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うつつ逸らし


その日、ナツメは浮世絵町をひとり歩いていた。暦は七月。季節はすっかり夏だ。日差しは強く、温暖湿潤気候特有のしっけた暑さがじとりと肌にまとわりつく。それはオーブントースターのなかでじりじり焦がされていると言うよりかは、電子レンジのなかでラップに包まれて温められているような暑さだった。
日本らしいこの気候は、何年暮らしていようとも慣れるものではない。ナツメはそんな空気のなかを、げんなりとしつつも歩いていた。

清継探偵団が邪魅探しに旅行をしているなか、ナツメは珍しく浮世絵を訪れていた。下手に鉢合わせたときのために、明鏡止水での対策までしている。
なるたけ原作やら奴良組から距離を置きたがるナツメがわざわざ浮世絵町に足を運んだのは、危険を犯してでもやりたいことがあったからだ。
それは、本屋巡りである。

「(○○堂に××書店、△△書店、□□堂に○×堂と……)」

暑さを忘れようと、本屋の名前をつらつら挙げて、ナツメはひとり頬を緩ませた。


この世界に生まれる前から、ナツメは本屋巡りを趣味としていた。というよりも、それがほとんど唯一と言っていい彼女の趣味だった。
一応、話題に事欠かぬようにとゲーム機器は所有していたが、あまり面白みを感じられなかったために、それほど打ちこむことはなかった。スポーツやら芸能界にも全く興味を持てず、クラスでそのような話題に出るたびに彼女はひそかに首を傾げていた。女優の誰それが結婚しただの、どこぞのチームが優勝しただのといった話のどこに面白さがあるのだろうか。そんなつまらないものたちよりも、小説や新書、漫画や学術書のほうがナツメの気を引いたのである。

本はやはり、紙媒体に限る。ナツメはつねづねそう考えていた。いくらIT化が進もうとも、こればっかりは置き換えられないのだと、本屋に足を運ぶたびに思うのだ。
手に伝わる本の重み。紙特有の匂いとざらりとした手触り。ぱらぱらとめくった時に感じるかすかな風。ページをめくる際に指を切ってしまうのはご愛嬌だ。
自分で好きなように書きこんだり、折ったり、付箋を貼ったり。何度も読み返してよれよれになった本を見ると、ナツメは幸せな気持ちになった。

ナツメはほとんど活字中毒者だった。紙媒体であればたいていのものは読んだ。ライトノベルから学術論文、漫画から小説まで。小説のジャンルも、恋愛からファンタジー、SFから時代小説、シリアスからコメディーまでなんでも読み漁った。夏目漱石の作品を読んだかと思えば、次には思想学の新書に手をつけたり、はたまた経営学の書籍を読みふける。ファンタジーの世界に浸りつつも、その傍らで現政党の政策について批判する新聞に目を通す。
あちらこちらの世界に踏み入れては、彼女は幸福そうに文字を追うのである。

一見、それは共通点がないように見える行為だ。しかし、ナツメにとって、活字の世界とは、等しく現実を忘れさせてくれるものであった。
妄想であれ、事実であれ、文字を追っている間だけは、ナツメは自分のことを忘れることができた。どんなに苦しいことがあっても、本を開き、別の世界に繋がってしまえば逃避できたのである。

そして、ついに地元の本屋をあらかた巡り終えてしまったナツメは、新たな開拓地として浮世絵町に足を伸ばしたのである。




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