Angsthase | ナノ
黎明シェルター


場所は移り、花開院本家。
ナツメたちはあの後、ゆらに保護されて、陰陽師の本拠地へと案内された。

「うわぁ……」
「大きいな……」

歴史ある木造の大門は、それだけで見る者を圧倒する。漂う物々しい雰囲気に、ナツメはごくりを喉を鳴らした。この門をくぐれば、己はどうなるのだろう。見過ごせられない不安が心中に募る。
だって、陰陽師の総本山だ。恐怖の感情を抱かない妖怪など、一部の例外を抜けば、いるわけがない。
思わず足がすくむが、前方のゆらたちが進んでしまったため、無理にでも付いていくしかなかった。
あと五メートル。
あと二メートル。
敷居はどんどん近づいてゆく。
これはもう、諦めるしかない。
ナツメはえいや、と勢いをつけて広い敷居をまたいだ。

「(……あれ?)」

初めて踏み入れた陰陽師の住まう地は、予想とは異なり、息苦しいものではなかった。その違和に、ナツメは内心で首を傾げた。
ここは陰のものを排除する場なのだから、入ったとたんに弱小の妖怪ならば塵になってしまっていてもおかしくはなかったはずだ。少なくとも、己の身体にいくらかの負荷がかかることは覚悟していた。
それにも関わらず、結果はこれだ。むしろ息がしやすいほどである。いったい全体どういうことなのだろうと、ナツメは前を歩くゆらたちの背中を眺めながら、ぼうと考えこんだ。
いくら歩いても目に入るのは、明らかに陰陽師ですと言わんばかりの衣装に身を包んだものたちばかり。屋敷内を堂々とつららや青田坊が闊歩しているというのにまったく気付いた様子もなく、むしろ「ゆら様のご友人ですか」などと友好的な声をかけてくるほどである。

「(もしかして、陰陽師は文字通り陰と陽を併せ持つものだから……陰のものだけを払う結界は覆うことができない、とか……?)」

ナツメはううんと唸り、首を傾げる。
たしかに灰色の存在は花開院の分家に存在していたが、はたしてそれだけの理由でこんなに妖怪対策を甘くするのだろうか。それとも、かの有名な十三代目が存命の時に、奴良組の者を自宅に招き入れてもいいように取り計らって結界を張ったのだろうか。

「(でも、そんな結界を何代も続けて維持するかな……)」

あれこれを仮説は立ててみるものの、どれも正解ではなさそうな気がする。
いつか、それとなく陰陽師のひとに尋ねてみたいものだなとナツメはひとりごちつつ、とうとう妖怪だと正体を見破られることなく、案内された広間へと足を踏み入れた。



外面の和風とは打ってかわり、床がフローリングとなっている客間は広々としていた。
座り心地のよさそうなソファーや、つるりと磨かれた黒壇のテーブル、立派な薄型テレビなどが目に飛びこんでくる。ひとつひとつの調度品の質を見れば、この屋敷の懐の豊かさがよくわかる。これが陰陽師の本家か、とおもわず感慨深くもなるものだ。
予想と違わず、ふかふかとしたソファーの椅子に座ると、いくばくもしないうちにお茶受けの羊羹が出された。それはどこからどう見ても高級品だと分かる羊羹だった。口内で感じるつるりとした感触のなかで、しつこくない甘みがほろりと広がる。小豆の粒が飽きさせない食感を与え、二切れと言わず、もっと欲しいと思わせてくれる。
お茶は、かの有名な宇治のものだろう。ほどよい苦みのなかに、甘みがじんわりと存在していた。京都の水で育った茶葉を、京都の水で淹れた緑茶は想像以上のものだ。
さすがは、本場の出すものである。文句のつけようがなかった。

数年間とはいえ、長子として奴良家でそれなりにいいものを食べてきた自負のあるナツメですらこうなのだ。さて、つららたちはどのような感想かとナツメが横に視線を向けると、件の妖怪、もとい、つららはなにやら思いついた様子で食べる手を止めていた。

「……ん?」

そうして彼女は、お茶をカナらに渡す花開院の陰陽師のほうを見るなり、はたと目を開いて青田坊の耳元へと慌てた様子で顔を寄せる。

「青! よく考えたら、私たち……陰陽師の総本山にいるわ……!」
「マジか……!」

青田坊もそこでようやく気付いたのか、驚きをあらわにしている。本当に彼が動揺しているのだと分かるのは、手に持つ湯呑が震えているからだ。

「(その気持ちも、わからなくはないな……)」

ナツメは、緑茶の苦味を堪能しつつ、どこかほほえましい気持ちでその会話を耳に入れる。
敵地の本陣の中心に己がいるなど、つららたちほどの妖怪であっても恐ろしいものなのだろう。ナツメがこうして冷静にしていられるのも、陰陽師から危害を加えられないとわかっているからこそである。
彼女らのように今後の展開を理解していなければ同じように、いや、それ以上に怯えて、明鏡止水なりなんなり使ってさっさと逃げていたはずだ。

「(そうは言ってもここは襲撃されるけれども……。でも、私はわかった上でここにいる)」

そう、ナツメはあえていま、ここに留まっていた。
京都に行くことが避けられないと悟ったときから、ナツメは今後の行動予定を立てた。
なにが安全で、なにが危険なのか。最善はなんなのかを、ここに辿りつくまでの限られた時間内で必死に考えた。
考えて、考えて、あらゆることを覚悟した末に――いま、花開院の本家にいるのだ。

