Angsthase | ナノ
始まりの愛情


「(なんてことだ……)」

ナツメは自分の顔から血が引いていることを自覚しながら、心中で呟いた。
嫌な予感というものは、えてして当たりやすいものだ。しかし、まさかこんな展開になるとは、いったい誰が予想できただろうか。妖怪に人質にされ、知り合いに鉢合わせる恐れにさらされるなど……悪夢極まりない事態であった。
唯一、救いだったのは、ここが戦闘中心地からやや外れた場所にあったことだろう。少なくとも、大将と戦っているリクオと出会う恐れはない。鯉伴の部下たちもそうだ。首無や黒田坊などは、今ごろ四国の幹部たちを相手にしていることだろう。

不安要素があるといえば、鯉伴だ。原作ではいなかっただけに、どのように振る舞うのか、まったく予測ができない。
ナツメはなまじ普段が原作の知識に頼っていただけに、こうしたアドリブに対応する能力が落ちていた。なにかをしなければならないと思いながらも、身体がまったく動いてくれない。もちろん、いまは妖怪に掴まれているので、動こうにも動けない現状があるのだが。

「奴良組の大将は人間贔屓なんだろ? 見殺しにはできねーよなぁ?」
「チッ……四国妖怪め……、分が悪くなったら人質をとりやがって……」

とりあえず、ナツメがこのまま妖怪の手によって圧死させられる恐れはないようだ。
人質の価値などほとんどないが、こうして奴良組の邪魔となっていることは申し訳なく思った。

「(……逃げようにも逃げられないし、ここは人質らしく泣くべきなのか)」

あまりに無反応な人質だったら怪しまれるような気もするが、だからといって泣き叫べるほどナツメは役者でもなければ子供でもなかった。
ただ彼女ができるのは、せいぜい俯いて、手で顔を覆うことくらいだろう。
ナツメがそんなことを考えているうちにも、妖怪たちの競り合いは進んでいく。

「四国妖怪は随分と臆病者だなぁ、ああ? 人質なんざ取らなきゃ、やっていけねぇんだもんな!」
「ハンッ、人間なんかを大切にしている奴良組はとんだ弱い組だよな! だから弱体化したんじゃねぇんか?」
「アンタらナツメさんを離しい! 滅したるで!」

いまの状況を一言で現すならば、カオスだった。
妖怪たちがナツメを挟んで言い争いをし、ゆらはその周りで式紙を片手に叫んでいる。ナツメが悩む間にも、じりじりと場所は移動して、駅から離れていっている。
どうしたものかとナツメは思案するが、やはり動揺しているのか、なかなかいい案が浮かばない。そうこうしていくうちに大通りのほうからは騒がしい声がどんどん増していくため、ナツメの焦りはいよいよ高まった。

「(私のことがばれてしまうのはもちろんだけども、ゆらちゃんがこのままここにいたら、原作の流れが変わってしまう……)」

このまま膠着状態が続けば、ゆらはいつまでもここに留まることになる。そうなれば、リクオが玉章の顔を傷つける可能性や、ゆらがリクオの正体を疑うきっかけが消えてしまうかもしれない。
どうにか抜け出せないものかと妖怪の指を押して見るが、ナツメの身体を掴むそれは彫刻のように微塵たりとも動かなかった。

原作が変わってしまった際に起きる、恐ろしい仮定がナツメの頭に次々と現れる。
京都編が始まらないかもしれない恐れ。百物語組が奴良組を壊滅させるかもしれない恐れ。ひとつ間違えれば、リクオの強くなるきっかけを永久に失わせてしまうのだ。
幾度となく浮かばせてきた仮定は、このとき初めて本当に現実になってしまうように思えた。

「(私のせいで……リクオが死んでしまったら……!)」

ナツメはパニックからほとんど泣きかけていた。
しかし俯いていたために、彼女の表情を知る者はいなかった。

このまま流れはめちゃくちゃになってしまうのだろうか。ナツメが諦めて腕の力を緩めようとした――そのとき、

「人間をただ弱いだけの存在だって思ってんのは、間違いじゃねぇのかい?」
「ッ!?」

突然、ナツメの身体に衝撃が走った。
なにが起こったのかと反射的に後ろを向くと、妖怪の腕の断面図が目に入った。

「うっ、腕が……ッ!」

指と共に地面に落ちた名前は、慌てて駆け寄ってきたゆらに抱きしめられた。

「ナツメさん、怪我せぇへんかったか?」
「うん……大丈夫だよ」

ゆらは辺りに視線を巡らすものの、妖怪を攻撃したらしき者の姿は見当たらなかった。
片腕を失った妖怪は、これをいい機会に奴良組の妖怪たちから総攻撃を受けていた。あの様子では、人質となった人間の存在など、すでに忘れていてもおかしくはないだろう。

原作を変えるかもしれない危機から脱し、なんとか一息つこうとした名前だったが――大量の妖気が消滅する気配を察知して、ぞっと身を強張らせた。
ゆらもその気配に気を取られていたために、幸いにも、そのナツメのわずかな変化には気づかなかった。

「――っ、ナツメさん、先に駅に向かっときい! これで身ぃ守っとったら安全やさかいに!」

ナツメに護符を数枚手渡すと、ゆらは立ち上がって、大通りのほうへと駆けていった。おそらく、これから玉章に戦いを挑むのだろう。
わずかな狂いでゆらが死なないことを願いつつ、ナツメはそろそろと立ち上がり、護符を鞄に入れた。スカートの乱れを直しつつ、妖怪たちの抗争から離れることを考える。今回は顔を隠せるフードがないため、なるべく早くここから去ってしまいたかったのだ。




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