Angsthase | ナノ
空の夢


時は瞬く間に流れ、ナツメは中学生になった。
髪は相変わらずの長さであり、これからも変えないつもりだった。だが、ある一つの単語が耳に入り、その決意を崩すことになる。

「浮世絵中学校……」

呟く名は十数年ぶりに聞いたもの。だというのに、ナツメの脳裏には色褪せない記憶がつい最近のような鮮やかさで再生される。
俯けば、父親に似た黒く長い髪がふわりと肩から落ちる。ナツメはそれを首元から先端に向かって束になるように掻き分け、緩めた手から幾本かがすり抜けるのを眺めた。
ぼんやりとしながら、数分前に交わされた施設長との言葉を反芻する。

「浮世絵町……ですか」
「そうなのよー。隣町だし、ちょっと遠くなるんだけど……ナツメちゃんなら大丈夫かしら」
「……はい。電車なら慣れていますから」

普段は笑顔を浮かべている施設長の顔に、それがなかった時点である程度の予測はついていた。彼女が心配そうにするなかで、ナツメはあっさりと了承の意を伝えた。素っ気なさそうな言葉だが、微笑みと共に出されたものを不快に思う者はまずいないだろう。
施設長もそういう普遍的な人間の一人であるようで、ナツメの返答に対し、安心したような表情になった。
電車なら慣れている。その言葉の違和感に彼女が気づくことはなかった。あるいは、ナツメなりの施設長に対する優しさとでも受け取ったのだろうか。何にせよ、その真偽はナツメからは計り知れない。



鋏を用意した。眼鏡もなけなしのお小遣からはたいて買った。どうしてこうなったのかは分からない。もしかすると、ずっと前から同じ世界だったのかもしれない。世界が交わったのかもしれないし、私が飛んでしまった可能性もある。
でも、そんなもの、私には分からない。ただ、いまの時点で分かっているのならば、行動を起こさなくてはならない。

手触りがいいと言われていた、くせが付いた髪の毛が、まるで絹の布が広げられているように錯覚するほど大量に、シートを敷いた床の上に落ちていた。
その中心に立っているのは、先程までその髪を身につけていた少女だ。
猫毛で軽く浮いた短い髪は、どこか快活さを感じさせる。そのくせ、眼鏡が少女の顔の上で光り、優等生じみた近寄りがたさを出していた。そのアンバランスな雰囲気を抱く少女は、鏡に映る自分の姿を見て、満足げに微笑んだ。

「これでよし」



「もう中学生になりますかねぇ……」
「そうですねぇ。生きていらっしゃったら、もうすぐ成人を迎えていたでしょうに」

世間的には桜が咲きはじめる四月のこの日は、この家にとって特別な日だった。屋敷の者たちはその日が近づくにつれてそわそわと落ち着きがなくなり、喜んだり悲しんだりと騒がしくなる。酒を用意すべきなのか、供え物を用意すべきかという話し合いは毎度のことで、結局、両方を用意するのも毎度のことだった。
なぜ、このような相反することが同時期に起こるのかといえば、理由は至って単純である。この屋敷の頭首の娘が、小学校の入学を間近に控えながらも亡くなってしまったからだ。しかも皮肉なことに、彼女が逝ったのは誕生日の前日だった。一体、これは祝えばいいのか、黙祷を捧げればいいのか、わからなくなるのも無理はない話である。
それにしても、ともすれば全てにおいて悲哀に繋げがちな話題を、多少なりとも喜びに代えてしまえるこの屋敷の者たちは、あるいは変わっているとも言えるのだろう。しかしもちろん、そのような自覚は彼らには全くない。

「…………」

一人の男性が墓の前に立っていた。後ろに長くなびかせた黒髪は、どこかの少女にそっくりだった。いや、“少女がこの男性にそっくり”なのだ。
どことなく飄々とした雰囲気を持つ男は、墓を前に、微動だにせず立ち尽くし続けている。
しばらくして、背後から自らの首を浮かせた男性がやってきた。

「二代目……」
「あぁ、なんだい首無」
「いえ、特に用はありませんが。……それにしても、時の流れは早いものですね」
「そうだなぁ。確かにあっという間だ」

歯切れが悪そうに話す首無とは対称的に、二代目と呼ばれた男の口調は、まるで世間話でも始めるかのような雰囲気で、いたく軽いものである。しかしその表情は暗く、決して、愉快そうとは言えないものだった。

「あのとき、もっと私が早く行動を起こしていれば――」
「まーたお前さんはそれを言うのかい。今さら後悔したって仕方ねぇだろうに」
「そうですが……」

首無が黙ることにより、その場はしばらく沈黙に包まれた。冷たく立つ墓の上に、ときおり吹く風に飛ばされた木葉が落ちる。

娘の死にまつわるあの忌まわしい事件は、父である奴良鯉伴と、その部下の首無にとっていつまでも深く刺さる傷だった。
互いに事件に居合わせた当事者でありながらも仇を打つべき相手を逃し、大切な少女を失なわせてしまったのだ。敵の名は知ることができたが、損失のほうが大きかった。無論それに後悔をしないわけがなく、彼女の死後いくら時間が経とうとも、二人には強い痛みを与えていた。

「……制服姿、見てみたかったな」

いかに時が過ぎようと、その声に同意する者が多いのは事実であった。




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