額と頬/16


血を流しこまれることは、予想以上に痛かった。叫びはしなかったが、やはり痛い。私が唸ると、クレプスリーから「それくらいの痛みは我慢せんか」と言われてしまった。もちろん、むかついたので反抗的に睨みつけてやった。
元々、転生する前の、幼い頃の私は反抗的な性格だった。成長してからだんだん諦観していって無気力な気質になったのだが、それはそれだ。こんなにも憎らしい相手に対して無気力になれるわけがない。

「……これでもう、バンパイアになったんだよね」
「正確には半バンパイアだがな。よし、それでは貴様の妹とやらを治しに行こうではないか」

いつまでもマダム・オクタのカゴを私が持ちながら移動する。私が蜘蛛を苦手なことをわかっていて、わざと押し付けているのではないかと恨みたくなった。
ちなみに、人生初体験のフリットはなかなか興味深かった。これでクレプスリーが憎しむべき相手でなかったら、感嘆の声のひとつやふたつは上げられたのだろう。
たった五分で病院についた私たちは、人気がまったくない入口付近の壁で立ち尽くしていた。夜中のくせに新月だから、明かりがなくて真っ暗だ。

「摩訶不思議な現象だよね、これ。理屈ってあるの?」
「スピードは相対的なものだからな。それはともかく、部屋はどこだ?」
「たしか五○二号室だったよ。ほら、あの蔦が絡まっている窓の部屋」

そうか、と呟いたクレプスリーは、上を見て、窓を数えて部屋を確認していた。そして今度は私を背中に背負わせて、壁のレンガに爪を食いこませながらよじ登り始めた。前々から思っていたが、爪が武器とはかっこいいようで原始的だ。

「爪、痛くないの?」
「ああ、バンパイアは丈夫にできておるからな。特に、爪は時には武器にもなるほど丈夫な代物だ。それに、万が一ここから滑り落ちても、両足で着地することができれば無事で済むぞ」
「ふうん」

将来、もし私が原作通りに話を進めれば、クレプスリーは建物の六階から飛び降りて足を痛めるはずなのだが。言う必要性がなかったので黙っておいた。
すいすいと壁をよじ登り、無事に私たちは窓際にたどりついた。しかし予想通り、窓には鍵がかかっていた。すると静電気を使って、クレプスリーは簡単に鍵を開けてしまう。指を鳴らして開けるから、トリックを知らない人が見たら「これこそ魔法だ」と驚くだろう。

「ふうむ。間一髪で間に合ったと言うべきかな」
「えっ?」
「この少女はまだ身体が小さいからな。毒の巡りが早いのだよ。あと数時間、貴様がぐずぐずしておったら命はなかっただろうな」
「そうなんだ……」

原作よりも早く訪れたはずだったのに、ぎりぎりだったとは。私が無意味に半バンパイアになって、アニーが埋葬される光景を想像して寒気が走った。

「じゃあ、早くしてよ。バンパイアになったことが無駄足だったら、本当に呪ってやるんだから」
「ああ、そうだな」

クレプスリーは血清を取り出すと、アニーの首筋に傷を作り――なぜか唾が出たが、無視をした――口で血清を体内へと流しこんだ。幼い少女の首筋に口を付ける姿だけを見れば、野蛮なバンパイアが血を吸っているように見えなくもない。もちろん、いまは逆に少女を救っている最中なのだが。

「…………」

一秒、二秒。数秒数秒が永遠のように長く感じられる。血清は効いたのだろうか――。
不安になりかけたそのとき、硬直していたアニーの身体が動き、筋肉が弛緩しだした。
しばらく顔をしかめたかと思うと、突然目を開き、私のほうをじっと見つめる。安堵から声をかけようとしたが、アニーはふっと意識を失って、また先ほどのように目を閉じた。

「……本当に大丈夫なんだよね?」
「ああ。こうして夜中に何度も意識を浮上させたり、失ったりを繰り返すのだ。しかし、朝にはすっかり治って、午後にはお腹が空いたと言い出すだろうよ」
「ならいいけど」

私は安らかに眠り続ける、血の繋がらない妹を見つめた。前世の記憶があり、ミスター・タイニーの子どもだとしても、私にとって、妹と思えるのは彼女くらいだろう。きっとこの先、私は何度もアニーの笑顔に癒されたことを思い出すはずだ。

「……さようなら、アニー」

彼女の額にかかる髪を退けてキスをし、頬を撫でる。欲を言えば、もう少し眺めていたかったが、クレプスリーが背後からプレッシャーをかけていたためにしぶしぶ諦めた。運が良ければ――または私が原作通りに動いたならば――成長したアニーにまた会うことができるだろう。でも、その時まではお別れだ。
私は振り返ると、マダムのカゴを持っていないほうの手をクレプスリーへと差し出した。

「それじゃあ、行こうか」


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