Angsthase | ナノ
ならない実


リクオが毛倡妓を注意して、なんとか愛想のいい笑顔を作りつつ広間に戻ると、そこには同級生のナツメがただ一人、ぽつりと座ってお茶を飲んでいた。

「アレ? みんなは……?」
「ゆらちゃんを先頭にして出ていっちゃったよ」
「ええっ!?」

慌てて追いかけるように広間をまた出ていったリクオを見て、ナツメはまたお茶を飲んだ。

「ついていこうかな……」

ずっとここに留まり続けたら、不自然だと思われて奴良組の妖怪に目をつけられるかもしれない。しかし、だからと言ってゆらたちに着いていけば、多くの妖怪たちに顔を見られることになる。どちらを選んでも行き詰まりだ。ナツメは考えることから逃げるように、お茶を一口ひとくち飲みこんだ。

ナツメは、自分の体が奴良ナツメの面影をはっきりと残したまま成長していることを自覚していた。だからこそ、変に知られて興味を持たれることは忌避していた。とくに、元父親の鯉伴には。
あの好奇心旺盛なぬらりひょんの子供が、自分の娘によく似た人間を大人しく放っておくわけがないのだ。こちらのことを知られてしまえば、必ず興味を持って近づいてくるだろう。下手に動いて鉢合わせなどしてしまえば、面倒なことになるに決まっている。

どうすればよいのだろうとナツメが悩めば悩むほど、リクオたちの声はどんどん遠ざかり、いつの間にか取り返しのつかない距離になってしまった。

「……はぁ」

本当に、この家に来なければよかったとナツメは後悔していた。どんなに想い出を引っ張りだして、郷愁したところで無意味だというのに。どうしてのこのこと訪れてしまったのだろうか。

「(もしかすると、私は帰りたかったのかもしれない……)」

ありえないことだと考えていても、誰かが自分のことに気づき、歓迎してくれることを心のどこかで期待していたのかもしれない。それをばかばかしい、と今も一蹴したいのに、心の底からできないことがなによりの証拠ではないか。

毛倡妓が煎れたお茶を口に入れる。温かいそれはじんわりとナツメの体内で広がった。しかし、心だけはいまだに底冷えするように痛かった。

「(寝よう……かな)」

ゆらゆら揺れるお茶の水面を見て、目を閉じる。――そうだ、リクオたちが帰るまでの間、フードを被って寝てしまえばいいのではないか。
ナツメはそう考えつくと、すぐにパーカーに付いていたフードを被って、座っていた座布団を枕にし、眼鏡をかけたまま横になった。不作法だが、むしろそういう面を出した方が、勝手な子供として警戒されなくなり、都合かもしれない。畳に近づいたおかげで強くなった藺草の匂いを感じ、ふと、幼いリクオと一緒にブランケットをかぶって眠っていたことを思い出した。

「(――おやすみ)」
「お、なんだ。嬢さん一人しかいねぇのかい」
「!?」

ガラリと開けられた襖の音と共に、聞き慣れた声がナツメの耳で響いた。思わず、勢いよく起き上がり、そちらのほうに顔を向けてしまった。

「あ……」
「すまないな、起こしちまったか。オレはリクオの父親だ。いつもリクオが世話になってるな」
「いえいえ、こちらこそ。……えっと、お邪魔してます」

厄日だ。本格的に厄日だった。
ナツメは自分の心臓がうるさく音を立てていることに気づく。そのくせ、顔からは血の気がほとんど失せている。自分が興奮しているのか恐怖しているのか、ナツメ自身、判別がつかなくなっていた。
動揺したまま、ナツメは目の前の男性を茫然と見つめる。黒く長い、くせっ毛ぎみな髪。吊り上がった綺麗な碧眼。ラフに着こなす着物は相変わらずで、変わらない見た目のせいで年月の流れを忘れてしまいそうになる。
ナツメは鯉伴の目の色を見て、自身の瞳も青色がかった色であることを思い出した。あまり視線が絡まないように、さりげなく、しかし確実にナツメは目を逸らして軽く俯いた。

「あの……どうしてここに?」
「リクオをからかおうとしたんだけどな。どうやらハズしちまったみてぇだ。そうだ、お前さんの友人たちを探してみねぇかい?」

いまからでも遅くねぇだろ? と鯉伴は粋に笑って言う。どうやらナツメが寝ている間に置いていかれたものだと考えたらしい。
ナツメは思案するように黙った。しかし、鯉伴はそれを肯定と捉えたのか、「よし、じゃあ行くか!」とナツメの右手を唐突に握って、立ち上がらせた。
もちろん、ナツメが驚かないわけがない。

