることも、バンパイアとバンパニーズをけしかけて戦争を起こそうとしていることも、闇の帝王を出現させようとしていることも、すべてだ。
そして、タイニーの娘であるエバンナが言うように、タイニーが文学に興味を抱いていないのであれば、いま私が書いてしまっても問題はないのではないか――。そう考えたのはつい先月のこと。
それから私はこうして暇を見ては、かの小説を必死に思い出しながら物語を綴っている。

「“――これから話すことはひとつ残らず、本当に起きたことだと信じてほしい……”」

見ればわかるように、私は万が一のために、この話を日本語で書いていた。英語で綴っていたら、クレプスリーは文字自体が読めないからともかく、なにかの拍子に落としてしまったときに大変なことになるからだ。いずれは出版社に持ちこむ予定だが、いまはまだ時期尚早というもの。ある程度、完成してからの作業である。
最初の数行を読み終えた私は、指を繰って一番新しいページを開く。そこには原作のスティーブ・レナードが、クレプスリーに対して復讐を叫ぶシーンが書かれていた。

「“復讐、か……”」
「――おい、さっきから、何をぶつぶつと言っておるのだ」
「あれ、今日は起きるのが早いね」

まだ、日が落ちてから数分も経っていない。声のする方に目を向けると、私に指摘を受けた男は、眠たげに欠伸をした。

「お前がよくわからん言葉を、わあわあと喚き立てておったからな。気が散って起きてしまったわい」
「ふーん、そりゃあ悪うござんしたね。あれは日本語っていう、れっきとした言語ですよ」
「日本語――、……日本?」

私が言った言葉を聞いて、何故だかクレプスリーは引き気味な様子になった。
まさか、こんなに日本から遠く離れたヨーロッパで、自分の故郷を知る者がいるとは思いもよらなかったため、私は興奮して身を乗りだしながらクレプスリーに迫った。

「えっ、日本のことを知っているの?」
「ああ。古い友人が日本のファンでな……。とてつもなくつまらない切り口で日本の歴史について語っておったから、いい印象はあまりないが」
「ええー、もったいない。日本の歴史って、つまらなく話しようがないはずなのに」

思い出した。クレプスリーが聞いたのは、バンチャ元帥の話だろう。確かに、手裏剣の歴史を中心に語られていたら、真面目な人間といえども退屈だと感じてしまうわけだ。

「ダレンこそ、なぜ知っている? 言語すら話せるとは、ただの興味だけではあるまい」
「うん。以前、その国に住んでいたことがあるからさ。けっこう愛着があるんだ。ある意味で、僕の故郷はあっちなのかもしれないな」
「ほう、ではお前の口からなら、まだまともな話が聞けるかもしれんな」
「僕の気が向いたらね」

この話は終わりだと言う代わりに、ノートを閉じる。クレプスリーの起床が予想よりも早かったため、夕飯――クレプスリーにとっての朝食だ――を作りに行った。
ホテルに泊まりたいと言い出したのは私なので、一応、ご飯は火を使ったまともなものを出している。
私の料理のレパートリーや腕は人並みだ。しかし、日本食ばかりに偏っているのはさすがにまずいので、クレプスリーに隠れて料理のレシピ本を購入していた。……べつに、クレプスリーに美味しい料理を食べさせたいだとか、そんな恐ろしい考えがあるわけではない。ただ、せっかく西洋に生まれたのならば、少しくらい本場の料理をちゃんと作ってみたいと思っただけなのだ。なにしろ、あの家にいたころはろくに炊事場に近寄れなかったのだから。

ソーセージと卵を焼きながら、ぼんやりと昨日のことを思い出す。
昨日の夜はボーイスカウトの男性を襲った。それはつまり、ダレン・シャンの第二巻――若きバンパイア――の導入部分なのではないか。よくよく考えてみれば、私が血を飲まなくなって早二ヶ月。自分でいうのもなんだが、鏡に映る顔は真っ青で、かなり不気味だ。このままでは、なんだかんだとクレプスリーにいちゃもんをつけられて、シルク・ド・フリークに直行し、サム・グレストの血を飲み干す結末に至ってしまう。

「……うん、やめておこう」

ひとまず、二ヶ月に及ぶ反抗はここまでにしておこう。明日からはまた反抗の日々に戻るが、今日だけはなんとか人間の血を飲まなくてはならない。
血を飲むのは嫌だったが、自爆してクレプスリーに復讐できないのはもっと嫌だ。我ながら子どもじみた考えだと思うが、こればかりは譲れなかった。

皿を用意してダイニングルームに戻ると、クレプスリーはお腹をさすりながらソファーにもたれ掛かっていた。

「ううっ、腹が減って死にそうだ。まだ早いが、出かけるとするか。……あのボーイスカウトの血をもっと吸っておくのだった。誰か他の人間を見つけんと」
「ほら、言わんこっちゃない」

昨日、忠告したはずなのに。血を飲もうともしない手下が口出しをするなと叱られたのだ。
クレプスリーは片方の眉を吊り上げて、私を見た。

「どうだ、今度は一緒に飲まんか」
「うん、そうだね」

でも、少ししか飲みませんけどね。心の中でそう付け加えながら、私は自分用に取り分けたソーセージに噛りついた。


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