京都に足を踏み入れてしまった以上、もっとも安全なのはここで、人間である清継らと共に行動することなのだと、ナツメは考えている。たしかに、しょうけらたちに襲撃されてはいたが、陰陽師や奴良組の妖怪たちも戦う以上、大事には至らない確信がナツメにはあった。
下手に別行動をとって将来の展開のわからない土地へ逃げるよりも、清継らと共に気絶させられて眠っていたほうが身の安全の保証がされているのだ。

守ってくれるひとが現れる未来を知る戦場と、不確定要素のある未知の場所。

いくら明鏡止水を使いこなせていようとも、ここを離れて京の街をひとりで彷徨うことがどれだけ危険であるかなど、未来を知っていなくともわかりきっていた。

「(清継くんたちと共にいることが安全だとわかっていて、彼らを利用するようなことをするのは気が引けるけれども……)」

できるだけ痛いことは回避したいし、命を大切にしたいのだ。特に、リクオの命を守りたいと思っている今は、そうやすやすと死ぬわけにはいかないのだから。昔のように、身を投げ捨てて守ることで再び差異が起こることなど、考えたくもなかった。



友人たちの会話に耳を傾けているうちに、ずいぶん時間が経過したらしい。いつのまにか、つららは部屋から消えており、部屋には世話係であろういくばくかの陰陽師とナツメら、そして目付役の青田坊だけがいた。
話をするのがいくら楽しいとはいえ、そればかりしていては飽きがくるものだ。鳥居がなんとなしにテレビの電源を入れると、ちょうど全国区の局が弐條城の中継をしていた。

『ごらんください……! あれは弐條城なのでしょうか?』

テレビ画面に映し出されたのは、巨大な城がそびえ建ち、黒雲が空一体を支配するまがまがしい光景だった。
レポーターの女性がそれを背景にこちらを向いている。彼女の口から述べられるのは、京都の街中で勃発している怪奇現象や、人が失踪していることへの不安感だ。そして、『いったい京都で何が起こって――』と言葉を続けようとするさなか、なにかがぶつかったような音が響く。

「山田さん? 山田さん?」「ちょ……お前たちなんだ……!」「うわぁぁ化物――!」困惑する女性の声。戸惑う男の声。混乱の声。それと共に、なにかが倒れる音。
画面から映し出される風景が傾き、床に落ちる。バタバタと逃げまどうような足音。
バキバキ、と重い何かが折れる音。人の悲鳴。荒々しい生き物の呼吸。
そして最後に、断末魔の絶叫がスピーカーから響き、画面は砂嵐へと切り替わった。

「お、おいおい……。どうなっているんだ、京都……」
「MKHって……弐條城の近くじゃなかった?」
「……ここも近いが」

清継の冷静な一言で、巻と鳥居がひええと悲鳴を上げる。

「ありえね〜! なんでこんなとこ来たんだ〜!」

まったくだ。ナツメは声に出さずとも心中で深く頷いた。こんな妖怪まみれの危険地帯に自ら赴くなど、自殺行為以外のなにものでもない。
清継は眉をひそめ、肩をすくめた。その表情はいかにも不満であると言いたげだ。

「いやいや、待ちたまえ君たち。ここまで妖怪がいる確証のある旅があったろうか? 妖怪捜索は元来危険なものさ……。これは我々清十字団への試練ではないか!」
「ふざけんなよ清継よぉ! てめーだけで行ってくれ!」

巻の心からの叫びが響く。
強気な彼女の目には、混乱と恐怖から涙が浮かんでいた。こんなことになるなど、誰も予想できなかっただろう。それだけに能天気な発言をする清継への恨みと怒りは本物だ。

「そうしたいのは山々なんだが、この花開院の方々が出してくれないのさ!」

「せめて弐條城の写真だけでも」と清継は陰陽師に縋りつくが、「出てはダメです!」とハッキリ断られていた。その陰陽師の表情は焦りに満ちていた。妖怪が堂々と民間人を襲うなど、この数百年間はありえないことだったのだ。それが今では当然のように行われ、全国に流れてしまっている――。好奇心旺盛で無力な子供を外に出せるわけがなかった。

ナツメは、不安げに立ち上がったカナの手を握った。
彼女の気持ちはよく分かる。いくら安全だろうと言われていても、外はあの混乱だ。不安にならないわけがない。
それでも、ここにいれば無事にすむことを知っている者として、ナツメは安心させようと微笑んだ。カナはじっとナツメを見つめ、不安の色を残しつつもぎこちなく笑い返した。
そのとき、眠っていると思われた青田坊がぽつりと呟いた。

「心配するなよ。座っていろよ」
「……倉田くん?」

青田坊の偽名をよく覚えていないのだろう。カナは問いかけるようにぽつりと声を発した。

そうして、本家強襲の時はきた。
唐突に――もう刻限だ、と告げるように、嵐のような衝撃がナツメらを襲った。
ずずん、と地面が揺れ、獣の唸り声のような風の音が響く。
一寸おいてから、ガラガラと雷の落ちたような音が部屋中に満ちた。視界が一気に砂埃で真白に染まる。

「きゃあ――!?」

誰のものか、少女の悲鳴が小さく上がる。
ようやく来たか、とナツメが反射的に立ちあがろうとしたそのとき――がつん、と重たいなにかが後頭部を唐突に殴り――くらりと世界が暗転した。




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