Angsthase | ナノ
身勝手さまの話


日曜日。奴良家訪問の日。
ナツメは施設から許可をもらい、私服で浮世絵町まで赴いていた。
万が一のことを考え、ハーフミラーの伊達眼鏡を掛け、パーカーをしっかりと羽織っている。行かないことが一番賢い選択なのだと理解しているが、表立った用事がなかったために、断るに断れなかったのだ。一緒に遊べるような友だちのひとりでも作っておけばよかったと後悔したが後の祭りである。

「……あ、すっぽかせばよかったのか」

最低なアイデアがぽそりと出る。
逃走が得意なくせに、その選択肢を忘れていた。清継の誘いだって、本気で断ろうとすればできないわけではないはずだ。それにも関わらず、こうして素直に足を向けている。自分は存外、あの家に帰ることを楽しみにしていたのかと、ナツメは驚いた。
思い返せば、命を落とした場所には行ったが、あの家にはもう何年も帰っていないのだ。――無意識のうちに“帰る”という表現を使っていたことに気づき、苛立ちを覚える。

「(もう、私の帰る場所なんてどこにもないのに)」

いまさら奴良家に行って、自分のことを明かしたところで何になるのだろう。ただ闇雲に混乱を誘うだけなのではないか。とくに、母親だった若菜はようやく娘を失ったショックから立ち直りかけているかもしれないのに。

「(いや……そもそも、私が死んだところで誰が悲しむんだっけ)」

思い出すのは道端にたった一本、ぽつんと供えられた花だった。あの不可思議な出来事のあとで改めて赴いたのだが、記憶に違わず花はそこに存在した。菓子もなく、花束もない。あの光景は寂しいにすぎた。夢のなかだとしてもあのとき聞いた鯉伴の言葉は疑いたくないが、それにしたってもう少し賑やかにしても良かったのではないかと思う。
やはり、自分の死は悲しまれてないのか。どうでもよいものだったのだろうか。
ナツメが考えれば考えるほど、仮説はどんどん悪いほうへと斜面を転がる岩のようにどんどん落ちこんでいった。しかし、それを当の本人はまったく意識せずに悩みつづける。
気がつけば、ナツメの足は踵を返し、待ち合わせ場所とは正反対のほうを向いていた。

「(……やっぱり、帰ろう)」
「――おーい! 巡里さん! 逆だよ逆!」
「あ、清継くん。早いね……」

ナツメからすると運悪く、清継からすればタイミングよく待ち合わせ相手に遭遇してしまった。
さすがにここで帰るわけにもいかず、ナツメは仕方なしに踵を返し、清継と並んで歩きだした。

「(ああ、今日は厄日だ)」

機嫌がよさそうに妖怪の主――つまりは夜のリクオだ――について語る清継の横で、ナツメはげんなりとしながらそう思った。




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