「――ちょ!? やっ、セクハラ!」
「ははっ、セクハラってなぁ……。久々にその言葉を聞いた気がするねぇ」
「えっ。……あっ、ごめんなさい。動揺して……」
「いいってことよ。日常的に言われていたからな」
「に、日常的って……」

それはもしかしなくても昔の自分のことなのではないか。冷や汗が止まらないが、鯉伴は笑うばかりで、ナツメと手を繋いだまま歩き続けていた。素直に手を引かれるしかなくなり、ナツメは戸惑いつつも足を進めながらふと思う。
友人の父親と女子中学生が手を繋いだまま歩く。文面にすると、それはいささか以上に危ない光景ではないだろうか。

「あの、とりあえず手を離してくれませんか……?」
「ん? あぁ、悪いな」

手が離されて、温もりが消える。それでも、鯉伴はこちらの歩調に合わせて、距離を置かずにそのまま歩く。
懐かしい廊下の光景を通りながら、二人は無言になる。
ナツメは左手で、右手をそっと包んだ。
まだ少し繋いだ手が暖かいように思われるのは、きっと気のせいなのだろう。

廊下を歩きだしてからしばらくして、仏間のほうからわいわいと騒がしいリクオたちの声が聴こえてきた。

「なんだ、リクオたちはあんなとこにいたのかい」

鯉伴が愉快そうに言う。ナツメは顔を上げて、ふいに仏間で必死に隠れている妖怪たちのことを原作知識として思い出した。

「(お札、剥がしておこうかな)」

旧鼠に関わる気はさらさらないが、念には念をいれてちょっと頂いてしまおうかと小心者な考えが頭に浮かぶ。しかし、即座に内心で首を振った。リクオが剥がす予定の未来を変えてしまうことは、なるべく避けたほうがいいだろう。未来など不用意に変えるべきではないのだ。本当に妖怪たちが困っていたら剥がすことを考えればいい。

「ようリクオ。いったい何をやってんだい、こんなトコで」
「えっ? あっ、お父さんがなんでここに!?」
「えぇーっ!? 奴良のお父さん!?」

仏間の入口で鯉伴はにやりと笑いながら立っていた。声をかけられて振り返ったリクオは、彼の姿を見るなりサアッと顔色を変えて、驚いた声を上げた。
慌てている様子のリクオを、悪戯に成功した子供のような表情で眺めている鯉伴を傍らで見て、ナツメはリクオの不憫さを切なく思った。と同時に、相も変わらず調子のよさそうな鯉伴の様子にほっと安堵する。

「いや、これは不可抗力で仕方なく――というか、なんで巡里さんがお父さんと一緒にいるの!?」
「案内しようかってオレが誘ったんだよ。だろ?」
「うん。そうだよ」
「ええ、大丈夫? なにか変なことをされなかった?」
「……リクオ。お前さん、普段のオレを一体どんな目で見てるんだい」
「セクハラする父さん」

リクオのその発言がなんだか昔の自分にそっくりで、ナツメは笑みをこらえきれずに零した。

「ふふっ。大丈夫だよ。むしろ親切にしてくれたから」
「そうなの? ならよかった……」

あからさまに安心したリクオを見て、しばらく黙って様子をうかがっていた清継たちがまた騒ぎだした。

「すっごく若いですねー!」
「リクオとは雰囲気が違う……!」
「着物、よう似合ってはりますね」
「そうか? ありがとな」

鯉伴は褒め言葉をさらりと軽く受け止めた。その姿すら嫌みにならないほど似合っているものだから、清継らは感嘆の声を上げた。

「よう、カナちゃんも久しぶりだな。元気そうでなによりだ」
「はい! リクオくんのお父さんこそ!」
「……家長さん、知り合いやったんですか?」
「うん。リクオくんとは保育園からの幼なじみだからね」

ナツメが死んだのはリクオが保育園に入る前だったから、すれ違いということになる。こういうふうにまた転生したのだから、奴良ナツメのときに変に出会わなくてよかったとナツメは心中で安堵した。

「とっ、とにかく! まだみんながいるんだから、お父さんはどっか行っててよ! あ、じーちゃんにも邪魔するなって伝えておいて!」
「へいへい、わーったよ。冷たいなぁリクオは。まったく誰に似たんだか……」

鯉伴はぶつぶつと言いながらも「それじゃあ邪魔者は失礼するぜ」と片目をつむって笑い、何を思ったのかナツメの頭を撫でて去っていった。

「……かっこいい」

島がぽつりと呟いた言葉に、リクオとナツメ以外のみんなが頷いた。




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