Egg/08


そのとき、エレンはバルコニーにはいなかった。
しかし、スティーブがミスター・クレプスリーと一緒にいる姿をはっきりと目にしていた。
なぜならば――エレンはスティーブと共にステージの上に立っていたからである。

「オレをバンパイアにしてくれ!」

ふざけるな、とエレンは言いたかった。それが無理ならば、できることならこの手を振りきって何事もなかったかのように逃げ去りたかった。
しかし、全てがもう遅い。割れてしまった卵がもう二度と元に戻らないように、過ぎてしまった時を遡る術はどこにもない。

こうなってしまった経緯は単純だ。公演が終わり、観客たちが口癖に感想を言い合うなかで、スティーブが廊下にある暗幕に隠れたのである。――そう、エレンも道連れにして。
それだけならまだ、スティーブを置いて逃げるなりなんなりをして取り返しがつけた。しかし、いったいなにを考えたのか、スティーブはエレンの手をがっしりと掴み、ステージまで一緒に連れていったのだ。

「オレ、バンパイアになりたいんだ。オレをバンパイアにして、バンパイアのことを教えてくれよ!」
「そんなことなどできん! 子どもは厄介で面倒なだけだ。第一、我が輩がバンパイア将軍に殺される」
「えっ、バンパイア将軍?」
「ええい、うるさい。とにかく、駄目なものは駄目だ! ……まさか、お前もバンパイアになりたいと言いに来たのではないだろうな?」

じろりとクレプスリーはエレンを睨んだ。まさかここで相手にされると思っていなかったエレンは、少し驚いたように目を開いた。

「え、いや、勝手に引っ張られて拉致されただけで――」
「こいつはこの町で魔女だって呼ばれているんだ。もしバンパイアになるのに生贄がいるなら、こいつをくれてやる!」
「はぁ……?」

スティーブの言い分は支離滅裂だ。それはクレプスリーも同様だったのか、怪訝そうな顔をしていた。
おおかた、魔力を持つものを贄とすれば交渉が成立するはずだという適当な思いつきから来たのだろう。しかし生憎、エレンに魔力なんてものはないし、そもそも、バンパイアになることに生贄など必要ない。

「ねぇ、スティーブ。なんでバンパイアに生贄が必要なのさ?」
「うるさい! お前は黙ってろ! ……なぁ、お願いだ。バンパイアにさせてくれよ。いますぐになんて言わないからさ」
「……貴様、なぜそんなにバンパイアになりたいのだ? 面白くもなんともないぞ。夜にしか外に出られん。人間には蔑まれる。こんなおんぼろの、汚い場所で寝なければならん。結婚はできんし、子どもを作ったり、どこかに落ち着くこともできん。いやはや、惨めなものだぞ」
「そんなの、ぜんぜん構わない」

クレプスリーの恐ろしさに気圧されることなく、スティーブは強気にそう言いきった。

「永遠に生きたいからか? それなら教えやろう。バンパイアといえども、人間よりかはずっと長生きするが、いずれは死ぬのだ」
「だから構わないんだって。オレ、あんたと一緒に行きたいんだ。いろいろ教えてほしい。バンパイアになりたいんだ」
「では友達はどうする? 二度と会えんぞ。学校も家も捨てればならん。しかも一生戻れない。父や母が恋しくならんのか?」
「親父はいないよ。会ったこともない。おふくろだって、オレを愛しちゃくれない。オレがなにをしようがどうでもいいんだ……。友達は……」

そこで、スティーブはエレンを握る手を強めた。

「寂しくなるけど別に大丈夫だ。それより、オレはバンパイアになりたいんだ。うんと言ってくれなきゃ警察に全部ばらすぞ。で、大人になったらバンパイアハンターになってやる!」
「……よくよく考えてのことなんだな?」
「うん」
「本当に、それでよいのだな?」
「うん」

スティーブの血を味見するために、クレプスリーはスティーブを近くにくるように呼んだ。その拍子に、ようやくエレンはスティーブの手から解放された。
血液がしばらく通わなかったために痺れる手首を揺らしながら、エレンは子どもの血を飲むクレプスリーの姿をぼんやりと見つめていた。


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