Lymph/14


真夜中に、エレンは必要なものを全てまとめて、鞄に詰めこみ、二階の窓から迷いなく飛び降りた。その左手には、自分の妹を刺した蜘蛛を入れたカゴが握られている。
重力に逆うことなく、地面にぐんぐん近づく。ついに衝突するかと思われたそのとき、エレンの足が地面に着く直前に、誰かの手がぬっと現れ、エレンの身体を抱き留めた。

「……セーフ」

ぽつりとエレンが呟く。同時に、彼女の身体は地面に無造作に落とされた。

「お前は自殺願望者か」

自分を助けた者のほうに、エレンは無表情で目を向ける。そこに立つ男――不自然なオレンジ色の髪。口まで伸びる大きな頬の傷。青白い肌で、真っ赤なマントを羽織っている――ラーテン・クレプスリーは、彼女の様子を気にすることなく、ふんと鼻を鳴らした。

「違うよ。ただ、最近うまく行かないことが多くて、むしゃくしゃしたから飛び降りてみただけ」
「ほう、それを世の人間は自殺と呼ぶのだがな」

闇の生き物であるバンパイアが世の中の人間について子どもに教えるとは、なかなかシュールな光景だった。

「まあ、でも、手を差し延べてくれたのはありがとう。ついでにちょっと、そちらにお願い事があるんだけど」
「おお、奇遇だな。ちょうど我が輩もお前に用があったのだ」

白々しくクレプスリーは口角を上げながら言う。普通は微笑めば多少は雰囲気が和らぐものなのに、クレプスリーのその笑みは恐ろしさを増させただけだった。
エレンは立ち上がって服に付いた泥を払うと、蜘蛛が入っているカゴをクレプスリーに突き付けた。

「私の妹がこいつに刺されたんだ。意識がもう丸一日ない」
「ほう、それは大変だな。盗んだわけでもないのに被害に遭うとは、いやはや哀れなことだ」
「……ねぇ、血清とかなんか、持っているんでしょ?」
「ああ、そうかもしれん。マダム・オクタの毒は命に関わるが、毒には必ず解毒剤があるものよ。その薬を、我が輩が持っとるかもしれん。身体の機能を回復させる血清を、一瓶くらい持っておらんともかぎらんぞ」
「じゃあ! それ、私に――」
「しかし、小さな小さな瓶かもしれぬぞ。血清とて、ほんのわずか。かけがえのない貴重な薬だ。万が一に備えて、取っておいたほうがよいのではないか。たとえば、この我が輩がマダムに刺された場合などな。貴様の妹に使うなど、もったいないではないか」
「〜〜っ、金でもなんでも払うから!」
「なんでも?」
「私の命と人生以外ならなんでも!」
「ほう、そうか」

人を食ったような態度をするクレプスリーを、エレンは半ば睨むように見つめる。

「この二週間、我が輩は小汚い穴蔵に篭っていた」
「はぁ?」
「スティーブという小僧に蜘蛛を盗まれたとき、ふいに思いついてな。手下を持つのも悪くはないのではないか、と。
 シルク・ド・フリークを離れたいま、我が輩はたったひとりでやっていかねばならん。ならば、我が輩には旅の相棒が必要であろう? そう、身の回りの世話を一切合切やってもらう相棒がな」
「……つまり、対価としてバンパイアの手下になれってこと? それが私への用なの?」

エレンが溜め息混じりに言う。すると、クレプスリーはぞっとするような顔でにたりと笑った――。


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