Angsthase | ナノ
そんなあの子にご用心


わいわい。ざわざわ。
擬音化するならば、そのような雰囲気のさわがしさが教室内に広がっていた。

「…………」

ナツメはその端のほうで、無言で席について、図書室から借りてきた小説を読んでいた。
騒がしさとは無縁な涼しげな表情で、ひたすら目の前にある文字列を目で追う。本の内容はこのさい関係なく、ただ文字の意味を把握するという一点のみに集中していた。
わぁわぁ。ざわざわ。

「……はぁ」

パタンと本を閉じる。
必死の努力もむなしく、ナツメはとうとうこの喧しさに白旗を上げた。
多くの学生が集う朝の学校は賑やかなものだ。それはこの中学校も例外ではない。つい最近までランドセルを背負っていた中学生になりたての子供たちは、許された自由な時間内で好き勝手に会話をして楽しんでいる。自由時間なのだ。大人でも気楽に話す者は多いだろう。子供ならばなおさら騒がしくすることは罪ではない。
ただ、ときおり聞こえてくる会話の内容に問題があった。

「――だから妖怪はいるんだよね! たとえば雪女! 諸説はあるが、基本的に旅人を惑わす存在だ。しかし必ずしも殺すわけではない妖怪でもある。……どうだい、魅力的だろう?」
「えっ、雪女!? ……あははー、いいよね雪女」
「えぇ、やっぱり魅力的ですよね! わた、――雪女って!」

なぜ他クラスの人間をここに入れているんだとか、あの女の子、“私”って言いかけたよね、だとか言いたいことは諸々あったが、それら全てを飲みこんでナツメは黙っていた。
先ほど確認した時計で、HR開始までまだゆうに十分以上はあることを確認していた。あと十分以上もこれに耐えなくてはならないのかと考えると、ナツメは読書をすることも億劫になるまでに憂鬱になった。

「(……まさか、こんなことになるなんて)」

元気のいい妖怪講義の声がまた聴こえてくる。
その話し手の容姿も、性格も、聞き手たちの秘密や何もかもをナツメは“すでに”知っていた。とくに聞き手のほうは情報として以上に、触れ合ったことすらある。

「(大きくなったなぁ……リクオ)」

ナツメが心中で呟くのは、かつて弟だった者の名前だ。名を呼ばれた当の本人は、教室の端に座る少女が自分を知っているとはつゆとも知らず、友人たちとわいわい楽しげに会話をしていた。
その中には、以前、世話になった少女の姿もある。
青色が映えるつややかな黒髪に、首に巻かれた特徴的なマフラー。自分が仕える人間から、片時も離れないように神経を配る小さな身体。どれもナツメの知識とは寸分違わず、彼女はそこにいた。

「(……それにしても、まさか、あの子たちと同じ学年になるなんて)」

本来ならば、ナツメは弟だったリクオよりも三つ年上なのだから、高校一年生としていなければならない。しかし、なんの因果か、ナツメはこうして彼らと同学年になってしまった。

ナツメは筆箱からシャープペンシルを取りだし、それを机の上に滑らせた。
昨日まで、またナツメは浮世絵町が存在しない世界に住んでいた。しかし、今朝確認すると浮世絵町という文字ははっきりと地図に印刷されていた。消された様子も、改変した様子もない。見まごうごとなく、それは確かに印刷物の中の字だった。

では、浮世絵町が存在しないあそこはパラレルワールドなのだろうか?
自分はいつの間にか空間転移をしてしまったのか?
しかもリクオと同学年になってしまうほど時間軸すら歪めて?
それに、あの雨の日の山吹の道は夢だったのか?
どうして死んだはずの自分が養護施設で生きていたのか?

疑問はきりがなく浮かんでは消えてゆく。ナツメが悩めば悩むほど、机上には統一性のないオカルトじみた単語が並んだ。ナツメは手を止めて、一通り挙げたそれらを眺めると、ためらいもなく安い消しゴムでその落書きをさっさと消した。

あの浮世絵町がなかった世界の時間が歪んでいるのか、間違った時間軸で世界が繋がってしまったのか。それをただの無力な少女にすぎないナツメのほうから知る術はなかった。
カタン、とペンシルを机の上に置く。

「(……そもそもこれが全部、死にかけの私の夢だという可能性もあるんだ)」

不可思議なことばかりで戸惑っていたが、もともと漫画の世界の、しかも主人公の姉という立場で生まれ変わったという前提からして異常なことだ。
この世界が邯鄲の夢であり、本当の自分はまだ血まみれで横たわり雨に打たれているのだと考えたほうが、まだ妥当だと思えてしまう。

「長い夢だなぁ……」
「なにがだい?」
「っ?!」

肩がびくりと跳ねる。妖怪もびっくりの不意打ちだった。
数年間、妖怪屋敷ですごしていたといっても、奇襲はなかなかされたことがなかった。なんといっても組頭の娘である。さすがに不敬すぎるのか、やるのは父親の鯉伴くらいだったのだ。いや、そもそも考えごとをしていたら、誰でも周りへの集中が欠けるにきまっている。
机の落書きをすぐに消しておいてよかった。あんなものを見られたら、面倒なことになっていた。
ナツメは冷や汗を流しながら、声の主のほうにぎこちなく顔を向けた。

「……なにか用かな、清継くん?」

口調と聞き覚えのある声から、だいたいの予測はしていた。でも、できることなら的中してほしくなかった。
案の定、ナツメの隣には清継が立っていた。突然親しくもないクラスメイトのほうに移動した清継を追って、リクオや氷麗、ゆらたちもその隣に立つ。その顔は、明らかに巻き込まれてしまったナツメを哀れむような表情が浮かんでいた。

「たまたま巡里さんの声が聞こえてきてね。夢といえば、中国に有名な生き物がいるんだが――」
「あっ、それ聞いたことがあるっス! ハクでしたよね!」

どこの神隠しに出てくる神様だ。
思わずナツメは苦笑して、口を挟んでしまった。

「それを言うなら貘じゃないかな……あっ」

時すでに遅し。慌てて目を逸らすも、清継という妖怪好きの少年が聞き逃すわけがなかった。
ガシッといわんばかりの勢いで清継はナツメの手を握り、いっきに目を輝かせた。

「巡里さん! 君は妖怪を知っているのかい!? いや知っているんだろう?!」
「えっ……えぇ」
「よし、じゃあ清十字怪奇探偵団に入ろうか! いまならまだ席も空いているからね。決定だっ!」
「えぇ……、――えっ?」

ナツメの顔が凍りついた。
勢いに気圧されて、思わず頷いてしまった。慌てて訂正しようとしたが、運悪くHRの開始を知らせるチャイムが鳴り響いた。

「ちょ……清継、くん……」
「はーい、みんな席についてー!」

ナツメの声は担任の教師の声に掻き消され、意気揚々と席に戻る清継の耳に届くことはなかった。
結局、落書きなんてものに関係なく、面倒事に巻きこまれてしまった。こんなことになるならば、大人しく黙ったまま小説を読んでいればよかった。
後悔するも、後の祭りだ。

「まぁ、なんというか、元気出さはってください、巡里さん」

会話もしたことのないゆらの慰めの言葉が、落ちこむナツメの身に沁みた。




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